001-剣聖2
001-剣聖2
「これで終わりか?」
トレバー=ランは気だるげに刃を収めると、肩を落として吐息を漏らした。
今宵は月無き夜、仄暗いカンテラの明かりのみが彼の視界を照らしている。
都市から離れた荒野、木々の枯れた岩盤地が広がる。
だがトレバーの周囲には夥しい量の死骸が転がり、辺り一帯を血に染めあげていた。多種多様な獣に加え凶悪な魔獣、そして一人のローブに包まれた人間。多くの怪物を掌握し都市圏に人的被害を齎した男魔術師。
賞金首、獣魔使いの悪名で知られたホロローク=ザルパンの身体が打ち捨てられている。
「さすが“十二位”だ」
軽薄な声が背後から掛けられた。トレバーは柄に手を当て振り返る。
黒鎧の護衛二人を連れた人間が一人立っていた。細身の男だ。この場に不釣り合いな白のスーツを身に纏い、薄笑いを浮かべながら下卑た視線でトレバーを見据える。
左手首に嵌められた紫の環は轟喰らいの八番目の骨層から削りだされた特注品、これを手にするものは限られる。
闇ギルド、広域結社"ジュラル血盟"における人狩り所属者の証。
「ホロロークの操る獣軍を剣一本で討滅とは、いやはや帝国の剣士の剣技は恐ろしいですなあ」
男は斬り殺された魔獣を足蹴にしながら語り掛ける。その声には嘲りが含まれていた。
「剣聖だ。俺を侮辱しているな貴様」
「おっと、失礼……」
「俺を十二位と呼んだな?」
二度も侮辱したな?
トレバーが男の前に足を踏み入れる。彼の大きな図体に比べて貧相な曲剣を既に抜いていた。あまりにも自然、極限まで練り上げられた術理による抜刀を誰もが認識出来ない。
男の嗤いが引き攣った。立ち上る鋭い剣気を前に、畏れが生まれた。
『『待て、それ以上近寄るならば殺す』』
全く同じ風貌の、黒鎧の二人がトレバーと男の間に割って入る。
鎧越しから伝わる戦意、主へ刃を向ける者は誰であろうと容赦はしないという揺るがぬ気迫に、トレバー=ランは足を止めた。
「ふん……駆動鎧か」
二人の姿を一瞥し、毒づくと男へ目を向ける。
「ホロロークの死体は好きに回収しろ、対価を忘れるなよ」
そう言ってトレバーは背を向けた。既に彼の身から放たれる殺気も圧力も感じない。
容易に引き下がった剣聖の振る舞いは、男にとって最悪の選択を選ばせた。
(ふ、剣聖と呼ばれても所詮は一個人。八層の私に手は出せまいよ)
「ええ、勿論ですとも“狂犬”殿。報酬については抜かりな――」
「三度目だ」
強烈な殺害意思がトレバーの背より滲み出る。
即座に黒鎧が動いた。駆動鎧、外付けの装甲を装着者の動きに追従して稼働させることで人のスキルを機械の膂力により増強する強化外装。
更に中身はどちらも中位の剣士。鎧により力を増した剣戟は並の上位剣士を圧倒する。
人の技と先鋭科学の融合、二つの要素が噛み合い昇華した力は例え相手が剣聖であろうと 「三度目は許さない」 男の首が跳ねられた。
『『なっッ!』』
剣聖は背を向けたまま。無防備にも見えるその姿を前にして、飛び出した護衛達は動きを止めるを得なかった。
一瞬だ。微かに立ち上る鋭い剣気、認識の追いつかない超速抜刀。
もう終わったとばかりにトレバーは去る。
去る直前に、一言だけ告げた。
「お前達二人も俺を殺せると思っている」
侮辱だな。言い切って剣聖は消えた。
『ちくしょう……』
黒鎧は彼を追わなかった、否、追えなかった。
殺意を持ってトレバーの前に飛び出した時点で、二人は既に終わっていたのだ。
身体が動かない。視界がズレる。後悔の念も死への恐怖も死んでしまった者には思い浮かべる暇は与えられない。頭頂から股下まで一本の赤い線が走る。
『ご、神速……』
二人は真っ二つに切り分けられた。
……
…………
………………。
「見ているな? 誰だ」
荒野を後にして数分後、己を観察するような視線を背に取り振り返ったトレバーは気配の主へ言葉を浴びせる。
答えは直ぐに返ってきた。
「クフフフ、見事です剣聖。誉ある帝国屈指の剣速を誇る神速の剣聖殿。私程度の隠形など児戯に等しいのでしょう」
表情の無い黒塗りの仮面を被った怪人が現れる。
自信を失いそうですね。何処か軽薄で、しかし先の男とは違い重みのある雰囲気を纏う藍装束の怪人はそう宣いながら前へ出た。
彼の背中にはホロローク=ザルパンと、トレバーに首を落とされた男の遺体が縄に縛られ背負われていた。
人二人分を重荷にしているのが感じられない流暢な体捌き。
只者ではない。しかしトレバーの気に触れるのはそのような所ではなく――
「俺は何者かと聞いた、お前は答えなかった。侮辱か?」
「いいえ違いますとも、私の名前はセナトロフでございます」
セナトロフと名乗った怪人は背中に吊った白服の遺体を指さし、
「コレの上司にあたります」
皮肉屋で可愛げのある男でしたが、貴方に殺されたのならその程度の男だったのでしょう。セナトロフはそう言った。
「お前は、珍しい奴だな」
「ええ、その通りです」
セナトロフには何も無かった。部下を殺された事による情動も、トレバーに対する感情も。
「それで今更何しに来た」
「ホロローク=ザルパンの始末に報いる誠意を」
もうひとつ、個人的に部下の非礼を詫びに来ました。セナトロフは懐から紫の袋を取り出しトレバーへ投げ渡した。
「詫び、か。あの様な塵芥を差し向けておいてよく言うな」
「ええ、その点も含めてお詫びを」
仮面越しでもセナトロフが笑みを浮かべたことが分かる。
袋を掴みトレバーはセナトロフを睨んだ。受け取った袋の中には本来の報酬の倍近い額の金貨が詰められている。
そして次の依頼書も。
「ローランドの仕事は終わりです。一ヶ月後、我々はアラドへ発ちます」
「血盟主が待っている。是非トレバー=ラン殿にも来て頂きたい」
「では、私はここで」
セナトロフは藍色の装束を翻し闇に溶けた。
完璧だ、おぞましいほど完成した隠形の極地である。欠片も存在を感じ取れない。
トレバーはセナトロフが最初に敢えて“気付かせた”のだと悟る。
『クフフフ、見事です』
己を賞賛したかのような言葉も、今となっては馬鹿にされている気がしてならない。皮肉屋はあの男の方であった、という訳だ。
「侮辱だな」
トレバーは一人残った闇の中で呟く。しかし彼はひとつの事を延々と引き摺る気質はなく、その思考と意識はセナトロフに齎された依頼書へ向けられる。
「アラド大陸か」