第二章 8
「ディエゴか⁉」
「ベアトリス⁉」
青色の目を輝かせながら、ラウルはクラウディオを押しのけると、リヴィアの前に跪いた。そのままリヴィアの手を両手で握りしめる。
「本当にベアトリスか⁉ まさか、この世界でも再会出来るなんて……」
「驚いた……。まさかお前まで騎士団にいるなんて」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
たまらず制したのはクラウディオだ。しゃがみこんでいるラウルを無理やり立たせると、ぐいぐいとリヴィアとの距離を空けさせる。
「リヴィア様、一体どういう――」
「彼はディエゴ。私と同じロランド軍の隊長だ」
「は⁉ じゃ、じゃあ……」
「我々と同じ前世、というわけだ。もっとも管轄がかなり離れていたから、君は面識がなくとも不思議ではない」
「それだけじゃないだろう?」
目の前でにっこりと微笑むラウルを前に、リヴィアは呆れたように息をついた。
「あれは前世の話だ。今はもう関係ない」
「何を言う。むしろ以前より好都合だ」
「あの時だって、家同士が勝手に決めたことだ。私は一度たりとも了承していない」
「僕はずっと本気だったが」
「あ、あの、一体何の話を……」
どことなくとげとげしい雰囲気になるのを見かね、クラウディオが口を挟んだ。リヴィアは反射的に口を開くが、すぐにむぐと引き結ぶ。
だがリヴィアのだんまりをあざ笑うかのように、ディエゴ――ラウルは艶やかな笑みを浮かべた。
「僕とベアトリスは幼馴染で、婚約者だったんだ」
「ディエゴ、何を勝手に」
「彼も前世を知っているんだろう? ならちゃんと紹介した方がいい」
「だからあれは私の意志ではないと、何度も伝えたはずだ! ク、クラウディオ違うんだ、婚約と言っても家柄だけで父上が選んだ相手で、今の私とは関係なく――」
「こん、やくしゃ……?」
決死のリヴィアの否定も虚しく、クラウディオは呆然とした様子で二人を見つめていた。その表情を見たリヴィアは、かつてないほどの動揺をあらわにする。
(ええい、なんで私はこんなに慌てている⁉ クラウディオに婚約者だとばれたくなかったのか? 前世で関係は終わっているのだから、別に知られても構わないだろうに、どうしてこんなに罪悪感がある!)
自身でも訳の分からない焦燥にかられるリヴィアをよそに、ラウルは対照的な二人を見て嬉しそうに口角を上げていた。
やがて取り乱すリヴィアの前に立つと、一つに結んでいた髪の端をからかうようにつまみ上げる。
「まるで浮気がばれたかのような慌てようだな」
「何を言っている⁉」
「だがそう冷たくしないでくれ。さっきも言ったが、僕はずっと本気だった」
するり、とラウルの手からリヴィアの髪が零れ落ちた。
「たとえ家が決めた婚約だったとしても、僕はずっと君のことを愛していた。それなのに君はいつも戦いに向かってばかりで、僕の方を振り向きすらしなかった」
「当然だろう、私は軍人だ。国を守らずしてどうする」
「確かに君は、いっそ反則的なまでに強かったからな。だがそのせいで上層部に目を付けられて、最前線に送られ続けた。あれも君の望みだったのか?」
「それは……」
「挙句の果てに、あのゾアナの戦いだ。諜報から情報を吐かせたが、君の持つ装備や軍勢では、不十分なことは明らかだったはず。それを上が君の技量ならば問題はないと、無理に派遣させたんだろうが」
「違うディエゴ。軍部はあの時すでに、物資の調達すらままならない状態だった。あれでも必死に集めてもらったんだ」
「知ったことか。おまけに僕が遠征で出ている時に、普段ではありえない速度で出立が決まったと聞いた。僕がいたら真っ先に反対すると分かっていたからだ!」
