第二章 5
「もしや注文が間違っていたか? すぐに正しいものを」
「ち、違うんです、リヴィア様。なんでもありません」
「ならいいが……」
リヴィアはほっとした表情を浮かべると、三人の前に丼を置き、小さく笑みを残して立ち去った。その背に「リヴィアちゃんありがとー」と声をかけている三人の様子を見て、クラウディオは恨めしそうにじっと睨みつける。
「あの」
「うん? なんだ団長」
「さっき、リヴィア……『ちゃん』と、呼んでましたよね?」
ああ、と前世でも快活だったイルザが笑う。
「最初は様って呼んでたんだけど、食堂のおばちゃんたちに驚かれてから、今後は普通に呼んでほしいって言われて」
「普通……」
「呼ぶとしたらそうだろ。今のベアトリス様は、俺たちよりずっと年下なわけだし」
「そ、それは、そうですが」
「……もしかして団長、ずっと様で呼んでるのか?」
「ほ、ほっといてください!」
何やら旗色が悪くなりそうだと感じ取ったクラウディオは、空の丼を残し勢いよく立ち上がった。だがすぐ後ろにリヴィアが立っており、クラウディオを含めた全員がぎょっとする。
「リ、リヴィア様?」
「す、すまん。てっきり今日もおかわりをするのかと思って、その」
恥ずかしそうにするその手には『肉肉丼・改[おかわり]』が携えられていた。硬直するクラウディオをよそに、リヴィアは照れたように苦笑する。
「じゃあ、午後からの仕事も頑張って――」
「いただきます」
「え?」
「ちょうど、おかわりを頼もうと思っていたところです」
「ほ、本当か? 無理はしていないか?」
「はい。全然大丈夫です」
がらりと態度を変貌させ、穏やかな笑みを向けるクラウディオに、前世三人衆はにやにやと嬉しそうな視線を送っていた。
激動の昼食時間が終わり、厨房の片付けも一段落した頃、女性陣はようやくほうと息をついた。
「はー今日も多かったわねー」
「リヴィアちゃんも、よく働いてくれて助かるわ」
「いえ、私はまだまだです。皆さんの働きには遠く及びません」
「まあ、そんなことないわよ」
和気あいあいとした会話をしていると、一人の女性がリヴィアに問いかける。
「そう言えばリヴィアちゃん、もしかして団長さんと知り合いなの?」
「え、いえ、まあその、知り合いと言えば知り合いですが」
「やっぱり! リヴィアちゃんが入ってから毎日来てるでしょう? 頼むのもいっつもリヴィアちゃんが考えたメニューだし」
「そうそう。食堂でごはん食べてる騎士団長様なんて、あたし初めて見たわ」
「他の子もびっくりして、遠巻きに眺めてるわよねえ」
「普通は食べないのですか?」
「当たり前よう! あれくらいの貴族様になると、お城の料理人が作ったものを部屋で食べるって聞いたわよ」
(そうだったのか……言われてみれば、次期公爵だからな……)
それを聞いたリヴィアは、あれと首を傾げる。
「あの、部屋で食事をする者は団長以外にも多いのですか?」
「えーと、副団長以上だったかしら。でもどうして?」
「いえ、私の知る騎士団の人数に対して、食堂に来る人間が少ないなとずっと気になっていまして……」
「ああ、それは『第一騎士団』ね」
「第一騎士団?」
「オルランド公爵家お抱えの騎士団よ」
聞くところによると、王都を守る騎士団は二つあるそうだ。
どちらの騎士団も、元々公爵家が保有するもので、王族に貸し出される形で派遣されている。そのため普段は王都に在籍しているが、本家で有事が起きた際には領地に帰還することもあるらしい。
「第一騎士団はここと違って、王族や貴族たちの護衛が主な仕事になるの。だから人数も少ないんだけど、代わりに伯爵家や男爵家の次男坊とかばかりで」
「お高くとまってて嫌な感じよね。自分たちの相手は王族だけです~って」
