第一章 11
三日後、クラウディオから再び求婚の申し出が届いた。狂喜乱舞する両親から呼び出されたリヴィアは、ううと頭を抱える。
(クラウディオの奴……本当にもう一度、申し込んで来るなんて……)
断ろうにも、喜び浮かれる両親を前に言い出すことはためらわれたし、何よりリヴィア自身が彼の本気を前にして、少し考えてみようという思いが生じていたからだ。
(本当に無理だと思えば、父上も理解してくださるだろうし……)
この国の貴族にしては珍しく、恋愛結婚で結ばれた両親だったため、二人はリヴィアの結婚についても非常に寛容であった。
もちろん、より強い家と繋がりを持ちたいというのも本音なのだろうが、そのために娘を差し出すようなことはしない人たちだろう。
(クラウディオと、リヴィアとして、か……)
彼の言葉を思い出したリヴィアは、一拍遅れて顔を赤らめる。
あの時はクラウディオの胸を借りて泣くなど、情けないところを見られてしまった。彼がそれをからかわず、受け入れてくれたことには感謝しているが、リヴィアにもかつての隊長としての矜持というものがある。
(もっとしっかりしなければな……。あまりルイス、……いやクラウディオに頼ってばかりではだめだ。そのためにはやはり――)
よし、と拳を握りしめたリヴィアは、さっそく自室へと駆け戻った。クローゼットの中身をあらためていると、朝の支度を担当するメイドが現れ、きゃあと飛び上がる。
「お、お嬢様? 一体どうされたのですか?」
「ああ、すまない。ドレスではなく、動きやすい衣装を探しているのだが」
「ドレス以外でですか? 急に言われましても……」
「では悪いが、いくつか仕立てるよう手配してくれないか。男物を私の丈に合わせるだけでいい。すぐに汚すだろうから、うんと安い生地で」
「な、何に使われるおつもりですか?」
「いやなに、ちょっと体を動かすのにな。あと、明日からドレスも出来るだけ簡素なものにしてくれ。色も派手でない方がありがたい」
そう言うとリヴィアは、奥の方にしまわれていた古いドレスを取り出した。植樹祭かの式典用に作ったもので、色味が地味だったため一度しか着せられなかったものだ。
この丈夫な生地であれば、多少動いても破れないだろう。
「悪いが、着替えを手伝ってもらえないか?」
「は、はい。ですが一体何を」
「少し、鍛錬をしようと思ってな」
かつてのベアトリスは冷静で、とても武に長けた女性だった。
だがそれは騎士の家系に生まれた宿命で、幼少期より男性と同じだけ、むしろそれ以上に体を鍛えていたからである。
この十八年、ごく普通の令嬢として過ごしてきたリヴィアに、当然そのような胆力がついているはずはない。
そこでリヴィアはまず、己の体を鍛えることにした。
(どうもここ数日、やたらと心を乱されている気がする。健全な精神は、健全な肉体に宿るという。今から体を鍛えれば、きっと何事にも動じない私になれるに違いない)
本当は剣が欲しかったのだが、父親から一度断られているため入手は難しい。そう判断したリヴィアは、とりあえず倉庫から持ち出した木材を使って、庭の隅で素振りを始めることにした。
ずしりと腕にかかる重量に、たびたび上体が引っ張られる。そのたびにリヴィアは足を踏ん張り、必死に体勢を整えた。
(ベアトリスはこれよりもっと重たい剣を自在に操っていた。……やはり、全然腕の力が足りていないな。あと下半身も鍛えなければ)
自らの未熟を反省しつつ、リヴィアはさらに鍛錬を続けた。
突然のことに筋肉は悲鳴を上げていたが、リヴィア自身楽しくて仕方がない。一心不乱に体を動かしていると、今まで心の中に溜まっていたもやもやが、少しずつ晴れて行くようだ。
(ああ、やはり体を鍛えるのはいいな!)
段々木材の重さにも慣れてきて、リヴィアは勢いよく横に斬り払う。はあっ、せい、と掛け声を挙げながら振りかざしていると、かつての爽快感を思い出すようだった。
調子が出てきたリヴィアは、さらに深く踏み込もうと強く木材を握りしめる。
「――ッ!」
だが突然の激痛に、リヴィアは思わず木材を取り落とした。
見れば手のひらに、大きな傷が走っている。どうやら磨き処理の甘い部分があったのか、切ってしまったようだ。
(こんなに、痛いものだったか)
ベアトリスだった頃は、剣だこが出来ては潰れを繰り返し、頑強な手のひらが完成されていた。だが今のリヴィアはそれこそ筆記具や編針を持つ程度の、普通の女性の柔肌でしかない。
そのまま続けようかとも考えたが、傷口がじんじんと熱く、とても握れそうにない。仕方なくリヴィアは木材を片付けると、適当な水場を求めて邸の方へと赴いた。
思ったより傷が深かったようで、気づけば血が甲にまで伝っている。
(メイドが見たら卒倒しそうだ……どこか洗えるところは……)
だが邸の正面玄関に差し掛かったところで、背後から靴音が鳴った。嫌な予感がして恐る恐る振り返ると、いつの間にか邸を訪れていたクラウディオが、唖然とした表情でリヴィアの方を凝視している。
まずい、とリヴィアは咄嗟に手を背後に隠した。
「リヴィア様⁉」
「ク、クラウディオ、よく来たな」
「よく来たなじゃありません! 手! 今隠した手を見せてください!」
「い、いや、大したことじゃないんだ、本当に」
「いいから早く!」
クラウディオは大股で接近し、あっという間にリヴィアの前に立った。その目は恐怖を感じるほど怒っており――リヴィアはベアトリス時代、隠していた負傷がばれた時のぶちきれたルイスの顔を思い出す。
渋々と言われるままに手を差し出す。
クラウディオはしばらく創傷を見つめていたが、すぐにリヴィアの手首を握ると、なかば強引に邸へと歩き出した。
「クラウディオ、このくらい、大した傷では」
「化膿して悪化したら大変です。すぐに手当てしましょう」
「う、うむ……」
慌ただしく邸に入って来た二人に、メイドたちが一斉に驚く。
最初はクラウディオの訪問に、そして次にリヴィアの手についた血痕にだ。
「失礼、どこか部屋を貸していただけますか。それからきれいな水とたらい、アルコール、あと包帯も」
クラウディオがてきぱきとメイドの一人に指示を出し、リヴィアはあっという間に来賓室のソファに座らされた。
傷口に瓶から水を掛けられたかと思うと、消毒、処置と恐ろしい手際で手当てがなされていく。
「す、すまない」
「いえ、早めに気づけて良かったです。貴方は『このくらいの傷舐めていれば治る』というタイプでしたから」
「む、昔の話だ」
きつく巻かれた包帯のおかげか、むず痒いような痛みも熱さもない。何度か動作を確かめるように手を握ると、リヴィアは改めてクラウディオに微笑んだ。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
で? とクラウディオが突然、リヴィアの指先をぎゅっとつまむ。
「どうしてこんな怪我をしたんです?」
「い、いたた、クラウディオ、痛いぞ」
「傷の方がよほど痛いはずです。で、一体何をしていたんですか?」
笑顔ですごまれ、逃げ場がないと察したリヴィアは、正直に剣の練習をしていたことを打ち明けた。







