乙女ゲーの世界に転生した方とお話をした。
読んでいるとたまに脳内での変換がバグる時があるんですわ。
“この方”は幼い頃からゲームが大好きだった。
最初は有名どころの土管工兄弟達による壮大な踏みつぶすだけ踏みつぶしていくゲームから始まったが、正直のところ……女の子向けのゲームもあっていいんじゃないかと思っていた。
むしろそういうのがやりたいと、その気持ちは歳を重ねる毎に膨れ上がっていった。
その感情を加速させるゲームも登場した。
ときめきにメモリあっている――しかしあれは男の子が主人公のゲーム。
女の子が主人公でときめきにメモリあっていくのもこれまたやってみたいものであった。
空に向かって流れ星を探して、そんなゲームが出ますように! と懇願して数年。
後にそれは、“乙女ゲーム”と称されてゲーム会社の奮闘により意外と早い段階で発売されてこの方の願いは叶った。
日本のゲーム会社万歳! 心の中で大きく叫び、感謝の正拳突きを一日十回くらい行ったのだとか。
餌に飛びつく小動物のようにこの方は乙女ゲームに没頭していった。
そしてこの方は今日も駆ける。
「はぁはぁ……」
乙女ゲーの効果が切れて息切れ気味のようだ。
すっかり『乙女ゲウム』を摂取しないと動機に息切れを起こしてしまう体になってしまっていた(薬物とは一切関係はございません)。
もはや焦燥感にすら駆られて、この方はこれといった確認もせずに横断歩道を渡る。
……渡ってしまった。
異世界転生よろしくばりの中型トラックが真横にいたが、時既に遅く。
走る衝撃は左から右へ。
この方の頭部も大きく揺られ、ブレる視界と停止する思考では何が起きたかは分からなかったが、意識が微かに働いた頃には動かない体と、少しずつ引きずられていくかのように薄れていく意識。
――きっと私は死ぬのだろう。
意外にも走馬灯は見なかったが、走馬灯が見えたとしてもこの方はジャージ姿で乙女ゲー攻略に奮闘している日々ばかりだったのではなかろうか。
いい人生だったかどうかはさておき。
今やっている乙女ゲーの限定グッズは、確実に買えないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
走る衝撃は左から右へ。
更に地面へ頭をぶつけて右側に小さなたんこぶをつくったと同時に、“この方”は前世の記憶を思い出した――らしい。
痛そうにたんこぶをさすっている。
ついでになんやかんやでこの世界が乙女ゲーの世界なのだという事も思い出したという。
私にはこの方の言っている事は何一つとして理解が出来ていない。
乙女ゲーム? それは一体何のお話なのでしょう?
「あの、大丈夫です……?」
「え、ええ……大丈夫ですわ」
お手を差し出すと「お気遣いなく」と、確かな足腰ですっと立ち上がった。
よかった、たんこぶ以外の怪我もなさそうだ。
「お詫びにといってはなんですが、紅茶でもご一緒にどうでしょう……?」
「あら、それは嬉しいわ。ではお言葉に甘えて」
紅茶は好きそうだ。
笑顔で私の後ろをついてくる。
丁度庭では紅茶と菓子を準備している。
椅子やテーブルも運び込ませて、ここでは花々に包まれながらティータイムを堪能できる空間を作り出している。
狭い庭ながら、環境作りに力を注いだ甲斐があって私にとって最高の空間が出来上がった。
この方にも満足していただけるかしら。
執事に紅茶を注がせて、先ずはその香りをそっと鼻孔へと誘う。
ああ、最高の香り。
心を優しく撫でるように、そして撫でたそばから溶けていくかのような感覚は夢心地。
私と同じように、紅茶の香りを楽しみ、恍惚に表情を緩めているこの方を見ていると嬉しく思う。
「しかし、前世の記憶というのは……」
「私も驚いてますわ……」
「それが本当なのでしたら、興味深いですわね」
私をからかっているわけではなさそう。
その目を見る限りでは、嘘はついていないように見える。何より、私を騙したところで何の得があろうか。
この方と同様の十五ほどの、これといって権力をも持ち合わせていない少女でしかない私を取り込もうとする意味は……まったくない。
「いやしかし、少しホッとしてますわ」
「というと?」
「性別は前世のままだったので、性別が違っていたら今頃少し戸惑っていたかもしれないですわ」
私もこの方と同じ立場であったのならば確かになるほどと、小さく頷いた。
「前世ではどのような生活を?」
「ずっとゲームばかりをしていましたわ……」
「ゲームを?」
「ええっと……この世界でのゲームとは少し違いますわ。室内でやるゲームなのですけど……うーん、説明はちょっと難しいですわ」
両手で何かを掴み、親指を動かしてこの方のいうゲームを仕草で教えてくれる。
私の知る室内でのゲームはチェスなどのボードゲームとは違うようだ。
「面白いんですの?」
「そりゃあもう、とっても面白いですわ!」
「やってみたいものですわね」
「難しい技術を要するので、無理だと思います……」
「それは残念ですわね……」
「でもこの世界そのものが、そう! 乙女ゲーの世界なのですわ!」
先ほどのしょんぼりとした表情は一瞬に、雲から太陽が顔を覗かせたかのように明るくなった。
「その、先ほども申しておりましたが……乙女ゲームというものが、未だに意味がよく、分かりませんの……」
「いえ、いいのです。私の言っている事はきっと誰も理解はできないでしょう」
少しばかり、考える。
紅茶を口にして、思考の整理。
乙女ゲーとやらや如何に。更にお話を聞いていったが、やはり私には、理解が及ばなかった。
「ああ、その……私の頭がおかしくなったわけではないので、そこはご理解してほしいです」
「不思議なお話をされて、少々困惑しておりますが……」
しかしこの方はどこか普通の人とは違う雰囲気をいつも纏っていた。
前世の記憶を思い出した今、その雰囲気は更に色濃く、違いを感じている。
「貴方は昔から少し変わっているところがございましたし、それが前世によるものであるのだとしたら――どこか納得している私がおります」
それを聞いて、不安そうな表情は見る見るうちに明るくなっていった。
受け入れてくれた、信じてくれた――そんな喜びがにじみ出ている。
「記憶を取り戻した今、これからどうなさるのです?」
「ん……そうですね、前世の記憶をこの世界でどうにか活用できる術を探してみようと思いますわ。旅に出てみるのもいいですね」
「私も力になれる事がありましたら、是非とも協力させてくださいませ」
「ありがとうございますっ」
ティータイムを終えて。
もう少しお話を聞きたかったけれど、この方もやる事ができたらしい。なんでも破滅フラグがどうこうと言っていたが、やはり私には理解できなかった。
それでも嘘をついているわけでもなさそうだ。
このようなお話を信じてみるのもまた、面白いのではないだろうか。私とこの方だけの秘密の共有だ。
やはり、この方は私達とは少し違う。
「また時間ありましたら茶ぁしまひょ。わいはこう見えて茶には目がないんですわ。男が紅茶好きって変なもんでっか?」
「ふふっ、別に変ではございませんよ」
「ああ、そう言ってくれると嬉しいですわ」
「いつでもお気軽にお越しになってください」
「せやかていつになるか分かりまへんが。ほいじゃ、さいなら~」
だって、そもそも喋り方が独特なのですもの。
きっと前世の記憶が影響しているのでしょう。この方曰く、前世の出身はカンサイという地名らしい。カンサイ……聞いた事がないですわね。興味深い。
たこやきやおこのみやきといった食べ物が好きらしいのですが、もし再現できたら食べさせてくれるそう。
とても楽しみですわ。