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第一章 13



 複雑な裏路地を、男たちは迷うことなく歩いていく。担がれている女の子は気を失っているのか、ぴくりとも動かなかった。


(身代金目的か……それとも脅迫?)


 次第に太陽の光が届かなくなり、陰鬱とした貧民街(スラム)にリヴィアは足を踏み入れた。

 こうした地域があるのは前世の頃から知っていたが、ベアトリスは戦いに明け暮れており、王都での思い出がほとんどない。現世に至ってはあの過保護な両親の元、こうした場所に近づく機会すら得られなかった。

 ふと不安になったリヴィアは、何か書き残せるものはないかと周囲を探す。だがそれらしきものはなく、リヴィアは仕方なく、クラウディオが巻いてくれた包帯を解いた。

 近くの煙突にこびりついていた煤を爪先でなぞりとると、ふむ、と眉を寄せる。


(他に仲間がいた場合、見られたら厄介だな……)


 リヴィアはしばらく考えた後、文字ではなく、直線的な記号を書き始めた。二十ほど書き連ねた後、通りから見えない物陰にそれを結びつけると、すぐに立ち上がり男たちの尾行に戻る。


 やがて一軒の廃屋にたどり着いた。

 貧民街にしては珍しく、二階建ての立派な造りをしていたが、窓はひび割れ、玄関の扉は蝶番が外れている。リヴィアが物陰から観察していると、二階のカーテンがわずかに揺らめいた。


(ここが本拠か。時間はさほど経っていないはずだが……)


 ベアトリスであれば単身で殴り込むところだが、今のリヴィアでは返り討ちにされるのがオチだ。だがクラウディオを呼びに戻る間に、人質に致命傷が及ぶことも避けたい。

 リヴィアは少し離れたところにしゃがみ込むと、しばらく周囲の様子を窺った。やがて崩れかけた玄関から先ほどの男たちが現れたかと思うと、再び市街地へと歩いて行く。

 連れ去られた女の子の姿はなく、リヴィアは推察を進めた。


(まだ人質を集めるつもりなのか? この建物といい、組織的な犯行の可能性も……)


 そのまま息を潜めていたが、廃屋の中から誰かが出てくる気配はない。中が無人であればリヴィアだけで救出できるかもしれないが、戻って来た犯人たちと鉢合わせすれば一巻の終わりだ。


(だめだ……この場を離れるのは怖いが、やはりクラウディオを呼んで来よう)


 詰めていた息をゆっくり吐き出すと、リヴィアはそろそろと立ち上がった。物音を立てないよう注意しながら、来た道の方へ戻ろうとする。

 だが突然、背後から布で口元を覆われた。


「――⁉」

「――キミさぁ、どこから来たの? まさかオレたちを捕まえに来た、なぁんて訳じゃないよねえ?」


 むせるような甘い匂いがリヴィアの気管を流れ、意識が一瞬で明滅する。強い催眠性のある薬品か何かだろうか。

 気絶しないよう、リヴィアは自身の手のひらを強く握りしめる。先ほどの傷がリヴィアの意識を覚醒させ、背後にいた男の顔をはっきりと目で捉えた。

 鋭く細い眼に、乾いた血のようなくすんだ赤髪。

 その顔には、真横に大きな痣が走っている。


「あれ、効いてない? じゃあもう少し」

「――!」


 痣の男はリヴィアを羽交い絞めにすると、さらに口元を強く押さえ付ける。肺に供給される酸素が一気に無くなり、リヴィアはやがて、ふつりと糸が切れるように気絶した。





 床に寝かされていたリヴィアは、誰かのすすり泣きで目を覚ました。

 何度か瞬いて焦点を合わせると、すぐに体を起こそうとする。だが両手足をロープで縛られており、思うように動くことが出来なかった。


(あの男、まったく気配を感じなかった)


 犯人たちの仲間が周囲にいないか、十分に警戒していたつもりだった。だがあの痣の男はまるで突然現れたかのように、リヴィアの背後に立っていたのだ。かつてのベアトリスでは考えられなかった失態に、リヴィアは一人唇を噛む。


(とりあえず、ここから脱出しなければ)


 リヴィアは顔を上げると、しくしくと泣き濡れている女の子に向けて声をかけた。


「すまない、ええと――」


 だが女の子は震えながら涙を零すばかりで、リヴィアの呼びかけに気づいていない。困ったぞ、と眉を寄せていたリヴィアだったが、ふと女の子がズボンを履いていることに気づいた。

