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第一章 2




 瞼を押し上げると、いつもの白い天蓋が目に飛び込んできた。リヴィア・レイラはゆっくりと体を起こし、頬に残っていた涙の跡を拭う。

 まるで大切な何かを失って、自分の胸に穴が空いてしまったかのような喪失感――だがそれが何か、リヴィアにはまったく分からなかった。


(また、私は泣いていたのか……)


 いつからかは覚えていない。

 だがリヴィアは今朝のように、眠っている間に泣いていることが多々あった。


 最初は怖い夢でも見たのだろう、とさして気にしていなかったのだが――困ったことにその頻度は増え続け、最近では二日に一度の割合で発生している。

 おまけに何故悲しくなるのか、どんな悪夢を見ていたのか……その一切が思い出せないのだ。

 残っているのは『とてつもなく悲しい』という感情だけで――胸が張り裂けそうなほど沈痛な気持ちを抱えて、涙とともに最悪の目覚めを繰り返す……そんな日々をリヴィアは繰り返していた。


(どうして、こんなに胸が痛むんだ……)


 最近では眠ること自体怖くなっている傾向があり、いつもぎりぎりまで読書や編み物で時間を潰しては、睡眠時間を可能な限り削るという荒業にまで及ぶようになった。だがやはり悪夢からは逃れられないようで、リヴィアは慢性的な寝不足に陥りつつある。


(やはり一度、医師に診てもらうべきだろうか……)


 やがて朝の支度を手伝いにメイドが現れた。朝食を済ませ、いつものように鏡の前に立つと、メイドが静かに今日のドレスを携えてくる。


「お嬢様、今日もお美しいですわ」

「ああ、ありがとう」


 いつもの賛辞に軽く返しながら、リヴィアはぼんやりと鏡の向こうにいる己を見つめた。

 磨き上げられた刃のような白銀の髪。同色の睫毛は弓なりに上を向いており、大きな瞳はアメジストを思わせる瀟洒な薄紫色だ。

 形のよい薄紅の唇は、女性なら誰でもうらやむもの――だが、今は不安をごまかすかのように、かたく引き結ばれている。

 用意された水色のドレスには、リボンとレースがふんだんにあしらわれており、女性らしい可愛らしさを余すところなく表現していた。だがその可憐さが、どこか自分には似合わないように思えてしまい、リヴィアは無言で視線を落とす。

 そんなリヴィアの胸中も知らず――今日もうちのお嬢様は完璧だわ、とどこか誇らしげなメイドは、リヴィアの髪飾りを微調整しながら微笑んだ。


「そういえば、ご用意が出来ましたら書斎にお越しになるようにと、旦那様がおっしゃっておりましたわ」

「父上が?」

「はい。なんでも、大切なお話があるとかで」


 メイドの伝言を聞き、リヴィアはすぐに自室を後にした。

 深紅の絨毯を敷き詰めた長い廊下を、大きな歩幅で颯爽と歩く。その姿はどこか勇壮で、リヴィアが向かってくるのが分かると、廊下を歩いていた使用人たちが慌てて壁際に身を寄せるほどだった。

 ようやくたどり着いた書斎の扉を叩くと、中から父親ののんきな声が返ってくる。失礼します、と短く告げると、リヴィアは堂々とした態度で乗り込んだ。


「おおリヴィア。朝早くに悪かったね、そんなに急がなくても良かったのに」

「いえ。それで父上、私に話とは?」

「いやなに、リヴィアもようやく成人を迎えたからね。王宮で行われるパーティーに参加してもらおうと思うんだよ」


 父親の話によると、ここ『ルーベン王国』では貴族の子女が成人――十八歳を迎えた後、王への挨拶をするしきたりがあるそうだ。リヴィアも先月誕生日を迎えたところで、どうやらその機会が近いうちに設けられるらしい。

 すぐに理解したリヴィアは二つ返事で頷いた。


「わかりました。必要な準備はありますか?」

「いやいや、大切な娘のデビュタントだ。手配はすべて僕がしておくから、どうか楽しみにしていておくれ。ドレスやティアラの希望はあるかな?」

「いえ、特にこれといった希望はありません。父上にお任せいたします」

「リヴィアは本当に我儘を言わない子だねえ。ミック卿のところなんて、ドレスを五着も作らされたと嘆いていたのに」

「す、すみません、本当にあまり好みがないのです……」


 どこかしょんぼりとした父親の顔を見て、リヴィアは思わずう、と言葉を詰まらせた。

 リヴィアは昔から、ドレスやアクセサリーといった女性らしい装いに関心が薄い。正直なところ、服など寒さが防げればいいと思っているほどだ。

 むしろ一瞬で剥がれてしまいそうな精緻なレースや、持つだけで壊れそうな意匠のネックレスなど、握りつぶしてしまいそうで扱いに困る。


 その一方で、勉強やダンスは嫌いではなかったため、淑女としての教育は十分すぎるほど受けさせてもらった。ただ口調だけはどうしても幼少期の癖が取れず、教育係から「もっと女性らしいお言葉遣いをなさってください」とたしなめられたことがある。

 だがリヴィアの父は諫めることなく、リヴィアの話したい口調でいいと許してくれた。母親も父と同じおっとりとした性格なため、過度な女らしさを追求されることはなかった。その点に関しては、リヴィアは両親に心から感謝している。


「いいよいいよ。じゃあそれ以外に何か、欲しいものがあるかな?」

「欲しいもの、ですか?」

「何でもいいよ。お菓子でも、靴でも」


 穏やかな父親の笑みを前に、リヴィアはわずかに眉を寄せた。きっと父親として、娘の喜ぶ顔が見たいのだろう。

 だが悲しいことに、リヴィアはお菓子にも靴にもまったく興味がなかった。お菓子は嫌いではないが、普段の食事で栄養分は事足りる。靴も、日替わりで履いても一か月は被らないほど与えられている。もはや足の方が足りなくなりそうだ。

 リヴィアは何かないか、と己の心に問いかける。

 そこでようやく、はっと目を見開いた。


「剣が欲しいです」

「剣?」

「はい。一番安い木剣で構いません」


 そういえばそろそろ剣術を習いたいと思っていた。我ながら名案だ、とリヴィアは目を輝かせながら父親に提案する。だが今までほくほくとしていた父親の顔つきが、少しだけ困ったものに変貌した。



 

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