第二章 7
やがて二週間が経過した。
動きやすいよう髪の毛を高い位置で結んだリヴィアは、いつものように食堂から厩舎への餌運び。アルヴィスと軽く走った後、クラウディオの執務室へ向かう。
最近では食堂の手伝いもすっかり板についたようで、肉肉丼・改の売り上げも少しずつ上がってきた。料理自体も楽しくなってきて、家に戻っても厨房を借りて試作品を作ったりしている。
(早く新しいメニューを開発しなければな。クラウディオも毎日では飽きてしまうだろうし……)
剣もだいぶ以前の感覚を取り戻しつつある。
もちろんベアトリスだった頃の技量はないが、重量に体を持っていかれることもなく、思う形で動けるようになった。
毎日部屋でこっそりと実施している腹筋・背筋・腕立て伏せ各百回の効果も現れているのかもしれない。
だがそれ以上に指導が適切である、とリヴィアは痛感していた。
(クラウディオはすごいな。以前の剣術だけではなく、新しい技巧についても見識が深い。私一人で修行していては、ここまで早く上達出来なかっただろう)
もちろんリヴィアだけではなく、他の騎士に対してもクラウディオは同様に教授していた。騎士団長としての業務をこなしつつ、部下たちの鍛錬にもよく顔を出しており、厳しくも分かりやすい彼のやり方は、第二騎士団全体の士気を上手く高めている。
そこにはかつて自身の部下であったルイスの面影はなく――立派な騎士となったクラウディオの横顔を思い出したリヴィアはううむと眉を寄せた。
(そろそろ、プロポーズの返事をしなければ……)
毎日顔を突き合わせているので、すっかりタイミングを逃してしまったが、クラウディオの求婚について返事を保留したままだ。
クラウディオは剣を教えるのとそれとは別物ですからと気遣ってくれたが、やはり彼の優しさに甘えてしまっているようで申し訳ない。
(私もクラウディオのことは、す、好きだと思う……。だが本当に私で良いのだろうか……)
彼からの親愛を疑っているわけではない。
ただ記憶を取り戻したリヴィアは、今まで以上に令嬢らしさから遠ざかっている気がするのだ。強くなったことを実感するのが楽しくて仕方がないし、食堂でコマネズミのように働いているのも新鮮で面白い。
だが結婚すれば、当然次期公爵夫人としての振る舞いが要求されるだろう。そんな時、自分では求められる役割をこなせる自信がない。
もちろん端から努力を投げ出すつもりはないが、リヴィアの未熟な言動が元で、クラウディオが辱められるのは嫌だ。
(結婚を考えるのではあれば、やはり剣ではなく、社交や学問に尽力すべきなのか? でも私は……)
リヴィアはうんうんと苦悩しながら、回廊の角を曲がる。
すると前方で何やら雑談をしていた男たちとはたと目が合った。男たちはリヴィアを見て驚いていたが、すぐににこやかな笑みを浮かべて近づいて来る。
「こんなところに素敵なお嬢さんが。どうしたの?」
「団長の執務室に行くところだが」
「団長のご友人でしたか、良ければ我々がお連れしましょうか」
「大丈夫だ。場所は分かる」
「まあまあそう邪険にしないで。せっかく知り合えたわけだし」
(なんだ、こいつら……)
いきなりの馴れ馴れしさに、リヴィアは不快感をあらわにした。彼らの服装は騎士団のそれとよく似ており、武人であろうことは推察される。
だがその服は白地に金の装飾がなされており、黒を基調とする第二騎士団のものとはまったく異なっていた。
(もしかして、例の『第一騎士団』か?)
