第二章 9
「違うんだラウル、私が頼んだんだ。いざという時に、戦う力がほしいと――」
「ベアトリスたっての申し出であっても、僕であれば絶対に許可しない。副隊長というくらいなら、彼女がどんな非業の死を遂げたか一番近くで見ていたはずだ。それなのに何故、みすみす彼女を危険に近づけようとする!」
「ラウル――ディエゴ!」
これ以上は許さない、とリヴィアは吼えた。
だがラウルは譲る素振りすら見せず、クラウディオの弁明を待っている。やがてクラウディオは、まっすぐに顔を上げた。
「確かに、申し訳ないと思っています」
「クラウディオ……」
「俺も最初は、リヴィア様には戦いなど知らないままでいてほしい、俺が守って差し上げればそれでいい、と思っていました。……でもそれは、俺の傲慢でしかないと気づいたんです」
「何?」
「剣を構えている時、馬で駆けている時……リヴィア様は、本当に嬉しそうなんです。俺はそんなリヴィア様を見ているのが好きで、……だから俺は、籠に入れて守るのではなく、隣に立って一緒に戦おうと、そう、思ったんです」
クラウディオの言葉に、リヴィアはこくりと息を呑み込んだ。
彼は――本当なら剣など教えなくても良かった。結婚だってただリヴィアを手に入れたいだけなら、公爵家の力で圧力をかければどうとでもなったはずだ。
でもクラウディオはそれをしなかった。
それはきっとすべて、今のリヴィアのため。
(クラウディオは、私の在り方を、気持ちを、……大切にしてくれている)
嬉しいような、申し訳ないような複雑な感情に、リヴィアは傍にいるクラウディオの袖をそっと掴んだ。するとそれに気づいたのか、クラウディオがわずかに視線を落とす。
不安そうなリヴィアに気づいたのか、にこ、と優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫です。必ず、俺が守りますから」
「クラウディオ……」
そんな二人の様子を見つめていたラウルは、しばし押し黙った後、ようやく溢れんばかりの殺意を鞘に納めた。いまだ警戒するリヴィアに向けて、ゆっくりと目を細める。
「まあ、このような往来の場でする話ではないな」
「ラウル……」
「今日のところは引いてやる」
やがてラウルが完全に回廊の向こうに消えたのを確認し、リヴィアはようやく胸を撫で下ろした。今更になって自身の手が震えていたことに気づき、ぎゅっと握りしめる。
前に立つクラウディオも小さく息をつくと、ゆっくりとこちらを振り返った。
「すみませんリヴィア様、もっと早くに助けに来れたら良かったのですが……」
「いや助かった。ありがとう」
「いえ……」
だがクラウディオは、何か言いたいことがあるかのように、じっとリヴィアの目を見つめていた。しかしすぐに微笑むと、何事もなかったのように歩き始める。
「遅くなってすみません。では、訓練に行きましょうか」
「あ、ああ」
何も言わずいつものように接してくれるクラウディオを、リヴィアもまた思いつめたように眺めていた。沈黙の中、静かに心を決める。
(クラウディオ、私は――)
その日の夜、リヴィアは父親のいる書斎を訪れた。
「父上、お話がございます」
「おおおリヴィア! 丁度よかった、僕も話をしたいと思っていたんだ」
やはり父上も同じ気持ちだったか、とリヴィアは苦笑した。急かすことなく待っていてくれた両親の優しさに感謝しつつ、リヴィアはようやく口を開く。
「実は、婚約の話をお受けしようかと――」
「実は、リヴィアに新しい婚約の申し込みが来たんだよ!」
それぞれ口にした父娘は、互いに相手が何を言ったか聞き取ろうと、揃って口を閉じた。結果沈黙が生まれてしまい、リヴィアは「うん?」と首を傾げる。
(今……何と言った?)
