第一章 3
「そ、それは……ちょっと難しいかな」
「やはり高価すぎましたか」
「ち、違う違う! だって危ないでしょう、剣なんて。怪我したら大変だ」
「ですが父上、私は出来れば剣術を習いたいと」
「だ、ダメだよ! 女の子なのに、そんな危ないこと」
「しかしゲインズ卿のご子息は、まだ十歳だというのに剣を買っていただいたと……」
「ゲインズ卿はご自分の騎士団をお持ちだからね。きっと息子さんに後を継がせるおつもりなんだろう」
その言葉にリヴィアはむむ、と口を閉じた。
リヴィアの家は伯爵の名を有しているが、騎士団を持てるのはそれより上の公爵・侯爵からとなる。ならば、とリヴィアは言葉を続けた。
「では馬が欲しいです!」
「馬? ああ、リヴィア専用の馬車ということかな?」
「いえ、座席はいりません。馬を一頭と、あと出来れば鞍と鐙、手綱もいただければ」
「う、厩はあるから、リヴィアの気に入る馬を買ってあげることは出来るけれど……でもどうして鞍?」
「もちろん乗るためですが」
「……もしかして、リヴィアが?」
「はい」
「だ、だめだめだめ! 女の子が一人で馬に乗るなんて!」
「ですがゲインズ卿のご子息は」
「落馬でもして、怪我したら大変でしょ⁉ 馬車に使うならいいけれど、乗馬はさすがに……」
「そう、ですね……」
何でもという父親の言葉に甘えてみたが、たしかに周りの子女の中に、一人で馬に乗れるというものはいない。女性は馬車で移動することが普通で、馬車が入れない狭い道は人による輿や、男性が操作する馬に同乗するのが一般的だ。
リヴィアは軽く唇を噛んだ。だがおろおろと困惑している父親の姿を前に、すみませんとごまかすように微笑む。
「冗談です。では……花をいただけますか?」
「お花……うん、わかった。すぐに部屋に届けさせよう」
ありがとうございます、と答えたリヴィアは、そのまま書斎を後にした。自室に続く長い廊下を、心なしか重い足取りで戻って行く。
(剣に馬……たしかに私くらいの年頃の女性が望む品としては、少しおかしいか……)
剣を習いたい気持ちも、一人で馬を限界まで走らせたい気持ちにも偽りはない。だがこんなありのままの自分を許してくれる、優しい両親を困らせてまでしたいわけではないのも確かだ。
リヴィアは胸の奥に宿る、もやもやとした気持ちを抱えながら、誰にも聞こえぬため息を落とした。
そして一か月後、リヴィアは王宮で開催されたパーティーに出席していた。
(はじめて登城したが……広いな、近衛兵の守りも申し分ない)
天井には神の御使いや妖精が艶美な筆致で描かれており、巨大なシャンデリアが美しいアシンメトリーに配置されている。あの一つ一つに火を灯す使用人の気持ちを考えると、リヴィアは心からの慰労を贈りたくなった。
ホールの正面、二階部分には王族らが座っているようだが、分厚い天蓋に覆われていてその顔を窺い見ることは出来ない。リヴィアは全体の構造をざっと視認した後、細いグラスを手にして壁際に身を寄せた。
父親が準備してくれたドレスは、眩いばかりの純白だった。
角度によってしっとりとした光を弾く高級な生地で、デザインは腰の高い位置で切り返しを付ける、いわゆるプリンセスライン。鎖骨から肩にかけては大きく露出しており、あまりの防御力の低さに、リヴィアは一瞬着るのを躊躇ったほどだ。
しかし父親から「素晴らしい出来だろう? きっとリヴィアに似合うと思うよ」と得意げに語られてしまい、もうそれ以上何も言えなくなってしまった。
白銀の髪は丁寧に編み込まれ、途中途中に小さな真珠をあしらっている。その頂点には小粒のダイヤモンドをあしらった繊細なティアラが留められており、まるで雪の女神のような可憐な印象を与える出で立ちであった。
事実、容姿もスタイルも他から飛び抜けているリヴィアの姿を、同じく成人を迎えた子息たちが遠巻きに眺めている。だが当のリヴィアは、真っ黒いガラスに映る自身を見て、はあと嘆息を漏らした。
(とりあえず、時間が過ぎるのを待とう……)