だとしたら、こんな時間に鍛錬もせず一体何をしているのだろうか。リヴィアは無視して足を進めたが、男たちは距離を詰めながらついて来る。
「団長のお知り合い? ってことはどちらかのご令嬢?」
「君たちには関係ないだろう。それより早く訓練に戻った方が良いのではないか」
「俺たちは特別だからさ、そういうの必要ないんだよね」
(ええい、だからどうして一緒に来る⁉)
王宮は女性の姿が少ないため、悪目立ちしてしまったか。
どうにか振り払おうとリヴィアは競歩のごとく歩いたが、男たちはしつこく付きまとってくる。やがて業を煮やしたのか、男の一人がリヴィアの手首を掴んだ。
「やっぱり嘘でしょ。こっちは団長の執務室じゃないぜ?」
「君たちが言っているのは第一の話だろう。私が向かっているのは第二騎士団の方だ。邪魔をしないでもらいたい」
「まさか⁉ 貴方のように美しい方が、あんな庶民だらけの第二に用事だなんて」
「冗談だろ? ほらほら、俺たちと一緒に行こうぜ」
「だから結構だ。あと第二の悪口を言うのはやめろ!」
いよいよ苛立ちを抑えきれなくなり、リヴィアはたまらず言い返す。だが男たちはにやにやとした笑いを浮かべたまま、手を離す素振りも見せない。
怖くなりぐいと引っ張ってみたが、やはり男性の力か振りほどくことが出来なかった。
(くそ、強い!)
「どうせ団長と知り合いとかも嘘なんでしょ? 良かったら俺たちと――」
「何をしている」
突然割り入った声に、男たちはばっとリヴィアの手を離した。リヴィアが慌てて振り返ると、背後に険しい顔をしたクラウディオが立っており、男たちを睨みつけている。
その迫力に男たちの旗色は一気に悪くなった。
「彼女は私の知人です。失礼な行動はやめていただきたい」
「こ、これはクラウディオ様。た、大変申し訳ございません……」
「俺たち別に、そういうあれでは……」
次第にあとずさる男たちを前に、クラウディオはリヴィアを庇い立てするように、なおも足を進める。
すると横から聞き慣れない声が差し挟まれた。
「騒がしい、何事だ」
「――ラウル様!」
その瞬間、男たちの顔色がいっきに青ざめた。声のした方を慌ただしく振り返ったかと思うと、すばやくその場に跪く。
あまりの変わり身の早さに、リヴィアも思わずそちらを振り仰いだ。
そこにいたのは恐ろしいほどの威圧を纏った青年だった。
背は高く、クラウディオとほぼ同じくらい。柔らかな陽光の中、絹糸のような金の髪が光を弾いており、細められた切れ長の瞳は綺麗な青色だ。
白いシャツの上に、第一騎士団の制服である白の軍装を羽織っており、悠然とした態度で口を開く。
「クラウディオ、僕の部下に何の用だ?」
「私の知人に無礼を働いておりましたので、窘めておりました。貴方も上に立つ者なら、しっかりと手綱を握っておいていただきたい」
「それは失礼した。――コサ・リカ、彼らを連れていけ」
「かしこまりました」
するとラウルの背後から、黒髪の男が音もなく姿を見せた。褐色の肌をした彼は、無言のままこちらに近寄ると、がたがたと震える第一騎士団の男たちを睨みつける。
男たちは抵抗することなく、コサ・リカに従いそのまま回廊奥へと姿を消した。
さて、と一人残されたラウルが口角を上げる。
「これでいいか?」
「私ではなく、こちらの女性に謝罪していただきたい」
「そんなに怖い顔をするな。失礼、麗しきレディ。僕の部下が礼を欠いたよう、で……」
最初はふてぶてしくといった体で手を差し伸べてきたラウルだったが、リヴィアの紫色の瞳と視線がぶつかった瞬間、言葉を失った。
リヴィアもまた訝しむように眉を寄せていたが、突然脳をゆすぶられるような感覚に襲われる。
(こ、こいつ、は――)
どうやら衝撃はラウルにも同様だったらしく、彼もまたリヴィアを見て大きく目を見張っていた。
すぐに動揺は収まり、二人はほぼ同時に口にする。







