第4章 2
(人間たちもいるってききましたけど、見当たりませんね……)
周囲をじっくりと見渡したその時、ゼロナはあることに気付いてぞっとした。
木の根っこの隙間の中に眠るようにして埋もれているのは、多くの人間たちだ。いや、眠っているかも分からない。もしかしたら、もう……。
「この人間たちは羽休めの木が実をつけるための栄養になっているのよ」
「!」
その声に振り返ると、そこには女性の姿をした魔法使いがいた。
「栄養!?じゃぁ、彼らはこれからどうなるんでしょうか?」
「さぁね」
「……」
そして彼女は、フワリとゼロナから離れて行った。
ゼロナは嫌な予感を持ちながらも、人間たちの中からみのりの姿を探す。
すると、あっけなくみのりは見つかった。彼女も他の人間たちと同様、木の根っこの間に体を丸めて眠っている。
ゼロナはみのりに近付くと
「みのりさん!現実界に帰りましょう!乃和が心配してますよ!」
「うーん……眠い……動きたくない……」
みのりは目を閉じたまま、呟いた。
「いいから、帰りましょう!」
「いやだ……うごきたくない……」
「何言ってるんですか……っ」
思いもよらぬみのりの発言に、ゼロナは驚きと苛立ちを隠せなかった。
みのりは乃和の「友だち」のはずなのに。みのりにとって乃和は、大切な存在ということではなかったのだろうか。
そんな彼女のことを無理やり連れ帰っても、乃和のことを元気つけることはできないと思ってしまった。
(「友だち」なんて、大したことないんですね、みのりさんはそこで、木の栄養にでもなってればいいんですよ……)
やはり乃和に必要なのは、「友だち」ではなくて自分だ。
そのことを改めて実感できて、ゼロナは安心した。
アプリ界で浮いている自分にとっては、乃和は必要不可欠な存在だった。だから、乃和にとって自分も必要不可欠な存在であってほしい。
自分のことだけを必要としてほしい。
「人間なんかに話しかけて気持ち悪」
「ほらみて、やっぱりアイツ、バグ付きよ」
「やだやだ、感染されたら大変。行きましょ」
その話声に振り返ると、ゼロナの周囲にいた魔法使いたちはいつの間にかいなくなっていた。
「はー、だから嫌なんですよ……」
ゼロナはため息をつく。
たまに自分の箱庭からでると、毎回こうだ。
聞こえる音量で毒を吐かれたり、時々後方から攻撃を仕掛けたりしてくる者もいる。
慣れたと思っていたが、やはり居心地が悪くて仕方なかった。
(……取りあえず箱庭に戻りましょうか)
そうした方がいいに違いない。
ゼロナはここまで来たと同じように、矢印の案内にのって箱庭に戻ると中に入るため、扉を開けた。
「!」
すると、思わぬ光景が視界に写り込む。
箱庭の中は、何者かによって荒らされていた。色とりどりのクッションは、無残に引き裂かれ、月のランプは床に落ち割れてしまっている。
「はー……」
また、嫌がらせに違いない。
ゼロナは右腕の包帯部分を力強く握りしめていた。
この包帯の下には、「バグ」が染み込んでいる。黒い傷のようなそれは、日に日に拡大し全身に回り込むと言われている。そして、バグに支配された者は自我を失い、狂暴化するらしい。
(確証もないのに、何でこんなことされないといけないんですか……)
バグによって、自分が誰かに迷惑をかけたわけでもないのに。
ゼロナにとって箱庭は、アプリ界で唯一安心できる居場所だったが、それはもう叶わなくなってしまった。
(もうここに私の居場所なんて、なんですね……)
そう実感した途端、HPがガクンと減るのを感じる。疲れたことをしたわけでもないのに、一歩も動く気になれなかった。
この症状は一体何なのだろう。「対戦」でMPやHPを大きく消費した時ときよりも、体の自由がきかない。
今はただ、安心できる場所でゆったりと休みたかった。
+
乃和はスマホのアラーム音とともに、目を覚ました。
枕元においてあるそれを止めると、体を起こす。
(少しは、眠れたかな……)
寝つきは悪く、夜中何度も目が覚めたのだが。
乃和は肌寒さを感じながら、薄暗い部屋に足を下ろす。
「え?ゼロナ……」
いつもならスマホの中に入っているゼロナが、部屋の隅に蹲るようにして座っている姿が目にとまり乃和はドキリとする。一体どうしたのだろう。
「あ、乃和。おはよーございます!」
乃和に気付いたゼロナは、顏を上げると微笑んだ。その笑顔はなんだかとても弱々しい。
「おはよーってか、ゼロナ、ずっとそこにいたの?」
「ずっとではないですけど、大体はここにいました」
ゼロナは立ち上がると、乃和の隣へフワリと近付く。
「え、どうして?スマホの中じゃないとゼロナ休めなくない?」
「大丈夫ですよ!じっとしていれば、HPもMPも消費しませんし」
「……」
不自然なゼロナの行動に、乃和は不信感を持たずにはいらなかった。
「もしかして、まえわたしが夜中にスマホの充電切らしたこと気にしてる?」
「そんなんじゃないですよ?」
「え~……」
乃和はベッドの方に戻り、スマホを手に取ると「魔法使いの箱庭」を起動する。
ホーム画面には箱庭が表示され(いつもならゼロナも表示されるが、今は目の前にいるので箱庭には誰もいない状態になっている)、左下HPとMPケージを見てみる。
「HPもMPもほとんど残ってないじゃん!」
