第3章 3
「!」
それとほぼ同時に、世界に音が舞い戻った。
「乃和早く離れてください!そろそろ限界です!」
ゼロナの叫び声に、乃和が「もう大丈夫!」と返すと、彼は藍星がいないことに気付いたようだ。
蓮もそれに気付いたようで、攻撃をやめる。
ゼロナは今まで藍星がいた空間に目を向けたまま、
「藍星さんは?さっきまでは、ここにいましたよね?」
「……」
「時間移動で逃げられたかー……まぁこれ以上情報が漏れることは防げたし、追う必要はないな~」
蓮は機械の手を元に戻しつつ、乃和とゼロナの方へ歩み寄ってくる。
「乃和、ケガはないか?」
いつもの笑顔を浮かべた蓮は、何事もなかったかのようにそう言った。
「っ……」
乃和の額に嫌な汗が滲む。
「乃和!早く逃げてください!」
「だ、大丈夫。事実を知っても、兄さんとはちゃんと面と向かって話したい、ずっとそう思っていたから」
「でも、乃和っ」
「ありがとう、大丈夫だよ」
「……」
絶望に近い感情に支配されつつも、乃和はそう言葉を並べる。
ずっと昔から思っていたじゃないか。兄さんの正体をあばきたいと。
今、それが叶っている。
本当にあっけなく、叶ってしまった。
「オレのことをそんな目で見ることもできるんだなーこれは異常事態だ」
蓮は困ったように笑う。
「やっぱりオレは嫌われたんだなー?」
思いもよらなかった蓮の反応に、乃和は
「……っ違うよ。嫌いになったわけじゃない」
「そうなのか?じゃぁどうしてそんな目でオレを見るんだ?」
「……わたし兄さんのこと怖い。またわたしの記憶を消すつもりなんでしょ?」
「まー……そうだな。きっとそうした方が合理的だ」
「!」
乃和は蓮の言葉に身構える。
今の蓮の顏には、表情というものがないように感じる。
蓮はその目で乃和のことを見据えると、
「でも、オレはもう乃和の記憶をいじらない、そう約束したよな……?」
「……うん、したよ?」
「……」
蓮はただ沈黙を乃和へと返す。
その瞳には影が落ち、今から口にする言葉が本当に正しいかどうか考えているようだった。
「そうだよな……!約束を破るわけにはいかない、記憶は消さないから安心してくれ!」
蓮は微笑む。
その表情は乃和のよく知る、蓮そのものだった。
「……っほんとだよね?」
「ほんとだって!だから泣くな!」
「よかったっ……」
乃和の目のふちに溜まっていた涙の存在を、蓮は気付いていたようだ。
真実を知った自分は蓮にとっての敵になるそう思っていたが、違った。そのことにほっとして気が緩んでしまった。
蓮が何者でも関係ない。
きっと自分は蓮がただいつもと同じように接してくれればそれでよかったのだ。
「乃和……」
ゼロナが驚いたように乃和を見る。
(ごめん、ゼロナ)
乃和は心の中でそう呟く。
ゼロナが心配なのは、分かる。事実をしったうえで、蓮のことを受け入れるなんておかしいにもほどがある。
そう、理屈的には理解している。
藍星がリスクをおかしてまで伝えてくれた事実を、自分はなかったことにしたのだ。
(……わたし兄さんを破壊するなんてできないよ)
だって蓮は家族だから。
たとえ、アンドロイドだとしても、彼の体には、血と心が通っているのだ。
(藍星、自由に生きてって言ってたよね)
それならば、この選択が乃和にとっての自由なのだろう。
+
藍星は地に足をつくと、そのまま地面に座り込んだ。
「疲れた……」
やはり時間移動は、体への負担が大きい。
乃和の時代より少しだけ昔にさかのぼったが、正確な年月は指定する余裕がなかった。
藍星は周囲を見渡す。
沈みかけた太陽の光が、地面に薄く引かれた水面一杯に広がっていた。
その水面には、草のようなものがきちんと整列して植えられており……きっとここは田んぼという場所だ。
