第三章 婚約者が何故か二人になった件
その日の食堂は、かつてない緊張に満ちていた。
「第二はこんなところで食事をしているのか。大変だな」
「そう思うなら来なければいいでしょう。何故わざわざ第一がここに?」
「ここは騎士団の食堂と聞いている。であれば、我らが使っても何の問題もないということでは?」
一触即発の空気で睨み合うのは、イルザをはじめとした第二騎士団の騎士たちと、それに真っ向から対立する第一騎士団だ。
その中央のテーブルには、彼らの統率者であるクラウディオとラウルが座った状態で対峙している。
「第一には専用のサロンがあるではありませんか。いつものようにそちらを利用すればいいのでは?」
「そうしたいのはやまやまなんだが、どうしてもこちらでしか食べられないメニューがあるのでね」
まるで一騎打ちでも始まるかのような剣呑な雰囲気に、二人の背後に立つ部下たちも爛々とした戦意を放っている。
少しでも刺激があれば爆発する――そんな只中に、リヴィアはお盆を手にテーブルの前に立った。
「待たせたな、『肉肉丼・改改』だ」
差し出されたのは歯ごたえのありそうな肉に目玉焼き、そしてさらに風味豊かなチーズが絡んだ丼だった。二つ並んだそれを前に、クラウディオとラウルはそれぞれ礼を述べる。
「ありがとうございます、リヴィア様」
「まさか君が料理をするなんてな。まあ手作りの菓子などは、貴婦人のたしなみともいう場合もあるし、腕は磨いて損はない」
「はは……」
ラウルがリヴィアに求婚――クラウディオへの挑戦状をたたきつけたことは、すぐにランディア家にも伝えられた。
リヴィアは必死にフォローしようとしたのだが、よほどショックだったのか「俺、絶対に負けませんから!」と強く手を握られただけだった。
おまけにその翌日、何故かラウルが食堂に姿を現した。
どうやらリヴィアがここで働いていることを聞きつけたらしく「そのような仕事はやめろ」と何度も苦言を呈された。
だがリヴィアが頑として突っぱねていると、事態を聞きつけた食堂の先輩方が、恐る恐るリヴィアの味方をしてくれたのだ。
思わぬ抵抗を受けて、以降ラウルが口を出してくることはなくなった。その代わり、何故か毎日のようにこちらの食堂に顔を出すようになってしまったのだ。
当然同じく毎日通っていたクラウディオとも遭遇する羽目になり――こうして日々、よく分からない戦いが続いている。
「君こそ、いい加減に手を引いたらどうだ」
「俺の方が先に通っているんです」
「そっちの話ではない。ベアトリスのことだ」
「それも俺が先なので、譲る気はありません」
(ああ、ややこしいことになっている……)
さすがに二人とも公爵家の人間だけあって、食べ方は実に綺麗で丁寧だ。だがその合間に差し挟まれる会話はとても穏やかなものではなく、正体を隠しているリヴィアにとっては冷や汗ものでしかない。
いい加減にうんざりして来たリヴィアをよそに、二人は特盛のそれを食べ上げていく。やがてほぼ同時に食べ終えたかと思うと、厨房の方を振り向いて声を揃えて叫んだ。
「おかわりを!」
「……」
それを見たリヴィアはため息をつくと、すたすたと二人が座るテーブルへと歩み寄った。バチバチと火花を散らすクラウディオとラウルを、そのままぎろりと睨みつける。
「お前たち、いい加減にしろ」
「は、」
「リヴィア?」
「ここは団員達皆の食堂だ。お前たちのせいで、食事が出来ず困っている者もいる」
淡々としたリヴィアの言葉に、二人はう、と言葉を呑み込んだ。
「二杯目はなしだ。食べ終えたのであれば、他の客のために速やかに席を空けろ」
その迫力に二人はおろか、背後にいた団員たちも沈黙する。こと第一に関しては「騎士団長相手によくそんな口を!」と驚いているのがありありと感じ取れた。
だが二人は激昂するでもなく、素直にその場を立ち退いた。慌てて第一騎士団の面々も食堂を出て行き、残された第二騎士団にどことなくほっとした空気が戻って来る。
リヴィアは険しかった顔を微笑みに戻すと、改めて彼らに席を勧めた。
「皆、すまなかった。さあ、どんどん注文してくれ」