満面の笑みで送り出してくれた両親には申し訳ないが、リヴィアはこうした華やかな場があまり好きではない。
本来であれば女性たちの元へ行き、互いのドレスを褒め合ったり、将来の旦那様を探したりする場なのだろうが……リヴィアはどうしても、それをしている自分の姿を思い描けなかった。
(でもいつかは私も、結婚しなければならないんだな……)
貴族の結婚がどういうものかは、リヴィアも理解していた。
もちろんこうしたパーティーで意気投合し、互いの地位や爵位が申し分なければ、本当に好きな人と結ばれるケースもある。実際リヴィアの両親はその稀有な例であり、そのせいか未だに人目をはばからずいちゃついていることが多い。
だが大抵の場合は、家同士の繋がりや弱点を補完しあえる関係――結果として、見合いや縁談などで夫婦となることがほとんどだ。中には相手の顔すら知らないまま、婚約させられることもあるらしい。
(することに異論はないが……はたしてこんな私を、受け入れてくれる家があるだろうか)
出来るなら一人で馬に乗ることを許してくれる相手であってほしい、と考えた後、そんな相手いるはずがないだろうと一人首を振る。
やがて楽団の音楽が、がらりと雰囲気を変えた。旋律に合わせるようにして、隠されていた二階の展望席の幕が上がる。
奥から現れたのは、豪奢な衣装に身を包んだ男女。
おそらく国王陛下とその伴侶だろう。
「成人を迎えた諸君、本当におめでとう。これからも我が国の発展のため、互いに力を尽くしていこうではないか」
権力者特有のゆったりとした、かつ強い力が込められた言葉を受けて、階下では自然と拍手が沸き起こった。リヴィアも長い手袋に覆われた手で、控えめに賛辞を贈る。
その後も国王は、将来このレーベンを担う若者たちに向けていくつかの話を披露し、優雅な所作で覆いの奥へと戻って行った。それに準じるように隣にいた王妃と、側近らしき人影が移動するのを、リヴィアはぼんやりと見つめる。
二階の幕が下り緊張の解けた会場内に、再び華やかな空気が戻って来た。あちこちから談笑の声が上がり始め、リヴィアもまた今日の仕事は終わったとほっと胸を撫で下ろす。
(とりあえず陛下のお顔は拝見した。後は迎えが来るのを待つだけだ)
ここまで送ってくれた御者には、早めに迎えに来てもらうよう頼んである。月の傾きから見て、あと三十分というところだろうか。
一気に肩の力が抜けたせいだろうか、リヴィアは急に空腹感を覚えた。
(ふむ、せっかくだ。食料を調達しておくか)
空になったグラスを使用人に渡し、会場中央に置かれているテーブルへと向かう。極彩色の花飾りを中心に、肉や魚、フルーツと豪勢な料理の数々が並んでいた。脇に控えていた使用人から皿を受け取ったリヴィアは、迷うことなく肉料理の前に立つ。
(豚に鳥、鹿もあるのか。あれは鴨か? 素晴らしいな!)
嬉しくなったリヴィアは、どれを食べようかとじっくり吟味する。すると突然背後でかしゃん、と食器の落ちる音が響いた。驚いたリヴィアが振り返ると、そこには大きく目を見開いた一人の青年が立っている。
「――ベアトリス、さま」
青年はどうやら騎士らしく、よくある礼装ではなく黒い軍服を着ていた。背はかなり高く、隣にいる子息より頭一つ抜き出ている。
漆黒の髪に、深い紫色を宿した瞳。非常に端正な顔立ちをしており、周囲の女性陣が頬を染めて彼の方を見ていた。だが当の青年はそんな視線に一切気づいていないらしく、真っ直ぐにリヴィアだけを見つめている。
辺りの喧噪が一瞬にして止み、リヴィアも思わず青年に視線を返した。
その瞬間――猛烈な勢いで記憶が巻き戻されて行く。
(なんだ、これは⁉)
敵兵の奇襲。
逃げまどい、死んでいく仲間たち。
事切れた愛馬。
そして――
「……ルイス?」
何故、その名前が出たのかリヴィアにも分からなかった。
だが気がついた時には口から零れており、それを聞いた青年はさらに大きく目を見張る。その深紫の目を前に、リヴィアはようやくすべてを思い出していた。