第一章 14
(人の気配はない……移動できるか?)
とりあえず二階の安全を確認したリヴィアは、一旦部屋に戻りアルトを連れ出した。姿を見られないよう身を屈めつつ、そろそろと一階に移動する。リヴィアは階段の影にアルトを隠すと、どこかに裏口はないかと立ち上がった。
すると外から、男たちの話し声が近づいて来る。
「あいつら、慌てふためいてたな」
「ああ、せいぜい金になるものをかき集めてもらわねえとな」
(まずい!)
リヴィアはアルトの腕を掴むと、すぐさま隅にある倉庫へと転がり込んだ。ドアには亀裂が入っており、そこからわずかにだが室内の様子が確認できる。
震えるアルトの口を塞ぎ、リヴィアもまた息を殺す。やがて玄関の扉がきしむ音がし、複数人の足音が玄関ホールに乗り込んできた。
リヴィアが追いかけて来た男二人と、見知らぬ顔が二人。そして一人だけ雰囲気が違う――痣の男だ。
「そういえばレガロさん、作戦の決行はいつになるんです?」
「上が良い日を決めるらしい。オレたちは口を挟むなだとよ」
「は、はあ……」
(作戦? 決行? 一体何の話だ)
どうやら痣の男はレガロという名前のようだ。威圧的な言動から、男たちのリーダーであることが分かる。
リヴィアがそのまま静観していると、レガロは胸元から煙草を取り出し、一服し始めた。
(まずいな……奴ら、しばらくここに残るのか?)
身代金が準備されるまで待つつもりだろうか。ひとまず居場所はばれていないようだが、男たちの誰かがリヴィア達の様子を見に二階に行きでもすれば、間違いなく騒動になる。
もしそうなれば、少々危険でも無理やり脱出するしかない。
(丸腰では心もとない。何か武器になるようなものは……)
暗がりの中、リヴィアは倉庫の奥へと移動する。
そこには無造作に木箱が置かれており、中には大量の武器が収納されていた。大剣にナイフ、手槍、使い道は分からないが鉄製の筒のようなものや、奥には爆薬らしきものもある。
(なんだこれは。まるで……戦争でもするみたいな)
音を立てないよう注意しながら、リヴィアは長剣の一つを手に取った。かなりの年代物で相当の重量があり、今のリヴィアでは構えることすら難しそうだ。
おまけにその刃の根元に、鷲の紋章が刻まれていたことに気づき、リヴィアは思わず息を吞む。
(これは……アルヴィスに刺さっていた矢と、同じ……?)
嫌な予感がして、リヴィアは他の武器も確認した。すると特に古いもののいくつかに同じ意匠が刻まれており、リヴィアは眉を寄せる。
(あの時の紋章が、どうしてここに……?)
だが今はそれよりも、ここから無事に抜け出すことが重要だ。
リヴィアは一度思考を落ち着けると、再び得物探しに意識を集中させる。ようやく小振りな短刀を見つけ出したところで――事態は急転した。
突然外から蹄の音が鳴り響き、次いで複数の靴音が地面に下り立つ。その物々しい様子に、玄関ホールにいた男たちは一斉に立ち上がった。
「な、なんだ⁉」
「どうしてこの場所が……」
だが男たちの動揺が解けぬうちに、正面の扉が勢いよく開かれた。先頭に立っていたのはクラウディオだ。
「第二騎士団だ、その場から動くな!」
当然男たちは指示に従うわけもなく、瞬時に武器を構え距離を取った。だがクラウディオの後ろから他の団員たちがなだれ込み、邸内は一気に乱戦状態になる。
(クラウディオ! 助けに来てくれたのか……)
リヴィアの胸に、浮き立つような温かさが広がった。騎士団は圧倒的な強さで男たちを制圧すると、あっという間に床に縛り上げる。クラウディオはふうと剣を収めると、部下たちに素早く指示を出した。
「どこかに人質がいるはずだ。手分けして捜せ」
「はっ!」
良く通るクラウディオの声を聞き、リヴィアは慌てて倉庫から出て行こうとした。だがその一瞬、捕らえられている男たちの数が合わないことに気づく。
(おかしい、四人……レガロがいない!)
