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第二章 6




 クラウディオは厩舎の方へと向かっていた。


(午後は騎馬隊の指導か……リヴィア様の剣術はその後で……)


 だが到着した途端、普段とは違う賑わいに首を傾げる。どうやら皆練習場を見て歓声を上げており、クラウディオは近くにいた厩番の男に声をかけた。


「一体どうした? 午後は騎馬訓練のはずだが」

「そ、それが『ルロイの黒馬』が、人を乗せて走っていて……」

「は? そんな馬鹿な」

「ですがほら、あの通り……」


 まさか、と顔を上げたクラウディオは、喉奥から変な声を零しそうになった。


 優れた馬を育てることで有名なルロイ地方。

 何代にもわたって改良を続けていることに加え、屈指の調教師によって育て上げられた名馬たちは、一様に現れる特徴的な黒毛から『ルロイの黒馬』と呼ばれていた。

 当然騎馬として用いれば、最強の馬力と勇猛さを併せ持つ。だが非常に矜持が高く、自らが認めた者でない限り、その背に乗せようともしないのだ。


 この厩舎にいた黒馬も同様で、王への贈呈品を下賜されたものの、誰一人として乗りこなすことが出来ず、宝の持ち腐れと化していた。

 だがクラウディオの目の前で駆けまわっているのは、紛れもなくあの『ルロイの黒馬』――そしてその手綱を握っているのは、他ならぬリヴィアである。


「おいあれ、食堂のリヴィアちゃんじゃないか?」

「確かに似てるけど、まさかそんなはずは」

「つーかものすごく乗り慣れてないか、あれ」


 騎馬訓練に来たはずの騎士たちが、皆口々に感心と驚きの声を上げている。クラウディオはしばらく額を押さえていたが、たまらずリヴィアに向けて叫んだ。


「リヴィア様!」

「――クラウディオ、何だ?」


 リヴィアは柵の周りに集まる騎士たちの鼻先に軽やかに駆け寄った。自らの身の丈の倍はありそうな黒馬をいとも簡単に操っている様に、クラウディオははああと息をつく。


「一体何をなさっているんですか……」

「それが、この子がアルヴィスだったんだ」

「はい?」

「アルヴィスだ。私の相棒だった、あの」


 どこかで聞いた名前に、クラウディオはようやく記憶の糸が繋がった。ベアトリスが幼少期から共に過ごしていたという愛馬。

 他の馬より一回り大きく、度胸も強靭さも群を抜いていたが、絶対にベアトリス以外を乗せなかったという偏屈だ。

 ベアトリスがたいそう溺愛しており、ルイスだった頃に恨めしく睨みつけたこともあった。得意げに耳をくるりと回しながら、小さく笑われたことは今でも忘れない。


「まさか、そんな……」

「言葉が話せるわけではないから、クラウディオたちにも分からなかったんだろう。だが乗ってみてはっきりと確信した。こいつはアルヴィスだ」

「はは……」


 かつての戦友に再会した喜びが抑えられない、と馬を下りたリヴィアは嬉しそうにアルヴィスの頸元に頬を押し付ける。

 その幸せそうな表情を見ていたクラウディオは、やがてじっとアルヴィスの方を睨みつけた。長い睫毛を伏せたアルヴィスは、かつてと同様、どこか優越感を漂わせながらくるりと耳を動かした。






 いつもの訓練を終え、リヴィアはクラウディオと共に正門に向かう。やがてクラウディオがはあと溜息をついた。


「まったく……あまり目立つことはしないでください」

「すまない。つい嬉しくなってしまってな」


 結局リヴィアは完璧にアルヴィスを乗りこなし、騎士たちから賞賛を浴びまくった。厩番もいたく感動しており、今まで乗れる者がいなかったので命名をためらっていたが、これからは『アルヴィス』と呼ぼうと鼻息荒く拳を握っていたのを思い出す。


「アルヴィスは、生まれ変わっても素晴らしい馬だった。勇敢で豪胆、私の意図をすぐに把握する聡明さに力強い走り……私は何度彼に助けられたことか」

「……」


 クラウディオはむっつりと黙った後、しばらくして口を開く。


「リヴィア様、その……イルザたちから聞いたのですが、彼らには普通に名前を呼ぶように言ったそうですね」

「普通?」

「リ、リヴィア、ちゃん、と……」

「ああ。厨房のご婦人方から驚かれたことがあってな。様はやめてくれとお願いした」

「ちゃんは良いんですか?」

「今の歳の差を考えれば、さしておかしな呼称ではないだろう?」

「そ、それはそうですが……」


 すると眉を寄せていたクラウディオが、その場に立ち止まった。どうした、とリヴィアが振り返ると、我慢していた何かを吐き出すようにクラウディオが呟く。


「では、俺がそう呼ぶのも問題ないということですよね?」

「あ、ああ」


 何を言われるかと身構えたリヴィアに、クラウディオはまっすぐ向き合った。深呼吸をしたのち、わずかに唇を噛みしめる。


「リヴィア、ちゃん……」


 あまりに聞き慣れない発声に、リヴィアは心臓を跳ねさせた。

 考えてみれば様付けなのはベアトリスの頃の名残で、今の歳の差を考えればこの呼び名で問題ない、とリヴィアは平常を試みる。

 だが耐え切れないのはクラウディオも同様だったらしく、先に降参したのは彼の方だった。


「ッ……すみません、やっぱり、呼べません……」

「べ、別に無理に変える必要はないぞ? 呼びにくいのであれば呼び捨てでも」


 と口にした後で、リヴィアは「うん?」と首を傾げた。だがクラウディオの方は想像もしない提案に感動したかのように、ぽかんと口を開けている。


「呼び捨て……そうか、考えたら無理に敬称をつける必要はなかったんですね」

「いや待てクラウディオ、今のは単なる思い付きでだな」

「――リヴィア」


 自分の名前なのに、まるで初めて耳にしたかのように、リヴィアは大きく目を見開いた。同時に途方もない恥ずかしさが込み上げてきて、頬が一気に熱くなる。


(な、名前を呼ばれただけだ、何を動揺しているんだ私は!)


 自身に気合を入れるかのように、緊張した面持ちでクラウディオの方を見る。だが彼はこれまでにないほど穏やかに微笑んでおり、その柔和な顔つきにリヴィアの鼓動はいっそう早まった。なんだか自分ばかり意識しているかのようで、リヴィアはたまらず唇を噛む。

 だがしばらくして、余裕を見せていたクラウディオの顔が、首から額に向けて一気に赤くなった。リヴィアが首を傾げると、クラウディオは申し訳なさそうに手で口元を覆う。


「クラウディオ?」

「す、すみません、やっぱり、無理です……」

「は?」

「俺が隊長を呼び捨てなんて、そんな、恐れ多すぎて……」

「自分で呼んでおいて、恥ずかしがるな!」


 とは言え、これに慣れて何度も呼ばれてはリヴィアも危ない気がする。結局『様』呼びに戻ったクラウディオに見送られながら、リヴィアはどこかぎこちなく帰路へとついた。



 

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