その日の休憩時間は、リヴィアの話題で持ちきりになった。
「びっくりしたわよリヴィアちゃん! まさか公爵様相手にあんなにずばっと言えるなんて」
「いえ、元々は私のせいです。皆様にはご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「いいのよう。でもまさか、第一の団長さんともお知り合いだなんて思わなかったわ。もしかしてリヴィアちゃん、良いところのお嬢さんなの?」
「ええと、その」
伯爵家の令嬢だと分かれば、彼らとの関係性についても尋ねられることだろう。それが明らかになれば、今までのように働くことは出来なくなるかもしれない、とリヴィアは苦悩する。
(だが、このまま黙っておくのも限界があるぞ……)
やはりちゃんと話をしようと決心したリヴィアは、少し用事があるのでと言い残し、一人王城へと向かった。
ラウルのいる執務室は第二騎士団の棟からかなり離れた位置にあり、回廊を歩いていると多くの団員たちとすれ違った。
中には食堂での一件を見た者もいるらしく、どこか遠巻きにじろじろと観察されている。
(第二であれば、訓練や市街の警邏に出ている時間だが……本当に仕事の内容が違うんだな)
ようやくたどり着いた執務室だったが、扉の前には厳めしい顔つきの男がおり、リヴィアは思わず足を止めた。
どうやって入ろうかとためらっていると、タイミングよく執務室の扉が開き、中から褐色肌の青年が姿を見せる。
「ええと、コサ・リカ、だったか」
「! リヴィア様」
以前ラウルの傍にいた男だと思い出し、リヴィアは慌ててその背を呼び止めた。幸い向こうもリヴィアのことを覚えていたらしく、無表情ながらも警戒した様子はない。
「すまない。急で申し訳ないんだが、ラウルと話す時間をどこかでもらえないだろうか」
「少しでしたら、今取次いたしましょうか?」
「いいのか? 助かる」
コサ・リカは相変わらず真顔のまま、はいとだけ答えると、再び執務室へと戻った。すぐに扉を開けたかと思うと、どうぞとリヴィアを招きいれる。
おずおずと中に入る。
執務室の中には赤い絨毯が敷き詰められ、大きな絵画が飾られていた。高価な骨とう品なども並んでおり、ここだけ貴族の邸をそのまま切り取って張り付けたかのような雰囲気だ。
クラウディオの執務室は、黒を基調としたシンプルな造りなので、随分と印象が違うものだとリヴィアは思わず背筋を正す。
やがて机に向かっていたラウルが、ゆっくりと立ち上がった。
「ベアトリス、よく来てくれた」
「今はリヴィアだ。単刀直入に言う、婚約を取り下げてもらえないだろうか」
「まあそう急ぐな。とりあえず座れ」
やや警戒しつつ、リヴィアは勧められるまま窓際のソファに腰を下ろした。ラウルも向かいに足を組んで座り込む。
「で、僕に婚約を取り下げろと」
「そうだ」
「それはつまり、彼を選ぶと。そういうことかな」
「あ、ああ」
率直な返しに思わず赤くなるリヴィアを見つめ、ラウルはふうんと顎に手を当てる。
「たしか、彼は君の腹心だったと言っていたな。その時から恋人関係だったのか?」
「ち、違うぞ⁉ あいつは優秀な部下だったが、そうした関係だったことは一度もない。婚約を申し込まれたのだって、こちらに来てから……いや、それは前世からになるのか……?」
「何はともあれ、彼が君に出会ったのはつい先日のこと。それは間違いない」
つまり、とラウルは言葉を区切る。
「君の気持ちが彼に傾いたのは、ここ最近ということだ。それならば、僕の方も条件は変わらない。むしろ過去に婚約者であった僕の方が、ずっと君のことが好きだったという自負も自信もある」
「そ、それは」
「リヴィア、僕は本気だ。今度こそ本当に君と結婚する」
「ディ、ディエゴ?」
「ラウルだ。悪いが君を思っていた時間なら、あいつより僕の方がはるかに長い。それを単に先に申し込まれたからというだけで、諦めるつもりはさらさらないんだ。今はあいつに傾いているかもしれないが、その気持ち、今度は僕に向けて見せる」







