第三章 4
その日の夜。リヴィアは自室で、数を倍に増やした腕立て伏せをひたすらにこなしていた。
だが無心というわけにはいかず、ふとした瞬間にクラウディオとの一件が脳裏に呼びおこされてしまう。
(うう、明日からどんな顔して会えばいいんだ……)
腹筋に移行した後も悶々とした感情は収まらず、リヴィアはなかば自棄になって鍛錬を続ける。
すると扉を叩く音がし、父親が姿を見せた。汗だくになっている娘の様子に、ぎょっとしたように目を剥く。
「リ、リヴィア? 精が出るね……」
「すみません父上! どうされましたか、こんな時間に」
「いや何、明日からちょっと出かけるから、先に頼んでおこうと思ってね」
そう言って父親が差し出したのは、金粉を織り交ぜた封蝋の手紙だった。王族からの手紙を意味するそれに驚いていると、父親が事の次第を説明してくれる。
「実は来週、急遽王宮でのパーティーが開催されるらしいんだ。なんでも王妃の姪御さんの婚約が決まったとかで」
「それは良いことですね」
「それで国内の伯爵位以上に招待が届いたんだけど、僕ちょっと遠方に出るから、戻れるかが微妙なんだよ」
「欠席ではダメなのですか?」
「ダメではないけど、あまり印象は良くないかなと。多分ほとんどの貴族が参加するだろうし」
ふむ、とリヴィアは汗をぬぐいながら逡巡する。
前回のデビュタントでは考えなかったが、王宮で開催されるとなればパートナーの同伴は必須だろう。仮に母親が代理出席するとなれば、夫以外の相手を同伴させることになりいささか外聞が悪い。
その点リヴィアであれば、まだ婚約者を選定している間なので、特に決まった相手を選ぶ必要はないというわけだ。
「分かりました。私が代わりに出席しましょう」
「話が早くて助かるよ。それでパートナーだけど、どうする? 一応まだ婚約は決まっていないから、誰とという決まりはないけれど……」
「そ、そうですね……」
正式な婚約をしていないとはいえ、申し込みをされている以上、その候補者の中から選ぶのが一般的だろう。
ならば、とリヴィアは口を開く。
「であればクラウディオ、で、……」
だが言いかけて、むぐと口を閉じた。
今までであれば、そつなく振るまえたかもしれない。しかし好きだという気持ちを自覚した今、パーティーで二人きりになって冷静でいられる自信がなかった。
「すみません。やはり、従弟のロイドに連絡を取ってもらえますか」
「それはいいけど、良いのかい? お二人のどちらかにしても……」
「いえ。ま、まだ、心の準備が出来ていませんので」
複雑な表情を浮かべるリヴィアを見て、父親は少し心配しているようだった。だがすぐに快諾すると、明日にでも従弟に手紙を出すと言ってくれた。
父親が去り、一人になった部屋でリヴィアはぼんやりと手のひらを見つめる。
(でも……ずっと逃げているわけにもいかないよな)
明日クラウディオに会ったら。
今日の非礼を詫びて、そして――
その先の言葉を考えたリヴィアは、引いていた汗がじわりとにじみ出るのを感じていた。好きだという思いを相手に伝えるのは、こんなに勇気がいるものなのかと改めて驚かされる。
(ええい! 悩むのはやめだ! 覚悟を決めろ!)
まるでかつての戦いに挑む夜のごとく、リヴィアは拳を握りしめると、最後に残された背筋のメニューに取り掛かるのであった。
だが翌日、決意も新たに執務室に向かったリヴィアは思わず脱力した。
「いない? 今日から一週間?」
「はい。昨日団長から言われませんでしたか?」
「あ、ああ……」
おそらくクラウディオは言うつもりだったのだろう。
だがリヴィアが逃げ出してしまったため、伝えることが出来ず、家に伝令を送る暇もなかった……というところか。
がくりと肩を落とすリヴィアに、サルトルが困惑する。
「ですから今日は来られないかと思って、私も訓練の予定を……すみません、見て差し上げる時間が」
「いや、気にしないでくれ。もうだいぶ扱いにも慣れたし、一人でも問題ない」
「ですがクラウディオ様からお一人ではと……」
するとサルトルは、名案を思い付いたとばかりに指を立てる。
「でしたら、私の訓練を見学されてはいかがでしょう?」
「見学?」
「はい。クラウディオ様から、リヴィア様は最新鋭の武器が好きだとお伺いしました。なのでもし興味がありましたら」
そんなことも話しているのか、とリヴィアは若干恥ずかしくなる。だが新しい武器に関心があるのは本当だ。
「すまないが、邪魔にならないのであれば、同行させていただけるだろうか」
「もちろん。では参りましょうか」
そうしてサルトルから連れてこられたのは、以前クラウディオと訪れた射撃場だった。
どうやらサルトルは騎士団でも希少とされる銃の名手らしく、剣よりも銃の方が持つ時間は長いそうだ。その技量を買われ、騎士団の面々への講師役も務めている。
サルトルは弾倉に弾を込め、照準を合わせる。
引き金を引くと、耳を覆いたくなるような爆音と共に、小さな弾が射出され――目視出来るのがぎりぎりという距離の的に、はっきりと穴が空いていた。
装填されていた五発をすべて命中させ、サルトルはようやく銃を下ろす。
「いかがですか?」
「素晴らしい威力だな……間違いなく戦局を一変させられる武器だ」
「ふふ、普通のご令嬢なら怖がって震えているものですが……リヴィア様は面白い方ですね」
興味津々といった様子で眺めるリヴィアを見て、サルトルはにっこりと目を細めた。ひとしきり全員への指導を終えた後、リヴィアの元に一つの銃を差し出す。
「良ければ、構えだけでもしてみますか?」
「いいのか⁉」
「はい。あれだけ『やってみたい』という目をされたら、こちらも無碍には出来ませんので。とはいえ危険なので、弾は抜いた状態です」
リヴィアはぱあっと花が咲くように笑ったかと思うと、いそいそと銃を手にした。見様見真似で構えていると、サルトルから細かい修正が入る。
「あまり背筋は伸ばしすぎずに、少し前傾姿勢の方が良いですね。思った以上の衝撃が来ますので」
「ふむ」
「銃床を肩に当てて固定します。この時顔を傾けて、頬で挟むようにすると照準が安定しますね」
初めてとる姿勢に、リヴィアはややぎこちなく固まった。
やはり剣とは全然違う、と実感しつつ、新しい武器を手にする喜びが抑えられない。
「あとは脇を締めて……発砲した瞬間、かなりの反動が来ますので、腰や膝を曲げて少しでも和らげるといいと思います」
「なるほど……しかしこの体勢で、あの遠い的に当てるのは大変そうだな」
「まあ、後は鍛錬を続けるしかありませんね」
そう言うとサルトルは微笑み、そっとリヴィアの持っていた銃を回収した。受け渡す際に見たサルトルの手は変わった位置が硬くなっており、リヴィアは改めて感心する。
(相当練習をしている手だ。やはり一朝一夕では身につかない技術なのだな)
鍛錬を怠らない者は無条件に尊敬する。リヴィアがうんうんと頷いていると、サルトルがそう言えばと尋ねてきた。
「週末に王宮で行われるパーティーは、レイラ卿が出席なさるのですか?」
「いや、父上は所用でな。私が代理で出ることになった」
「リヴィア様が?」
するとサルトルはふむ、と何かを考えるように顎に手を添える。その光景をリヴィアもまた不思議そうな顔で見つめていた。







