第一章 15
数日後、リヴィアはクラウディオが入院している病院を訪れた。
本来であれば次期公爵、かつ騎士団長という身分のクラウディオは、こうした市井の施設ではなく、王宮内にある診療所を使うのが一般的なのだそうだ。
ただ今回は大事には至らなかったことと、クラウディオ自身が大ごとにしたくないと言い出したため、最初にかかった病院にそのままとどまったらしい。
リヴィアが個室の扉を開けると、ベッドの上にいたクラウディオがすぐに反応した。
「調子はどうだ?」
「リヴィア様! すみません、このような場にお越しくださるなんて……」
「私のせいでついた傷だ。見舞うのは当たり前だろう」
ベッドの傍にあった椅子に腰かけると、リヴィアは改めてクラウディオの様子を確かめる。最初の処置が的確だったためか、傷痕は比較的早く塞がった。
だが肩と胸に巻かれた包帯は見るからに痛々しい。
「本当に、……すまなかった。私が早くあの場を離れていれば、庇って傷つくことなどなかったというのに……」
「いえ、もう一人いることに気づけなかった俺の失態です。それにリヴィア様のおかげで、背後からの奇襲を受けずにすみました」
「しかし」
「傷も大したことはありません。何より……リヴィア様に怪我がなくて、本当に良かった……」
優しく微笑むクラウディオを前に、リヴィアは鼻の奥がつんとなるのを感じた。慚愧で張り詰めていた緊張が解け、胸を満たす安堵が涙を誘う。
だがここで泣いてどうする、とリヴィアは慌てて首を振った。
「彼らは、単なる貴族狙いの誘拐犯だったのか?」
「いえ、彼らは『革命軍』と名乗る組織の一部でしょう。男の一人に見覚えがありました」
「革命軍?」
「はい。実は三年ほど前、国王を弑逆しようとした事件がありました。ですが王の采配により組織は半壊。首謀者は捕らえられました」
頭を失った組織は一気に弱体化し、革命軍の活動は沈静化したかに思えた。だが――つい一年前、その首謀者が処刑された頃から、雲行きが怪しくなりつつあるのだという。
今回の誘拐事件も組織のための資金稼ぎでしょう、とクラウディオは苦渋の顔つきになる。
「おそらく指導者を奪われたという反感情が、彼らに理由を与えたのでは、と俺は見ています。ですが本拠もほぼ制圧し、解体を進めていたと思ったのに……」
「なるほど。では私が捕らえられていたのが、革命軍のアジトだったというわけか」
「おそらくは。ですがあの場所は、以前の彼らの証言にはなかったので、おそらく最近になって使われ始めた場所かと思われます」
それを聞いたリヴィアは、うん? と首を傾げる。
「そうなのか。ではどうやってあの場所を探し出したんだ?」
「リヴィア様が残した包帯を見ました。彼らも気づいていたようですが、書かれているのがメッセージだとは気づかず、そのまま捨てて行ったようで……でもあの暗号、分かるのは多分俺たちくらいですよ?」
「何? もうあのコードは使われていないのか!」
リヴィアが包帯に書き記した直線記号は、味方間の情報伝達に使用する特殊な暗号だった。しかし今更になって考えれば、二百五十年経ったこの時代に同じものが使われているはずがない。
「おかげで、俺だけが読み解けたんですけどね。助かりました」
「よ、良かった……」
だがほっと胸を撫で下ろすリヴィアに対し、クラウディオはわずかに表情を陰らせると、しばらく俯いていた。やがて静かに顔を上げると、どこか思いつめたような様子で口を開く。
「あの、リヴィア様」
「どうした? どこか痛むのか」
「い、いえ、その……お願いがあるですが」
「何だ? 何でも言ってくれ」
「ではその、……少しで良いので、抱きしめても良いですか?」
突然の申し出に、リヴィアは目を大きく見開いた。
その反応を見たクラウディオは、しまったという顔をする。
「あ、その、すみません、俺、何を」
「い、いや、別に」
「わ、忘れてください! き、聞かなかったことに」
そう言うとクラウディオは、すばやくリヴィアから顔を背けた。
しかしその耳は真っ赤になっており、リヴィアはしばらく思い悩んでいたが、やがて勢いよく彼の背中に両腕を伸ばす。
リヴィアに背後から抱きしめられる形となり、クラウディオは慌てて声を上げた。
「リ、リヴィア様⁉ な、ど、え、どうして⁉」
「わ、私のせいで傷を負ったのだから、このくらいは、許可する……」
「で、ですが」
「あまり動くな。傷が開く」
短いリヴィアの言葉に、いよいよクラウディオは反論を失った。リヴィアもまた、ただならぬ動悸と羞恥を必死に抑えながら、そのままクラウディオをぎゅっと抱きしめる。
やがてクラウディオが、背中を向けたままぽつりとつぶやいた。
