第三章 10
書庫を後にしたリヴィアは、そのまままっすぐにラウルの執務室へと向かった。
今日に限って扉の前に立つ番人の姿がなく、リヴィアは不思議に思いつつも勢いよく引手に手をかける。だが強固な鍵がかかっているのか、微動だにしなかった。
やがてリヴィアの訪問に気づいたのか、第一騎士団の一人が声をかけてくる。
「リヴィア様? どうかされましたか」
「すまない。ラウルとコサ・リカはどこにいる?」
「隊長でしたら午前中にこちらを発たれ、ご実家のほうにお戻りになられましたが……」
「家に? 何故だ」
「なんでも脅迫めいた手紙が届いたとかで……念のため騎士団のものを半分ほど連れて、一旦様子を見に戻られると」
(手紙だと……?)
第一騎士団は元々公爵家のものなので、有事の際に呼び戻すのは当然のことだ。だがここ数日、特にきな臭い噂があったわけでもないのに、どうしてこのタイミングで……とリヴィアは眉を寄せる。
(もしや、将軍と接触したことに気づかれた……?)
あの夜、周囲の気配には十分気を張っているつもりだった。しかしコサ・リカ自身が目撃せずとも、ラウルを介して何かを察したという可能性は否定できない。
リヴィアは騎士に礼を告げると、すばやく踵を返す。
(どうする……少しでも早く、コサ・リカと接触しなければ……)
時刻は既に夕方。ラウルの領地は単騎で飛ばしても三日はかかる距離だ。だがそれなりの人数で動いているので、今すぐ出れば途中の宿場町で捕まえられるかもしれない――とリヴィアはまっすぐ厩舎の方へと向かう。
「おや、リヴィアちゃん。またアルヴィスに乗りに――」
「突然申し訳ありません。どうか少しの間でいい、アルヴィスを貸していただけないでしょうか」
「な、え⁉ 突然どうした⁉」
「どうしても、行かなければならない場所があって」
「ば、馬車じゃだめなのか?」
「それでは間に合わないのです。アルヴィスの足でなければ……」
いつになく真剣な様子のリヴィアを前に、厩番もさすがに困惑しているようだった。リヴィア自身も無茶なことを言っていると理解しているため、ただ真摯にお願いをすることしか出来ない。
「用が済めば必ずお返しします。騎士団の馬を勝手に使った罰もすべて私が受けます。……ですからどうか、アルヴィスを貸していただけないでしょうか」
「たしかに、あんたはいつもこの子たちのために重たい餌を運んでくれた。そんな子が馬を使って悪いことをするとは思えないが……でもやっぱり俺じゃ許可は出来んよ」
(やはり、厳しいか……)
いくらリヴィアが懇願しようとも、ここにいる馬たちは騎士団が所有するものだ。これ以上すれば、厩番にも迷惑をかけることになりかねない。
(どうしよう……他に方法は……)
するとそこに一頭の馬が戻って来た。
その背に乗る人物を見て、リヴィアは思わず声を上げる。
「サルトル! クラウディオと出ていたんじゃなかったのか?」
「これはリヴィア様。私は別件がありましたので、クラウディオ様より先に戻ったのですが……何かお困りでしょうか?」
そこでリヴィアはラウルのことを説明した。
ただし内通者の下りは、前世を知らないサルトルには意味不明だろうので、あくまでもラウルの隊と合流し、確認したいことがあるとだけ告げる。
「そんなに急ぎでなんて……一体どんな内容ですか?」
「す、すまない。うまく説明できないんだが……とにかく少しでも早く、ラウルの隊に追いつきたいんだ」
「……」
サルトルはしばし逡巡した。
リヴィアが祈るような気持ちで見つめていると、苦笑するようにようやく顔をほころばせる。
「分かりました。他ならぬクラウディオ様の婚約者ですから、特別に許可いたします」
「ほ、本当か⁉」
「ただし絶対に無理はなさらないこと。ラウル様と合流出来たら、すぐに戻って来てくださると約束していただけますか?」
「ああ、誓って」
するとサルトルは、厩番に向けて軽く手を挙げた。すぐにガタンと馬房の柵が外され、アルヴィスが悠然と姿を現す。リヴィアが見上げると、まるですべてを理解しているかのように、ふんと鼻息を吐き出した。