それに気づくのと、ぞろりとした悪寒を感じたのはほぼ同時だった。リヴィアが勢いよくドアを開け放つと、吹き抜けのシャンデリアに潜んでいたらしいレガロが、クラウディオの背後に無音のまま迫っている。
「クラウディオ、伏せろ!」
リヴィアはそう絶叫すると、短刀を力の限り投擲した。突然の指示にクラウディオは目を見張ったが、すぐにその場にしゃがみ込む。
短刀はそのままレガロの頬をかすめ、一筋の赤い糸を引いた。
「――まぁたお前かあ。オレの邪魔しやがって」
「捕らえろ!」
クラウディオの命令に、騎士たちが我先にレガロを取り囲んだ。だがレガロの強さは段違いで、騎士たちは彼の持つナイフ一本に次々と昏倒させられる。
最後にクラウディオが立ち向かい、ようやく力が拮抗した。
「悪いけど、オレはこんなとこで捕まるわけにはいかないんだよねぇ」
「逃がすわけないだろうが」
「どうかなぁ?」
するとレガロはナイフを持ち変えると、力強くクラウディオを押し返した。わずかに体が離れた一瞬、レガロはリヴィアの方を見てにたりと笑う。
次の瞬間、レガロは隠し持っていたもう一本のナイフを上着から取り出し、リヴィアめがけてすばやく投げた。
「さっきの、おかえし」
「――!」
ナイフの切っ先がリヴィアの目の前に飛来する。
躱すか。
この距離では無理だ。
致命傷にならない場所で受けるしかない、とリヴィアは腕を体の前に構える。
だが想定よりも早く何かがこちらに向かってきて――それは、リヴィアを勢いよく押し倒した。
「――ぐッ!」
「クラウディオ‼」
リヴィアを庇おうと、とっさに身を挺したクラウディオの背中には、レガロの投げたナイフが深々と刺さっていた。
レガロはその光景にひゅうと称賛の口笛を鳴らすと、猫のような俊敏さで壊れた窓から逃げ出す。
「じゃあな」
「貴様!」
追いかけるべきか。だが他の騎士たちは床に伏したままだ。
それにクラウディオをこの状態で放置できない、とリヴィアは悔しさを噛みしめた。
「クラウディオ、おい! しっかりしろ! アルトすまない、さっきの部屋に行って包帯になりそうなものを持って来てくれ!」
「う、うん!」
騎士服の分厚い生地に守られていたおかげか、幸い肺には到達していないようだ。リヴィアはナイフを引き抜くと、急いで上着とシャツを脱がせ、傷口を圧迫して止血する。
その際クラウディオの体に走る大きな痣を発見し、思わず目を奪われた。
(これは……)
だが今は他のことを考える余裕はなく、リヴィアは必死になって手当をする。すると仰向けで苦し気に息を吐いていたクラウディオが、弱々しく微笑んだ。
「リヴィア、さま」
「しゃべるな。傷は浅い、すぐに病院に行こう」
「良かった、ご無事で……」
「……」
クラウディオの言葉に、リヴィアは思わず下唇を噛む。
やがて半泣きのアルトが持ってきた包帯で縛り上げていると、応援の騎士団員たちが現れた。現場の状況に混乱していたが、リヴィアとアルトから事情を聞くと、すぐにクラウディオたちを搬送してくれる。
男たちは連行され、残されたリヴィアとアルトはその勇気を称えられた。しばらくするとアルトの家の執事頭らしき男性が迎えに来て、感動の再会が果たされる。
その後アルトはととと、とリヴィアのもとに駆け戻った。
「リ、リヴィア!」
「なんだ?」
「あの、助けてくれて、ありがとう……。本当に、格好良かった……女の子なのに、強いんだね」
泣き腫らして真っ赤になった目を細めながら、アルトが感謝を口にした。それを聞いたリヴィアは、複雑な表情を浮かべたまま静かに微笑む。
「いや、君の助けがあってこそだった。私の方こそありがとう。……今の私は、本当に何の役にも立てないな……」
「リヴィア?」
「……何でもない。次は気をつけるんだぞ」
うん、と明るく返すアルトの頭を、リヴィアは優しく撫でる。
こうしてようやく、誘拐事件は幕を閉じた。