「ふふ、綺麗」
思わず声がこぼれる。まるで、絵ハガキの中に迷い込んだようだ。
広い田んぼを挟んだ向こう側の道には、数人の子どもたちが、楽しそうにはしゃぎながら歩いている姿が見える。
あぁ、自分もあの中に加わりたい。
叶わないと知りながらも、そんなことを思ってしまう。
この時代は乃和の時代と比べて、少しだけ蒸し暑かった。けれど、吹き抜ける風が心地よい。
藍星の髪をパラパラと揺らしていくそれは、微かに土の匂いがした。
何処か身を隠せそうな場所を探すため立ち上がったその時、
「藍星、こんなところにいたのね~?迷子になってるんじゃないかって心配しちゃったわ」
聞き覚えのある声に弾かれたように振り返ると、そこには博士がいた。
薄い笑みを浮かべている赤い唇に、光の灯っていない瞳。
その表情を見た途端、自分の違反行為がすでに博士にばれているということを実感する。
「ごめんなさい、セナ博士」
心臓が冷たくなるのを感じながら、藍星はそう呟く。
「それは何に対する謝罪なのかしら?言ってごらんなさい」
博士は藍星の襟元を掴むと、引き寄せその表情を一変させる。
「……乃和に接触したことに加え、未来の情報を与えたことに対する謝罪です」
「そう、理解しているのならいいわ」
博士は藍星の襟元から手を離すと、微笑む。
「蓮からの伝達によると、乃和は事実を知った上でも一緒に暮らすことを選んだようだわ」
「!」
「それならば、私の計画が狂うことはない。命拾いしたわね、藍星」
博士は藍星の頬にてのひらを添えると、
「もしあなたの過ちで私の計画が狂うようなことがあったら、どうなるか分かっていたでしょう?」
「……はい」
「物分りのいい子ね。さすが私の子だわ」
博士は藍星のことを抱きしめる。
藍星はそれに体が硬くなるのを感じた。
あぁまたきっと辛い目にあわされるのだ。こういう場合そうなると相場が決まっている。
「あなたは乃和の時代に戻って、仕事を続けなさい。決して乃和とは接触しないこと、仮に偶然接触してしまっても他人のふりをすること分かった?」
「はい」
「乃和はあなたと違って特別なんだから、しっかり立場をわきまえるのよ。分かった?」
「はい」
「いい子ね。藍星」
博士は藍星から離れ微笑むと、
「あと、乃和と会った記憶は消しておくわね。時間がたつと消せなくなるから、今の内に。そうした方があなたも楽でしょう?」
「え……」
藍星は一歩後ずさる。
そんなの嫌に決まっている。
幼い頃少しの間だったが、乃和と一緒に暮らしていた時間は自分にとって特別だった。その特別をまたやっと実感できたと思っていたのに。
「それだけはやめて下さい……」
「大丈夫よ、何も辛いことはない」
「っ……」
時間移動直後でフラフラの体、逃げることなんてできない。
抵抗することは無理なのだと分かっていたが、諦めたくなかった。
博士は首にかかっている薄いカードを手にとると、逃げらないように藍星の腕を掴んだ。
そのカードは、人の記憶を一瞬で消去できるカード。藍星以外の人にも使っているのを今までさんざん見てきた。
「お願い母さん、やめて……っ」
こうして記憶を消さるのは何度目だろう。
忘れているだけで、きっと何度もあったはずだ。
それと同時に考えてしまう。
この世界に生まれてしまった時点で自分は不自由なのだと。
博士は藍星の額にカードをかざす。
カードが淡い光を帯びたと同時に、心地よい眠気が藍星を襲った。
ふらつくと、博士に体を支えられる。
(乃和、ごめんね……助けることができなくて)
君にはあたしみたくなってほしくなかった。せめて過去の世界で何も知らずに幸せに暮らしてほしかった。
……そして、藍星は意識を手放した。