するとディエゴはリヴィアの手をとると、自身の腕の中に抱き寄せた。突然のことにリヴィアは必死になって押し剥がそうとするが、力が強くて一向に叶わない。
やがて頭上から、絶望にも近いラウルの後悔が聞こえて来た。
「そのせいで僕は――君の死に目に、会えなかった……」
「……ディエゴ」
「ずっと悔やんでいた。どうして君を先に死なせてしまったのかと。命令なんて無視して、君の元に駆け付ければ間に合ったのではないかと。あの時の僕を思い出すと、今でも本当に無力で、なさけなくて」
「君のせいじゃない。ただ……私が力不足だっただけだ」
リヴィアが諭すように言い聞かせると、ラウルはようやくわずかに体を離した。リヴィアの目を真摯に見つめたまま、何かを懐かしむように目を細める。
「変わらないな、君は。でももういい。こうして再会出来たのだから」
「ディ、ディエゴ?」
「今はラウルだ。ベアトリス――今度こそ、結婚してくれ」
突然のプロポーズに、リヴィアは全身の毛が逆立ったのかと思うほど、緊張に身を強張らせた。だが見つめてくるラウルの目は本気で、決して冗談で言っているようには見えない。
「ラ、ラウル。落ち着け。私たちは、ついさっき知り合ったばかりだぞ」
「前世で婚約者だったんだから、時間なんて関係ないだろう。僕はずっと、君が戦いに行かなくて済むにはどうすればいいか考えていた。今の状態は願ってもない」
「ど、どういうことだ?」
「君には僕の婚約者として、完璧な令嬢になってもらう。剣も槍も握らせない。馬なんてもってのほかだ。部屋では読書か刺繍をして、僕が選んだドレスを毎日身に纏い、美しい庭園の中でのんびりとお茶会を楽しんでもらう!」
(い、いやだーー!)
普通の令嬢であれば、目を輝かせて飛びつきたくなるのかもしれないが、リヴィアにとって地獄にも近い将来図だった。
ようやく我に返ったリヴィアは、ラウルの腕を渾身の力で抜け出すと、慌ただしく距離を取る。
「こ、断る! だいたいお前は公爵家だろう? 今の私とはつり合いが」
「そんなもの、どうとでも言ってねじ伏せるが」
(この世界の公爵家、こんな奴ばかりだな⁉)
ううと警戒を露わにするリヴィアに、じりじりとラウルが迫って来る。だがそこで、ようやく復活したクラウディオが立ちはだかった。
「ま、待ってください!」
「なんだ、クラウディオ」
「リ、リヴィア様には、俺が先に結婚を申し込んでいるから、ダメです!」
その言葉に、ラウルの目が獲物を狙う猛禽類のように鋭くなった。なまじ顔が良い分、憤りを孕んだ笑みは一種の恐怖でしかない。
「――君が?」
「は、はい」
「……そう言えば、君もロランドの名を知っていたな。もしかして同じ前世か」
「ベアトリス様の側近、副隊長を務めていました。ルイスといいます」
「……」
するとラウルは、その完璧な微笑をリヴィアの方に向けた。口にはしないものの、リヴィアは強敵と対峙したかのような緊張を走らせる。
「ベアトリス――今はリヴィア、と言うのか。よく考えてみればおかしいと思ったんだ……どうしてこんなところにいる?」
「け、剣を習っているんだ。彼――クラウディオから」
「剣、だと?」
再びラウルの視線がクラウディオにぎゅんと戻される。
だが全身氷漬けにされそうなそれを前にしても、クラウディオは一歩として引かなかった。睨み合う二人の間に、ラウルの低い声が響く。
「貴様、何を考えている」
「……?」
「たとえ前世がベアトリスであろうとも、今の彼女はか弱く繊細なただの女性だ。そんな相手に剣を教えるとは正気か?」
本気で怒っている、とリヴィアはたまらず口を挟んだ。