視線で父親に合図を送り、うんうんと何度か頷いたのち、二人ははあと息を吐き出す。どちらから話すかと身構えた瞬間、書斎のドアが開き、この世の春が訪れたかのような喜びようで母親がふわりひらりと廊下からやって来た。
「リヴィア! ちょっともう、どういうことなの?」
「は、母上? 一体何が」
「あなた宛てに、オルランド公爵家から婚約の申し出が届いたんですって!」
(はあー⁉)
オルランド公爵――間違いない。ラウルの家だ。
まさかこんなに早く話が来るとは思わず、リヴィアはうっかり白目をむきそうになった。クラウディオといい、ラウルといい、公爵家という生き物は行動が早いのが標準装備なのだろうか。
「やだもう、あんな素敵な方々と縁続きになるだなんて。クラウディオ様も精悍で恰好良かったけど、ラウル様も金髪碧眼の王子様みたいな方よね。迷うわあ」
「マ、マリア⁉ 言っておくけど君が決めるわけじゃないからね⁉ リヴィアがどちらを選ぶかであって、というそもそも、君は僕の奥さんなんだからね⁉」
「まあ、もちろん分かってるわあなた。私があなた以外に恋するわけないじゃない」
「そうだったね……疑ってごめんよ、僕の愛しい薔薇……」
「お二人とも! 盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが、私はもう――」
「という訳だからリヴィア。この半年間でどちらがいいか、じっくり確かめるんだよ」
父親の力強い言葉に、リヴィアは分かりやすく眉を寄せた。
「……父上? どういう意味ですか」
「この国では昔から、婚約の申し出が同時期に重複した場合、半年の精査期間を設けるしきたりがあるんだよ」
「ど、どうしてそのようなことを?」
「昔一人の令嬢に、婚約の申し込みが殺到したことがあったらしくてね。ただその令嬢は元々好きな相手がいたらしくて、他の縁談をすぐに断ってしまったらしいんだ。ただその相手方の身分が高かったらしくて、矜持を傷つけられたと怒った貴族たちが、ちょっとした争いを起こしてしまったらしいんだよ」
その騒ぎ自体は比較的軽微に収まったのだが、また同じようなことが起きてはまずい、と国は諸侯たちに厳命を下した。
要するにこの半年の間に、それぞれで話し合い穏便な解決策につなげてほしいという狙いがあるのだろう。
もちろん令自体は時と共に形骸化してしまい、罰則などを受けることはない。だが今も貴族たちの間では、暗黙の了解として残っているそうだ。
知らなかったリヴィアは恐々と父親に尋ねる。
「ち、父上、その半年は絶対なのでしょうか。例えば、私が返事をすれば――」
「それがねリヴィア、きちんとすべての求婚者のことを知るまで、その間は婚約の返事が出来ないようになっているんだよ」
「返事が……出来ない?」
「男性側から求婚を取り下げてくれれば、問題ないんだけれどね」
リヴィアは頭が痛くなってきた。
たしかに結婚に興味がなさ過ぎて、こうした色々を調べてこなかった自身の無知は反省したい。だがこの仕組みではいつまでも婚約出来ないのでは⁉ とリヴィアは頭を抱える。
そんなリヴィアの葛藤も知らぬまま、両親は嬉しそうに目を輝かせた。
「幸いどちらも騎士団長様。王宮で会う機会は多いだろうから、しっかりとお二人の人となりを見て、リヴィアが良いと思う方を決めるんだよ」
「父上、私は」
「無理にすぐ決める必要はないわ。お二人とちゃんとお話しして、リヴィアが本当に一緒にいたいと思う相手を選ぶのよ。私たちみたいにね」
「マリア……!」
「あなた……!」
(これはもう、だめだ……)
公爵家から二件も申し込まれるなんて、と両親は完全にきらきらとした乙女の瞳を輝かせている。こうなるとリヴィアがいくらかみ砕いて説明したところで、早まってはだめだと否定されるのがオチだ。
(なんかもう、どこかに旅立ちたい……)
アルヴィスに乗って草原を駆けたら、さぞかし気持ちが良いことだろう。そんな夢想を描きながら、二人の興奮が冷めるまでは話も出来ない、とリヴィアは肩を落とした。