「気が気じゃ、ありませんでした……」
「……」
「すみません。リヴィア様を守るなんて言っておきながら、俺……」
「私の方こそ悪かった。勝手な行動をとってしまった……そのせいで、君にこんな怪我をさせてしまうなんて……」
リヴィアは、そっとクラウディオの体に視線を落とした。そこには広範囲の痣が斜めに走っており、リヴィアは苦しそうに言葉を詰まらせる。
「また、……あの時と同じことが起きたら、どうしようかと……」
「……リヴィア様?」
生まれた時からある痣は、前世で致命傷となった傷なのだという。
ルイスが受けた傷痕は、いまなおはっきりとクラウディオの体に残っており――それを見たリヴィアは、あの非業の最期を否応なく思い出した。
我が身が切り裂かれるような、耐えがたい痛哭。
もう二度と、あんな思いをしたくない。
「クラウディオ、頼む……私に剣を教えてくれないか」
「それは、……」
「毎日鍛錬する。体力もつける。私……戦えない自分は、やっぱり嫌だ……」
「……」
「何も出来ないまま、またあの時のように……目の前でお前たちを失うのは、嫌なんだ……。もう誰一人として、死なせたくない……」
仲間たちの命は、いとも簡単にベアトリスの手から零れ落ちた。
生まれ変わって、新しい人生を得たとしても――その後悔だけは忘れられない。
リヴィアの決意を、クラウディオは黙って聞いていた。
やがてはあ、と呆れたようなため息を零すと、自身の体に回されていたリヴィアの腕を掴む。そのまま軽々と拘束を解くと、今度はクラウディオがリヴィアを抱き寄せた。
「俺としては、本当に、ほんっとうに不服なんですけど」
「あ、ああ」
「出来れば剣なんて握ってほしくないし、毎日可愛いドレスを着て、俺の隣で笑っていてくれたらそれだけでいいし、名前を呼んでくれるだけで、もう何もいらないと思っているんですけど」
「そ、それは……」
「でも俺、リヴィア様のこういうところ……すっごい好きなんですよね」
突然の告白に、リヴィアは思わず硬直する。
クラウディオは楽しそうに微笑みながら、さらに腕に力を込めた。
「……分かりました。お教えします」
「本当か⁉」
「どうせ放っていても、勝手に自分でやり出すでしょう? なら、下手に怪我をされるより、俺が傍で見張っている方がましです」
「う、うむ……」
なんだか腑に落ちない回答に、リヴィアは少しだけ眉を寄せた。だが剣術を習うことが出来ると分かり、すぐに笑みを浮かべる。
そんなリヴィアを見ていたクラウディオは、再びはあと嘆息を漏らすと、ぼやくように言葉を濁した。
「リヴィア様」
「なんだ?」
「むやみに男に抱きついたり、抱きしめられている時にそういう顔をするのは、良くないと思いますよ」
「どういうことだ?」
「……こういうことを、したくなるからです」
するとクラウディオは、リヴィアの頬に手を伸ばした。
親指で髪をずらすと、そのまま顔を近づけてくる。ただならぬ雰囲気を感じ取ったリヴィアは、びくりと体を強張らせた。
(ま、待て、こういうことっていうのは、つまり……)
リヴィアの予想通り、クラウディオの唇が降りてくる。斜めに迫る彼の美貌を前に、リヴィアはたまらず目を強く瞑った。
だが突然、病室のドアがノックされ、返事を待たずに扉が開く。
「団長、今日の分の仕事を持って――あ、すみません! お客様がいらしてたんですね」
現れたのはどうやら部下らしく、手には大量の資料を抱えていた。反射的にクラウディオの体が離れた隙を狙い、リヴィアは慌ただしくがたりと立ち上がる。
「い、いやもう帰るから、構わない」
「えっでも」
「クラウディオ、しっかり養生しろよ」
言うが早いか、リヴィアはそそくさと立ち去ろうとする。するとクラウディオも、まだわずかに上気した顔を向け、リヴィアへと告げた。
「週明け、王宮に来てください」
「王宮に?」
「はい。騎士団の方が装備が揃っているので。ご両親には俺から話をしておきます」
そう言うとクラウディオは、柔らかく微笑んだ。リヴィアもまたぎこちなく頭を下げた後、仕事の邪魔にならないよう、足早に病室を後にする。
(やった! これで剣を習える……!)
思わず拳を握りしめたくなるところを、周囲の目があるとぐっとこらえる。だがしばらく歩くうちに、先ほどのあれこれを思い出してしまい、リヴィアはぼんっと赤面した。
(もしあの時、部下が来なかったら……一体どうなっていた……?)
何故抵抗しなかったのか、と自らの油断を反省する。
だが「意外と睫毛が長かった」やら「体温が全然違った」といったどうでもいい情報ばかりが思い出され、リヴィアはざわざわとする心を必死に押しとどめていた。