それを見たリヴィアは、ひらりとその背に跨る。
「サルトル、本当にありがとう!」
「いえ、どうぞお気をつけて」
「ああ!」
リヴィアは素早く馬首を巡らせると、強く手綱を引いた。腹にかかとを押し付けると、アルヴィスが少しずつ足を進め始める。
その速度は次第に上がっていき、リヴィアは正門を駆け抜けると、そのまま王都の中央路を疾走した。
(ラウルたちが向かうとすれば、おそらくルメンゾーラだろう)
以前実家で確認した地図をもとに、ラウルたちの行程を予測する。ルメンゾーラはルーベンの西に位置する巨大な街で、騎士団の大人数でも受け入れられる宿泊施設があるはずだ。
距離は普通の馬なら一日、だがアルヴィスの足であれば――
(まもなく日が落ちる……夜になる前に走破しなければ)
リヴィアが拍車を強く押し当てると、アルヴィスは「任された!」とばかりに強くいなないた。その期待に応えるかのように、四本の足でかろやかに疾駆する。
もちろん騎乗しているリヴィアにはかなりの振動と衝撃が伝うが、今はそれどころではないと、ただひたすらに街路を走り続けた。
陽が落ち、紅と濃紺が織り交ざっていた美しい空が黒一色に塗りつぶされる。空には星が無数に浮かんでいたが、リヴィアはその美しさに感心する余裕もなく、息を切らしながらアルヴィスを走らせた。
やがて松明の明かりが見え始め、リヴィアはようやく少しだけ速度を落とす。街の入り口には石を積み上げて作られたアーチがあり、リヴィアは肩で息をしながらその門をくぐった。
街中には白い石を敷き詰めた道が続いており、通りの左右には宿を兼用している酒場が軒を連ねている。
店先には脂粉の装いをこらした女性たちが立っており、王都とはまた違った夜の雰囲気に、リヴィアは周囲の様子を窺った。
(コサ・リカがいるとすれば、ラウルのところか? くそ、一体どこにいる……)
女が馬に一人で乗っている姿は人目を引くのか、リヴィアは先ほどからちらちらと視線を感じていた。仕方なくアルヴィスから下りると、適当な酒場へと足を向ける。店の脇にあった馬留につなぐと、そろそろと店の扉を押し開けた。
店内は酒とたばこの匂いが充満しており、リヴィアの姿に気づいた男たちが、一斉に好奇の目を向ける。
だがリヴィアは我関せずとばかりに突き進むと、カウンターにいる店主へ声をかけた。
「すまないが、少しの間馬を預かってくれ。一番手前の黒い奴だ」
「……」
ちら、と片眉だけを押し上げる店主に向けて、リヴィアは何枚かの硬貨をカウンターに並べる。店主が受け取ったのを確認し、リヴィアはすぐに店を出ようとした。
だがその道を酔客の一人に止められる。
「お嬢ちゃん、随分良いとこの子だろ。どうしてこんな所に一人でいるんだ?」
「急ぎの用事があってな。ちょうどいい、今日この街に来た団体を見ていないか」
「団体ィ? あーそういや見た気もするなあ」
「本当か⁉ どこに行ったか場所は分かるか?」
「ただじゃあ教えられねえな、ちょっと相手してくれよ」
すると酔客はぐいとリヴィアの手首を掴むと、するりと体に手を回してきた。鼻先をかすめる臭気にリヴィアが顔を顰めていると、男の手がそろりと這い上がって来る。
気づいたリヴィアは目を眇めると、すばやく男の胸元に手を伸ばした。
「いやー本当にかわいいな。こりゃあ楽しめそ、う――?」
「相手をすればいいんだな?」
男の顔色が一瞬にして青くなった。
そろそろと動かした視線の先には鋭いナイフの刃先があり、今まさに彼自身の首筋に添えられている。
男が隠し持っていた刃物を奪い取ったリヴィアは、にっこりと口角を上げた。
「ナイフか? 剣か? どちらでもいいぞ」
「あ、いえ、もう、十分ですぅ……」
男は細切れの言葉を発したのち、恐る恐るリヴィアに回していた腕を離した。だがリヴィアはナイフを手にしたまま、なおも酔客に詰め寄る。







