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第一章 前世の部下からプロポーズされた件




 ばしゃり、と軍靴が泥水を跳ね上げる。


「隊長! イルザがやられました!」

「振り向くな! いいから走れ‼」


 殿を務めていたベアトリスは、恐怖に顔をひきつらせた部下を叱責した。だがその直後、前方からけたたましい悲鳴が上がる。

 馬上から仲間たちが次々と落下し、同時に槍や剣で肉を刺す恐ろしい音が、あちこちで湧きおこった。


「何が起きた⁉」

「ふ、伏兵です! 前方の森から、別の部隊が!」


 ベアトリスはいよいよ冷静さを失いかけていた。

 長きにわたるイリア帝国との戦い。今回は守備が薄い辺境の渓谷を、少数の精鋭二部隊で侵攻する作戦だった。だが主戦力であるベアトリスの隊が到着した途端、突如崖上から大量の落石に襲われたのだ。


(くそッ! 後方部隊はまだか⁉)


 あまりのタイミングの良さから、ベアトリスは『帝国側に情報が漏れていたのでは』と疑いを持つ。しかしそれに気づいたところで、岩場に潜伏していた兵から逃れることなど出来なかった。

 どうやら帝国側はこちらの人数も把握していたらしく、倍以上はあろうかという兵士たちによる襲撃は、もはやただの蹂躙と変わらなかった。ベアトリスの美しい白銀の髪は泥と血にまみれ、見るも無残な有様となっている。


「一旦下がれ、私が出る!」


 見る間に崩壊していく前線に、ベアトリスは一気に駆け上がった。手にした長剣で敵兵たちを鮮やかに屠り、突きつけられる刃物を薙ぎ払う。

 だが敵兵は皆堅牢な鎧に身を包んでおり、ベアトリスの強靭な一撃を食らった後も、何度も起き上がってきた。


(きりがない……いつまでもたせられる……?)


 焦燥を煽るように味方の断末魔が耳を裂き、ベアトリスは必死に援軍の到着を待った。その間も敵兵は増え続けており、こと切れた仲間たちの屍の中で、ベアトリスは一人勇壮に立ち回る。その姿は『ロランドの戦乙女』と称されたベアトリスとは思えないほど鬼気迫っており、かつてないほどの怒りに満ち溢れていた。

 しかし突然、ベアトリスの足元が大きく揺れる。

 視線を落とすと、従卒時代から彼女の相棒として活躍してきた黒馬の腹に、鋭い矢が突き刺さっていた。苦しみのたうち回る馬の背にとどまることは出来ず、ベアトリスはたまらず地面へと身を投げうつ。


「――アルヴィス!」


 ベアトリスの叫びも虚しく、愛馬は射られた矢を連続して背に受けながら、彼女を守るかのようにその場に転倒した。いよいよ敵の只中に放り出されたベアトリスだったが、その目はいまだ生き延びることを諦めてはいない。

 だが圧倒的な数の暴力を前に、次第にベアトリスは押し込められていき――大きく敵を払ったその瞬間、背後に剣を構えた兵士がいたことに気づいた。しまった、と振り返り目を見開くその隙に、鋭い切っ先が振り下ろされる。


「――!」


 息を吞み込み、死を覚悟した。

 しかしベアトリスの体はまだ繋がっており、一体何がと目をしばたたかせる。するとその眼前で、真っ赤な血しぶきを上げる体が倒れ込んだ。

 その顔を見たベアトリスは、たまらず絶叫する。


「ルイス‼」


 ベアトリスの腹心であり、副隊長でもあったルイスが、その身に刃を受けていた。

 どさり、と倒れ込む重々しい音に、ベアトリスの頭は一瞬で真っ白になる。だが敵兵たちはなおもにじり寄って来た。


「貴様ら……よくも、ルイスを!」


 その後のことは、ベアトリスもよく覚えてはいなかった。

 ただ体中を流れる血が熱く滾るようで、ただひたすらに目の前にいる敵を斬り伏せる。ぐたりと弛緩したままのルイスを肩に担ぐと、軍神のごとき圧倒的な強さで周囲の人間を制圧していた。

 泡を吹き呻く敵兵たちの中で、ベアトリスは絶望の光景を目にする。


(イルザ……ベイルード……レオルド……)


 昨日まで軽口を言っていた仲間たちが。

 あまたの戦いを共に駆け抜けてきた戦友たちが。

 いまは物言わぬ骸となって、血だまりの中に投げ出されている。


(私の、……せいだ……)


