第三章 5
そして週末の夕方。
久しぶりにお嬢様を着飾らせることが出来る、と目を輝かせているメイドたちとは裏腹に、リヴィアは忘れかけていたコルセットの苦しさを再認識していた。
(ここ最近、動きやすい恰好しかしていなかったからな……だがさすがにパーティーに男物を着て行くわけにはいくまい……)
結い上げた銀の髪には白い花が飾られており、ドレスは水鳥のような細い首筋と鎖骨を見せるデザインだ。以前よりさらに引き締まったリヴィアの線を強調するように、上部分はぴったりと体に添っている。
一方スカート後ろのトレーンは長めに作られており、青色、薄紫、深紫と美しく重ね合わされた布地が大人びた印象を与えていた。色だけでも希望を伝えていて良かった、とリヴィアは胸を撫でおろす。
「そういえば、ロイドはまだ来ていないのか?」
「はい……そろそろ時間のはずなのですが……」
仕上げに、大粒の真珠が載ったネックレスをつけてもらいながら、リヴィアはううむと眉を寄せた。
(珍しいな。いつもであれば、約束の一時間前には到着しているのに……)
あの几帳面な従弟に何かあったのだろうか、とリヴィアも不安になる。するとサロンの扉が慌ただしく叩かれ、こちらの返事を待たずして母親が顔を覗かせた。
「リ、リヴィア、大変よ!」
「母上、どうされましたか」
「ラ、ラウル様が、いらしたの……」
突然紡がれた名前に、リヴィアは思わず顔を顰めてしまった。一方着替えを手伝っていたメイドたちはきゃあと色めきだっている。
訳が分からない、と勇ましく廊下に出て行ったリヴィアは、来賓室の扉を力強く開け放った。
すると中には優雅に足を組んでソファに座っているラウルの姿があり、近づいて来たリヴィアを見てにっこりと微笑む。
「やあ、リヴィア。今日は一段と美しいな」
「ラウル。何故突然家に来た?」
「それはもちろん、君をエスコートするためだ」
そう言うとラウルは、一枚の手紙をリヴィアに差し出した。訝しみながらも受け取り、封を開ける。
そこには今日の同伴を頼んだ従弟の直筆で『ゴメン怖い無理行けない譲ります』といった内容のことが書き記されていた。
「脅したのか」
「人聞きが悪い。僕は丁重にお願いしただけだ。君のエスコート役を代わってほしいと」
するとラウルは立ち上がり、静かにリヴィアを見下ろした。
「外に馬車も用意してある。いくぞ」
「断る」
「では一人で行くか? さぞかし注目を集めるだろうな」
「……」
リヴィア一人のことであれば、どれだけ言われようとも拒否していただろう。だが今宵のリヴィアにはレイラ家の名代であるという責任がある。
(だがラウルと共に出席すれば、婚約者としての地位を明らかにするようなものではないか……)
いくらリヴィアが違うといったところで、対外的に見るとラウルが優勢であると取られて間違いないだろう。いよいよ逃げ場が無くなり、リヴィアは唇を噛む。
すると部屋の外からなにやら騒がしい声がし始めた。
なんだ? とリヴィアが振り返ったのとほぼ同時に、背後にあった扉が勢いよく開かれる。
そこに現れたのは、かれこれ一週間会えていなかったクラウディオだった。
「クラウディオ! どうしてここに」
「サルトルから書簡をもらって、貴方がパーティーに参加されると聞きました。リヴィア様、俺にエスコート役をやらせてください」
クラウディオはつかつかと歩み寄ると、リヴィアの前に跪いた。よほど急いでいたのだろう、彼にしては珍しく肩で息をしている。
久しぶりに顔を見れた嬉しさと、先日の謝罪が終わっていないあれそれもあり、リヴィアは思わず赤面した。
するとリヴィアとクラウディオの間に割り込むようにして、ラウルが立ちふさがる。
「もう遅い。リヴィアは僕が連れて行く」
「選ぶのはリヴィア様です。貴方が決めるものではない」
すっくと立ち上がったクラウディオが、真正面からラウルの挑戦を受け止める。ラウルもまた苛立ちをあらわにしており、いますぐ抜剣して戦いそうな緊張感が二人の間に漂い始めた。
(これは……まずいぞ……)
それを見てリヴィアは、かつてベアトリス時代に見た史上最悪の喧嘩を思い出した。
当時ベアトリスの上司にあたるバルデス将軍が、軍議の結果について参謀と言い争いになったことがある。互いに主張を譲らなかった結果、一時的に隊の派閥が二つに分かれるまでの事態になったのだ。
結局その時は陛下が仲裁に入ってくれたのだが、地位が拮抗している二人の争いは周囲を巻き込んでより酷いことになる、と痛感したものだ。
それがまさに今、再現されつつある。
(二人とも断るか? だが今からロイドを引っ張り出すことは不可能だ。といってラウルと一緒に行きたくはないし……クラウディオ、は……)
思わず手で鼻に触れたリヴィアは、ぶんぶんと首を振った。
馬車でも会場でも二人きりだなんて、もう少し心の準備をしないと何をやらかすか分かったものではない。
だがその間にも二人の言い争いは続いており、なにげに観客まで増えつつあった。メイドたちはもちろん、リヴィアの母親などはもはや思春期の少女のように目を輝かせ、麗しい容貌の男が争うさまを眺めている。
言いようのない重圧がリヴィアを襲った。
どちらだ。どちらを選ぶのだ、という観衆の声が聞こえてくるかのようだ。
「――分かった。では、こうするのはどうだ?」
いよいよいたたまれなくなったリヴィアは、かつての陛下のやり方を倣い、一つの提案を持ち出した。
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ガタゴトと揺れる馬車の中、リヴィアは眉を寄せていた。
「おいクラウディオ、あまりこっちに来るな」
「貴方こそ、リヴィア様との距離が近いのでは?」
(狭い……)
苦悶の原因は明らかで、リヴィアは狭い馬車の中、クラウディオとラウルに挟まれる形で座っていた。
わずかに客車が大きいという理由でラウルの馬車を選んだのだが、しょせんは二人がゆったりと座れる程度。
三人、そのうち二人は体格のいい男とあっては、座席がいっぱいになってしまうのも無理はない。
(どうしてこんなことに……)







