第四章 かつての××に勝てる気がしない件
リヴィアが目を覚ますと、そこは鬱蒼とした倉庫の中だった。どうやら地下なのか、ひんやりと冷たい外気が全身を包んでいる。
(私は……そうだ、レガロたちの作戦を聞いて、それで……)
徐々に記憶が戻り、リヴィアはすぐに体を起こそうとした。だが両手足は縛りつけられており、口には布を噛まされている。悠長にしている暇はない。
(早くここから脱出しなければ……)
リヴィアはちらと視線を動かすと、近くにあった木箱の傍にずりずりと移動した。錆びて浮き上がっている釘に頬を押し付けると、猿轡の端を引っかける。
そのまま勢いよく顔をそむけると、びりと高い音を立てて口が自由になった。
「よし、次は手だな……」
そういえばベアトリス時代も、こうして敵の牢から脱出したことがあったな、とうんざりとした顔つきでリヴィアは体を捩った。
すると服の内側から、小さなナイフが滑り落ちる。
酒場で男から奪ったものをうっかり返し忘れてた、とリヴィアは反省した。
(すまない、今度返すからな)
リヴィアは器用に刃の背の部分を咥えると、手首の拘束に何度も刃を滑らせた。最初は表面をなぞるだけだったが、次第に繊維が一本二本とちぎれ、半分ほどがほつれてくる。最後にリヴィアが左右に引っ張ると、ロープはあっけなく千切れ落ちた。
すぐさま足の縄も切り落とし、リヴィアはふうと息を吐き出す。
(どれだけ時間が経った? 今は何日だ?)
一体どこに連れてこられたのか。とにかくすぐに王都に戻らなくては、とリヴィアは扉の前にしゃがみ込んだ。
かすかに人の靴音がし、リヴィアは息を潜める。
見張りがいるのは当然か、とリヴィアは立ち上がると、倉庫の中にある劣化した木箱を威勢よくひっくり返し始めた。衝撃によってたちまち粉々になるが、リヴィアは容赦なく次々と投げつけていく。
すると騒ぎを聞きつけた見張りが、慌てて外から扉を開けた。
「な、なんだなんだ⁉」
「失礼」
リヴィアはその隙を見逃さず、男の背後に回り込むとすばやく足を払う。見張りは転倒し、床に後頭部をぶつけて気絶した。
しかし後から入って来た男がリヴィアに気づき、乱暴に彼女の胸倉をつかむ。だがリヴィアは動揺することなく、片方の口角を上げた。
「甘いな」
短くそれだけ零すと、リヴィアは対峙する男の肩に手を伸ばした。次の瞬間、腕を絡め引くようにして体をぐっと押し込むと、男はバランスを失いあっけなく倒れ込む。クラウディオに習った体術が、こんな形で役に立つとは。
(よし、行ける)
男が立ち上がるまでの間に、リヴィアはするりと抜け出した。
すぐに外から扉を閉めると、持ち出していた長い棒を、取っ手と壁を固定するように挟み込む。案の定中から開けることが出来なくなり、扉の向こうから男たちの罵声が響いた。
(ここはどこだ? 王都からどのくらい離れている?)
焦燥する気持ちを落ち着かせながら、リヴィアは懸命に出口を探す。地上へ続く階段を上り切ると、薄暗い部屋へと繋がっていた。
板が打ち付けられた窓の隙間から、見事な朝焼けが広がっており、リヴィアはいよいよ不安を覚える。
(朝? ……まずいぞ、早く戻らなければ)
リヴィアは外に繋がる扉を発見し、すぐに駆け寄った。
だが当然のごとく鍵がかかっており、押しても引いてもびくともしない。鍵の形状から開けることも不可能だと分かり、焦る気持ちだけが膨らんでいく。
だが運の悪いことに、二階に続く階段から複数の足音が降りてくるではないか。
(まずい、ここで鉢合わせたら……)
何か武器になるものはないか、とリヴィアは周囲を仰ぎ見た。しかしそれらしきものはなく、万事休すかと唇を噛みしめる。
すると扉の向こうから、思いがけない人物の声が聞こえた。
「――リヴィア様?」
「クラウディオ⁉ どうしてここに」
「本当にリヴィア様なのですね! 良かった……」
「すまないクラウディオ、まもなく敵が来る、逃げなければ」
「では、扉から離れていてくださいますか?」
丁寧なクラウディオの物言いに、リヴィアは一瞬疑問を覚えつつも、すぐに大きく距離を取った。すると数秒後、けたたましい轟音とともに玄関の扉が蹴り破られる。
階段を下りて来た男たちは、脱走したリヴィアの姿に驚く以上に、片足だけでドアを破壊した男に目を奪われていた。
「な、なんだ、お前は!」
「リヴィア様! ご無事で何よりです」
「あ、ああ……すごいな……」
「おい! こっちの話も聞けよ!」
すると、リヴィアに向けて満面の笑みを浮かべていたクラウディオが、ゆっくりと男たちの方を振り返った。
その目には鮮烈な紫色の怒りを湛えており、恐怖を感じた男たちはひいいと我先に二階へ逃げようとする。
「お覚悟を」
その後はまさにクラウディオの独壇場だった。
彼よりはるかに筋肉のある男が立ち向かうが、クラウディオは鮮やかな身のこなしでそれを無力化させ、簡単に床へと昏倒させた。刃物や剣を手に襲い掛かっている男たちも、赤子の手をひねるような容易さで制圧する。
ものの数分で犯人たちは鎮圧され、死屍累々となっている光景を前に、リヴィアは改めてかつての部下の成長を実感した。
(この強さ……もはやベアトリスでも勝てない気がするぞ……)
「リヴィア様、すみません騒がせてしまい……。お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。しかし、よくここが分かったな」
「あいつが教えてくれたんです」
クラウディオに促されリヴィアは慌てて外へ出た。
そこにはルメンゾーラに置いて来たはずのアルヴィスがおり、リヴィアを見つけた途端嬉しそうにぶるると鳴いている。
「アルヴィス! どうして……」
「どうやら杭ごと引き抜いて逃げ出したようです。昨日の昼、俺の元に脅迫状が届いたのと、ほぼ同時に王都に戻って来たようで」
「脅迫状だと?」
すぐさま確認したその手紙には、たしかにリヴィアをかどわかした旨がしたためられていた。だがそこに書かれている場所に、リヴィアは眉を寄せる。
「待て、ゾアナ渓谷と書かれているが……ここがそうなのか?」
「いえ、ここはルメンゾーラから少し西に行った辺境の村です。俺も最初はゾアナに向かおうとしたのですが……アルヴィスがあまりにただならぬ様子だったので、そちらには別の者を遣り、俺がアルヴィスに乗ってここまで来ました」
(まったく逆方向じゃないか……どういうことだ?)
おそらくアルヴィスは、戻りの遅いリヴィアを心配して、クラウディオを呼びに行ってくれたのだろう。
そのおかげでクラウディオは無駄足を踏まずに、最短の時間でリヴィアを捜し当てることが出来た。
(しかし何故わざわざ脅迫状を出した? 私の誘拐をクラウディオに知らせれば、身代金が得られると思ったのか? それなら要求も書くはずだ……それに金が目的なら私の家に連絡を取る……。それにどうして違う場所を指定した? そんなことをしても何の意味も――)
それに気づいた瞬間、リヴィアは大きく目を見張った。軽やかにアルヴィスの背に跨ると、本来の主を取り戻した喜びに黒馬がいななく。
「戻るぞクラウディオ! 奴らの狙いはお前だったんだ!」







