第一章 12
「……本当は木剣が欲しいと父上に伝えたのだが……女性が、剣など持つものではないと言われてしまい、仕方なく木材をつかってだな」
「……」
リヴィアの話をすべて聞いたところで、クラウディオははあと溜息をついた。そのまま包帯の巻かれたリヴィアの手を取ると、優しく力を込める。
「ベアトリス様が生来の筋トレ――いえ、鍛錬好きであることは、大変よく存じ上げています。ですが俺も、御父上の意見に賛成です」
「何故だ」
「今の貴方は体を鍛えていたわけでもない、本当に普通の女性です。ちょっとしたことでこうして傷つくし、もっと酷い怪我をする可能性だってある」
「……」
それはリヴィア自身も勘づいていた。ベアトリスの体が特別だっただけで、今のリヴィアの体はどこもかしこも頼りない。
今だって、たった数分木材を振っただけで両腕が震えているし、太ももにも痺れるような痛みがある。
(やはり、以前のように動くことは難しいのか……)
リヴィアの表情が陰ったのに気づいたのか、クラウディオは捧げ持っていたリヴィアの手に、もう一方の自身の手を重ね合わせた。
リヴィアの小さな手はすっぽりと覆われてしまい、その大きさにリヴィアは憂愁する。
この立派な手に比べて、今の自分はなんて無力なのだろう。
「……どうかあまり、無茶をしないでください。もしまた貴方が傷ついたらと思うと、俺は気が気じゃありません」
「クラウディオ……」
「これからは俺が貴方を守ります。ですからどうか、剣を持つのはやめてください」
懇願するようなクラウディオの瞳を前に、リヴィアは言葉を呑み込んだ。彼が本気で心配していることが伝わって来て、しばらく悩んだものの静かに首肯する。
「そう……だな、やはり、この体では無理があったな」
「リヴィア様……」
二人の間に名状しがたい沈黙が流れ、互いに視線を落とした。
それを払拭するように、クラウディオがばっと顔を上げる。
「あ、あの、リヴィア様!」
「なんだ」
「良ければ、お祭りを見に行きませんか」
「祭り?」
「はい。市街地で開かれているんですが、ベアトリス様はお祭りが好きだったのを思い出しまして。お誘いしようと今日は――」
そこまで続けたところで、クラウディオはあ、と目を見開く。
「ああでも、この傷では難しいですね……」
「……」
しおしおと力なく肩を落とすクラウディオを前に、リヴィアは少しだけ逡巡した。だが彼の手を強く握り返すと、にっこりと口角を上げる。
「いや、行こう」
「え?」
「わざわざ、私を誘いに来てくれたのだろう?」
「でもそれは、俺の勝手で」
「行きたいんだ。連れて行ってほしい」
いいんですか、と困惑するクラウディオに、リヴィアは力強くうなずいた。
ドレスを着替えて外に出る。馬を走らせること数分、到着した大通りから賑わいの声が聞こえて来た。
広場には大道芸人や吟遊詩人が集まっており、子どもから大人まで軽快な音楽に合わせて踊りに興じていた。店の軒先からは振る舞い酒が溢れ、道行く女性の髪には艶やかな花が飾られている。
「これは……壮観だな」
「元々は市民のためのお祭りですが、貴族の方々もよくお忍びでいらしているそうです」
なるほど言われてみれば、ただならぬ目つきの付き人を従えた令嬢や、明らかに値段の張る洋服を着た若者の姿が目に留まった。初めてのお祭りに、リヴィアは興味津々に辺りを見て歩く。
「クラウディオ、あれはなんだ?」
「あれはウーブリですね。クリームをつけて食べます」
「ではあれも菓子か?」
「エウロギアですね。隊で支給されていた携帯食みたいな味です」
活気のよい呼び込みと共に、通りのあちこちから良い匂いが漂ってくる。軍資金を持ってこなかったことに後悔していると、均一に切り分けられた豚肉の串が、リヴィアの前にひょいと差し出された。
「はい、どうぞ」
「え、いいのか?」
「もちろん」
ありがとう、と受け取ったリヴィアは、軒下の端によけると恐る恐る一口頬張った。じんわりとした肉の油と塩の加減が絶妙で、リヴィアは満足そうに噛みしめる。
同じ串を持っていたクラウディオがその様子を見つめ、やがてふは、と吹き出した。
「本当に肉が好きですね」
「う、わ、悪いか」