「あ、ばれちゃいましたか」
ゼロナは苦笑する。
「笑ってる場合じゃないし!もしかして、わたしの寝ている間に何かあった?」
もしかして、他の魔法使いから攻撃をうけたのだろうか。
「箱庭から外にでていたせいかもしれないですね。あと、私についているバグが原因の可能性もあります」
「……ゼロナのバグって、HPとかMPを急に減らすバグなの?」
「違いますよ?」
「……?とりあえず、早く回復しないと。ちょっと待って、今ショップでアイテム買ってくるから」
乃和はショップへのアイコンをクリックすると、買える分だけの「栄養ドリンク」と「星形クッキー」を購入した。HPもMPも一日一回の「睡眠」をとると、全回復する仕様だがそれができないのならば、こうするしかない。
「はい、沢山買ったよ」
「ありがとうございますっ」
ゼロナがそう言うと同時に、彼の周囲に栄養ドリンクと星型クッキーが現れた。それを胸に抱えるようにして持つと、その場に座り込み口へと運ぶ。
「やはりショップで買えるアイテムは一味違いますね!」
ゼロナは青色に発光している栄養ドリンクを飲み干すと、満足げに微笑む。
「そーいうもんなんだ……」
「はい!」
「修行」が終わった後にも、栄養ドリンクが貰えるがそれとはまた味が違うらしい。見た目が同じなので、てっきりショップで買えるものと同じだと思っていた。
「乃和も飲んでみます?」
「いや、わたしは遠慮しておく」
「そーですか……」
ゼロナは少しだけ残念そうにした。
興味がないわけではないが、これ以上「普通」から遠ざかりたくなかった。
(まえにゼロナ、アプリ界でういてるって言ってたよね……それも原因なのかな……とりあえずこれで元気になってくれればいいけど……)
乃和はご機嫌な様子で食事をしているゼロナを眺めつつ、そう思った。
それ以来、ゼロナがスマホの中に戻ることはほぼほぼなくなった。
乃和が仕事に行っている間は乃和の自室でアニメを見ているようだし、乃和が寝ている間は家から外にでてどこかで暇つぶしをしているらしい。
どうやらゼロナにとっての人間界は、興味をひかれるものが尽きないようだった。
乃和が自室の電気を消し布団に潜り込むと、ゼロナはいつもそうしているようにベランダから外へふわりと姿を消す。
(やすまなくて大丈夫かな、ゼロナ)
乃和はその後ろ姿を見届けると、目をつぶる。
(あれからHPとMPが極端に減ることはなくなったみたいだからよかったけどさ……)
ゼロナは乃和の自宅から離れた場所までくると、その姿を「乃和」に変化させる。そして、歩道に足をつくと静まり返った住宅街を見渡した。
姿を真似するのは、人間であれば誰でもいいのだが、やはり自分のよく知っている人物の方がやりやすい。
(今日は上手く捕まるでしょうか)
乃和の姿をしたゼロナは周囲を見渡す。すると、前方からスーツを着た男性が一人歩いてきた。
「……」
ゼロナは彼とすれ違うふりをして近付くと、男性行くてを遮るようにして目の前に立った。
疲れ切っている男性は、突然目の前に立った女性を何事かと凝視する。
ゼロナはその隙に男性の両肩を勢いよく掴むと、無理やり目を合わせた。
「そのままじっとしていて下さい。全部吸い取らせてもらいますから」
ゼロナはそう呟くと、目を大きく見開く。
……しばらくすると、男性は力なく地面に倒れた。次に、彼の体は青白い光に包まれ、パラパラと砕けると空気に溶けるようにして消え失せた。
どうやら無事アプリ界へ転送されたようだ。
「今日は上手くいってよかったです」
ゼロナは現実を映す力を吸い取った瞳を歪ませ、微笑む。
乃和からすべて力を吸い取るわけにはいかないので、適当な人間から吸い取るようにしていた。こうすれば、アプリ界へ戻らなくても良好な状態を維持することができる。
「やっとやる気になったみたいだなぁ!」
「!」
その声に振り返ると、そこにはみのり……いや、ID2277がいた。
みのりの姿をしたシルクハットの魔法使いは、腰に手をあて何故か得意げな笑みを浮かべている。
「あ、ニーナですね。こんな夜中になにやってるんですか?」
「そ、その呼び方はやめろ!」
「名前がないと不便なので、いいじゃないですか。あと、別に私は人間の抹消に興味があるわけではないので、勘違いしないで下さいね?」
ゼロナがそう言葉を並べると、ニーナは不服そうに眉を寄せる。
「じゃぁ、お前がさっきやってた行動は何だって言うだよ!?」
「乃和と、良好な状態で、一緒にいるための手段ですね」
「はーー?そんなことに何の意味があるって言うんだ?」
「……別に意味はないですよ?私がそーしたいから、そーしてるだけです」
「やっぱり変だぞ!お前。さすがバグ付きだな!」
「は?バグつきだろーがなかろーが関係ないですよ!」
「あまり目立つ行動は慎めよーバグ付き!」
ニーナは面白がっている笑みを浮かべ、ゼロナの肩に手を乗せる。
ゼロナはそれを振り払うと、
「ウルサイですね!あなたはほんとに!」
やはり、バグ付きという言葉は聞いて心地よいものではない。
ゼロナはその姿を元に戻すと、地面から浮き上がる。そして、乃和の家へと向かった。
……アプリ界で居場所がない自分は、こっちの世界で確実に居場所を獲得しなければならないのだ。