 かすかに息があるものの、氷のように冷えていくルイスの体を担ぎ直していると、突如背後で甲高いいななきが上がった。振り返ると矢が刺さったままのアルヴィスが、最後の力を振り絞ってこちらへ向かってきているではないか。

 ベアトリスはすぐにルイスの体をその馬上に押し上げると、しがみつくようにして自身も跨った。蟻のように湧き出てくる敵兵から逃れるべく、森へと懸命に走駆する。


「はあ、っ、あ……」


 がむしゃらに拍車を押し当てる。どこを走っているかも分からないまま、ベアトリスは必死にアルヴィスの背に食らいついた。だが道を踏み外したのか、ぐらりと足元が傾いだかと思うと、そのまま急傾斜を転がり落ちてしまう。

 豪快に枝と葉を削り取りながら、ベアトリスは愛馬共々崖下に呑み込まれた。せめてルイスだけは、と抱きしめたまま、ほぼ垂直に近い角度を滑落する。

 やがて岩場に投げ出されたベアトリスは、全身の骨が折れたのではないかという激痛を堪えながら、弱々しくルイスへと語りかけた。


「ルイス、無事か……」


 おぼろげな視界の中、懸命にルイスの名を呼ぶ。

 衣類の端を破き、すぐに切創の手当てをしようとした。

 だがその手をがしりと掴まれる。


「……ベアトリス、さま」

「ルイス⁉ しっかりしろ、すぐに手当てを」

「俺はもう、だめです。どうか、俺を置いて、逃げて……」

「そんなこと、出来るわけないだろう」


 だがベアトリスもまた、ルイスの傷の深さを前に、助かる見込みがほぼないであろうことを予感していた。彼も自らの状態を理解しているのか、ベアトリスを見上げてゆっくりと目を細める。深い紫色の瞳には、光が灯っていなかった。


「すみません、お守り、出来なくて……」

「もういい、しゃべるな」

「最期、だから……伝えたいん、です」


 ルイスが伸ばした手を、ベアトリスは恐る恐る握りしめた。ひやりとした肌。浅い脈。血が完全に落ちてしまっている証拠だ。

 震える唇はわずかに微笑んでおり、ルイスは掠れた声で呟いた。


「俺……ずっと、あなたのことが好きでした」

「……」

「あなたにとって、俺はただの部下の一人だったかも、知れないけれど……俺は、あなたの傍で戦うことが出来て、本当に、幸せ、でした……」

「わかった、わかったから、もう」

「隊長、もし、……もしも……来世でまた出会うことが出来たら、その時は……結婚してもらえませんか?」

「弱気なことを言うな。お前は死なない。生きるんだ」

「お願いします。返事を――」


 真っ白になったルイスの唇を前に、ベアトリスは必死に涙を呑み込んだ。ルイスの手を力強く握り返しながら、出来るだけ優しく言葉を紡ぐ。


「わかった。結婚しよう」

「ほんと、ですか?」

「ああ。だがそれはまだ先の話だ。今は一刻も早くここから――」


 握りしめていたルイスの手が重たくなった。

 幸せそうな笑みを浮かべたルイスの眦には、大粒の涙が溜まっており、やがてつうとこめかみの方に流れ落ちる。ベアトリスはその光景を無言で見つめていたが、最後にもう一度だけ手に力を込めると、彼の涙の跡をそっと指で拭い取った。


 崖の上で大勢の靴音がする。

 どうやら居場所を嗅ぎつけられるまで、あまり時間はなさそうだ。

 ベアトリスはしっかりと立ち上がると、岩陰で四肢を投げ出した愛馬の元へと歩み寄った。傍らにしゃがみ込むと、事切れた黒馬の背を撫でてやる。


「お前も……ありがとな」


 せめて綺麗な体にしてやりたい、とアルヴィスの背に刺さる矢を抜いてやる。

 思ったほど出血はなく、立派な鷲の紋章が刻まれた矢じりを見つめ、ベアトリスは忌々しくばきりと手折った。


「――お前たちの仇、私がとろう」


 やがて茂みの向こうから、黒い鎧の群れが姿を見せる。まるで死神のようなその集団を前に、ベアトリスは静かに剣を構えた。燃え盛る青い炎のようなその闘志に、彼女を取り囲んでいた敵兵たちは一瞬だけ気後れする。

 その隙をついて、ベアトリスは一気に間合いを詰めた。

 絢爛な薄紫の目が、敵を捕捉し、鮮血を奪う。

 戦って、戦って、戦って――そして、ベアトリスは命を落とした。



 

前世で軍人だった令嬢と前世でその部下だった騎士団長の婚約攻防ラブコメです!

のんびりお付き合いいただけると嬉しいです~!

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