「そうそう。食事もこんな食堂嫌だって言い出して、自分たちだけが入れる別のサロンを作ってるのよ」
「な、なるほど……」
そういえばあれもこれもと愚痴が盛り上がっていくのを、リヴィアはどうしようかとぎこちなく見守る。すると食堂の裏手から厩番の男が顔を覗かせた。
「休憩中すまんが、馬たちの餌をわけてもらえるかい」
「あらごめんなさい、つい話し込んじゃって」
「私が行きましょう。ご婦人方はどうぞ休んでいてください」
「まあ! リヴィアちゃん、ご婦人方だなんて」
きゃあと色めき立つ女性陣に頭を下げ、リヴィアはすぐに厨房の奥へと向かった。調理の際に出た大量の野菜くずが入った桶を軽々と担ぎ上げる。
「わー! おれが運ぶから無理すんな!」
「いえ、これも鍛錬になりますので」
「女の子が何言ってんだ」
「で、ではせめて半分だけでも」
二人はそのまま騎士団棟の近くにある厩舎へと向かった。餌箱に先ほどの野菜くずを入れていくと、馬たちは皆行儀よく食べ始める。
「助かったよ。何度か往復すると思ってたからな」
「お役に立てて良かったです」
無心になって餌を食べる馬は可愛らしく、リヴィアは嬉しそうに目を細めた。だが一通り見ていく中で、一頭だけ馬房の奥から出て来ていないのに気づく。
「失礼、あの馬は病気か何かですか?」
「いや元気だよ。あいつは元々ああなんだ」
「ああ、とは?」
「気難しくて人になつかないんだ。騎馬としての訓練は受けているが、乗る人間を選んでいるのか、誰一人として乗らせやしない。品種としては最上級なんだがね」
興味を引かれたリヴィアは、恐る恐る静かな馬房の前に立った。暗がりの中、横腹を地面につけて横たわる黒馬を、リヴィアはじっと見つめる。
すると黒馬は突然立ち上がり、静かな足さばきでリヴィアの眼前に近づいて来た。その長い睫毛の下にある目を見た瞬間――リヴィアはかつての愛馬の名を口にする。
「――アルヴィス?」
すると黒馬は言葉を理解しているかのように、ぶるると小さくいなないた。その様子を見たリヴィアは間違いないと確信する。
「アルヴィスなんだな! 良かった……お前も生まれ変わっていたんだな……!」
リヴィアがそっと手を伸ばすと、アルヴィスは自らその顔を押し付けてきた。ぐりぐりと親愛を表す黒馬を見て、厩番の男が驚きに目を剥いている。
「驚いた……その馬が人に撫でさせているなんて……」
「す、すみません、勝手な真似を」
「いやいや。おれも初めて見たよ。良かったらもっと近くで見てみるか?」
「いいのですか?」
「ああ、騎士団の訓練は午後からだしな」
そう言うと厩番の男は、手慣れた様子でアルヴィスの馬房を解放した。軽快に蹄を鳴らすアルヴィスの隣に立ったリヴィアは、改めてその体を撫でてやる。前世の時と変わらない艶々とした黒毛に、同じく優雅なたてがみ。
「あの時は、最後まで守ってくれて本当にありがとう……たくさん痛い思いをさせて、すまなかった……」
涙を滲ませるリヴィアの頬に、アルヴィスがそっと鼻先を押し付けてくる。『大丈夫だ』と言われているかのような行動に、リヴィアは思わず笑いを零した。そのうちアルヴィスがぐいぐいと服を引っ張るようになり、リヴィアはふむと考える。
「あの、申し訳ないのですが、少しだけ乗っても良いでしょうか」
「の、乗る⁉ いいけど、たぶんお嬢ちゃんがそいつに乗るのは難しいんじゃ……」
「いえ、大丈夫だと思います」
その宣言通り、厩番が用意した馬具を手慣れた様子で着けると、リヴィアはあっさりと黒馬の背に跨った。
まるで彼女の手足となるべく生まれたかのように、アルヴィスは高くいななくと、軽快に足を進める。
「すみません、すぐに戻りますので!」
「あ、ああ……」
呆然とする厩番を残し、リヴィアとアルヴィスは練習場へと駆け出した。