「いいえ。ベアトリス様もお好きでしたし……初めてお会いした時も、肉料理の前で嬉しそうにされていたのを思い出しまして」
「わ、忘れてくれ!」
照れをごまかすようにリヴィアは串を食べ進める。クラウディオもまた、にこにこと嬉しそうに微笑んだ後、上品に一つずつ口に運んでいた。
この丁寧な所作を見る限り、彼は間違いなく公爵家で生まれ育った人間なのだ、とリヴィアは実感する。
(本当に、どうして私なんだ……)
リヴィアはクラウディオの横顔を、窺うようにじっと見つめていた。すると突然、通り沿いの店先からクラウディオを呼ぶ声が上がる。
「お! 団長様じゃねえか。なんだい、今日はデートかい?」
「嬉しいな、そう見えますか」
「ク、クラウディオ!」
「あんたにはいつも世話になっているからな。ほらいつものだ。持ってけ!」
そういうと店主は、油紙に包まれた何かをクラウディオに放り投げた。ぱし、と器用につかみ取ったクラウディオは、ちょいちょいとリヴィアを手招きする。
油紙の中には、オレンジの香りがする揚げ菓子が二つ収まっていた。
「これは?」
「リソルです。中に干しブドウが入っていておいしいですよ」
クラウディオは自分の分を手に取ると、油紙ごと残りをリヴィアに手渡した。揚げたてのそれを口に運ぶと、沸き立つような湯気と甘い匂いが口いっぱいに広がる。
「先ほど店主が『いつもの』と言っていたが」
「え、えっと、その、……あの店のが好きで、よく買うんです」
「そう言えば、ルイスの頃から甘いものが好きだったな」
「お、覚えてたんですか⁉」
「当たり前だろう」
するとクラウディオは恥ずかしくなったのか、頬に朱を走らせたまま無言でリソルを頬張り始めた。その姿がどこか昔を思い出させ、リヴィアはふふと微笑む。
そのまま連れ立って歩いていると、数歩行ったところでまた別の店員がクラウディオに声をかけた。世間話をした後足を進めると、今度は街の子どもたちに取り囲まれる。それが終われば、今度は怖そうな職人たちから次々と挨拶された。
「クラウディオ、君は知り合いが多いんだな」
「俺の騎士団は、市街地の警邏を担当しているんです。ですから見回りとかで、自然と顔を覚えられた感じですね」
やがて大通りも半分を過ぎたあたりで、再びクラウディオが呼び止められた。彼が振り返ると、祭りのために着飾った女性陣がきゃあと黄色い声を上げる。
「やだ、クラウディオ様もいらしていたんですか⁉」
「きゃー偶然! あの、良かったら一緒に回りませんか?」
「え、何、クラウディオ様がいるの⁉」
その声を呼び水に、どこからともなくわらわらと女性たちが集まって来た。その怒涛の迫力に危機を察したリヴィアは、すばやく店の陰に身を隠す。
「クラウディオ様、今度うちの店に寄ってくださいませ」
「ちょっと抜け駆けしないでよ、ねえクラウディオ様、私と遊びません?」
「は、離れてください!」
女性たちは完全に目にハートマークを浮かべており、庭園の鯉に餌を与えた時のような衝撃的な光景を前に、リヴィアはこくりと息を吞む。
(す、すごいな……あの人数に包囲されたら、以前の私でも振りほどけないぞ……)
案の定、下手に力で追い払えない状態に、クラウディオも困惑しているようだった。何とか助け出してやりたいが、ここでリヴィアが見つかれば、さらに余計な騒動に発展する恐れがある。
クラウディオは普段この辺りで仕事をしているようだったし、あまり迷惑をかけるのも申し訳ない。
(妹……いや、親戚の子で通せるか?)
よし、と覚悟を決めてリヴィアは立ち上がる。
だがそこで、わずかな物音を耳にした。
女性たちの喧噪を排除して耳を澄ます――すると裏通りの陰で、小さな女の子が倒れているのを発見した。
どうしたんだ、と疑問に思ったリヴィアがすぐさま足を向ける。すると通りの奥から、二人の男が現れた。女の子を担ぎ上げたかと思うと、そのまま暗がりに消えていく。
(まさか、誘拐か?)
クラウディオの方を振り返るが、先ほどより女性の数が増えており、どこにいるのか見つけることすら出来ない。一方誘拐犯たちは、少女を抱えたままどんどん離れて行ってしまう。
リヴィアは一瞬だけ迷ったが、すぐに裏通りに向かって駆けだした。