 この国で女子がする格好ではない――と思い至ったリヴィアは、少しだけ強く叫ぶ。


「おい」

「ふぇ……怖いよう……」

「おい、泣くんじゃない。君は男の子だろう」


 すると子どもはびくりと肩を震わせ、泣き腫らした顔をようやく上げた。

 その容貌は目を引くほど可憐で、髪も肩につくほどの長さがある。細い手足といい、傍目には女の子だと言われても分からないだろう。


「すまない。私はリヴィア・レイアという。君の名前は?」

「アルト……」

「アルト、ここから逃げ出したいだろう?」


 するとアルトはしばしきょとんとした後、再びぶわりと涙を零し始めた。何故泣く⁉ とリヴィアは理解に苦しみながらも、出来るだけ優しく声をかける。


「泣くな。君の力が必要なんだ」

「僕の……?」

「ああ」

「でも僕、男なのに、みんなに女みたいだって言われるし……力もないし、逃げるなんてそんなの、無理だよ……」


 未だべそべそと泣き濡れるアルトを見て、リヴィアははあと息をついた。


「無理じゃない。男でも女でも、戦うことは出来る」

「ほんとに……?」

「ああ。だからアルト、力を貸してくれないか」


 アルトは潤んだ瞳のまま、しばらく押し黙っていた。だがしゃくりあげるのをやめると、震える声でリヴィアに問いかける。


「わ、分かった……何をしたらいい?」

「君の足元に、割れたガラスがある。それを私の方に蹴飛ばしてほしい」

「こ、これかな……」


 廃屋の割れた窓ガラスを見つけると、アルトは縛られている足を懸命に動かしながら、破片をリヴィアの方に押しやった。近づいて来たそれを掴もうと、リヴィアもまた体を右左に捩る。

 幸い指先が届き、リヴィアは曲げた指の間にそれを挟み込んだ。切っ先の向きを変えると、縛られている手首のロープに何度も滑らせる。


(どうだ……?)


 何度か確かな感触があり、リヴィアは慎重に手を動かし続けた。するとぷつと繊維が切れる音がして、そのまま連鎖的に千切れていく。ばらり、とロープが割け、両手が一気に自由になった。


(よし、いける!)


 リヴィアはすぐさま足のロープも切り離す。リヴィアの手慣れた行動を見て、驚きに目を見開くアルトの元に駆け寄ると、すぐに拘束を解いてやった。


「あ、ありがとう……」

「まだここからだ。あまり声を出さない方がいい」


 そう言うとリヴィアは、まず壊れた窓枠を覗き込んだ。

 意外と高さがあり、二人が縛られていたロープだけでは地上まで足りそうにない。何より戻って来た男たちに見つかれば、逃げ場をなくしてそのまま終了だ。

 仕方なく部屋の扉に向かう。当然のように鍵がかかっており、リヴィアはそっと耳を押し当てた。振動を探るため、同時に手のひらを床につく。


(人の気配はない……鍵さえ開けられれば、脱出出来るかもしれない)


 リヴィアはすぐに立ち上がると、部屋の中を徘徊し始めた。ようやく少し落ち着いたのか、アルトが恐々と問いかける。


「リ、リヴィア? ど、どうしよう……」

「鍵を開ける何かが欲しい。悪いが、細い金属のようなものを探してくれないか」

「わ、わかった!」


 どうやら元々は書斎だったらしく、部屋の中には空の本棚や机が並んでいた。蜘蛛の巣をよけながら、使えそうなものはないかリヴィアは目を凝らす。


「リ、リヴィア、これはどうかな」

「おお、素晴らしい」


 小首を傾げてアルトが差し出したのは、柔らかい鉄線だった。リヴィアはそれを受け取ると、何度か折り曲げ強度を確かめる。細く尖らせた先端を、ドアノブの下の鍵穴に押し込んだ。


「そ、それで、開くの……?」

「分からない……だが一応、習ったことがある」


 以前の戦場でも、監禁されかかったことがある。

 その時はベアトリスの馬鹿力で鍵ごと壊したのだが、その際なかなか派手な怪我をしてしまった。見かねたレオルドが「次に捕まったらこうして開けてください」とやり方を教えてくれたのだ。

 冷静に考えると、どうしてレオルドがそんなことを知っていたのか、という疑問が生じるが、今はただただ感謝するばかりだ。

 やがてカチ、と軽い音がし、リヴィアはドアノブに手をかけた。ゆっくりと押し開くと、隙間から老朽化した廊下が見える。


「や、やったー!」

「まだだ。奴らが戻ってくるまでに脱出するぞ」


 十分に警戒した後、リヴィアはそっと部屋から抜け出した。音を立てないよう足を進め、階下に繋がる正面階段にたどり着く。

 どうやら反対側にも同じように廊下と部屋があるのだろう。左右対称の曲線を描いた階段が玄関ホールへと続いており、リヴィアはふむと顎に手を当てた。



 

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