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その愚か者は英雄になれない  作者: 真鍋仰
一章 得ること、失うこと
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009 人である人、人でない人③



 足を地面につけたとき、塚野さんは低姿勢のまま何かを振り上げていた。

 その右手に握られていたのは小さな刃物だった。包丁ではない。小刀というのがふさわしい形状の刃物だった。


 小さな光さえも反射する白銀の刃。その柄は新雪のような冷たい白の、木材の柄。


 そんな小刀を持った男は、瞬きの間に僕たちの目の前にいたのだった。


「難攻不落、侵入さえもできないこの場所にまさか賊が出るとは思っていませんでした。が、まあ、問題ありませんね」


「な……っ」


 その声をもらしたのは僕か、はたまた隣の少女か。

 それはどうでもいいことだった。


「……影」


 人型か、それとも獣型なのか。捉えがたい影の群れが視界を覆うほど存在していたことのほうが重要だった。

 のろのろと遅い動きで僕たちの方に迫ってきている。


 たぶんきっと迫っているのだろう。少しずつだけど影が視界を占めていくのだから。


 気が付かなかった。いつの間にこんな影があったのだろう。


 四方から遅い動きで、形状も何もかもを持たない影は少女に手を伸ばす。

 足を伸ばす。指を伸ばす。舌を伸ばす。


 そんな光景に僕も、当の方人である少女も動けなかった。


「一説に、死者はすべてが霊魂となり生者の守護として、その魂を最も近くから非存在として見守る」


 影が散った。

 少女に伸ばした影が跡形もなく散った。


「ゆえに死者は影である。ゆえに影は死者である。ならば、私ごとき二流の死霊魔術師(ネクロマンサー)でもこのくらいはたやすく滅ぼせましょう」


 瞬く間に、一閃。


 その短き刃に触れた影は、そのことごとくが消え去った。滅び去ったとすら言っていいのかもしれない。


 呼吸は乱れず、表情は崩れず。

 それを為した男は穏やかに微笑んで細い目を僕らに向けた。


「ご安心ください。ご客人はもてなすのがこの館の流儀。いささか私では役不足かもしれませんが、例え侵入者であろうと全霊をもってもてなしましょう」


 ゆっくりとした動きで、柄と同じ材質の鞘に白銀の刃を収めた。

 その白い鞘が光を放っているのではと錯覚するほどに神々しく見える。柄も小刀本体でさえもそんな不思議なものを宿しているような気がした。


 そのまま広く開けた領域を無防備で一歩、また一歩と進んでいく。

 目を離してしまえば見失ってしまうほどにその姿はとらえられない。


 ただ、その挙動に影たちはのろのろと迫っていく。


 僕が恐れを抱いたと理解していないまでも肩を、歯を、躰を震わせていたにもかかわらず、影はただただ理性のない獣のように迫っていった。


 影が膨張し、消えた影を覆うようにして影が現れる。

 影が影で影の影に影を影だから影ゆえに影をして影になる。自分のまとまらない思考にただただ理解できたのは影がある。それは増え続け、僕は心の底から恐怖を覚えた。


「……一、流月」


 刹那に白銀がきらめいて、その輝きが新雪の白に飲み込まれた。


 それはどう見ても引き抜かれていなかった。柄に手を振れるか触れないか程度でまったくの自然体だった。


 だが、結果は明白。

 その男を飲み込もうとした影は刹那のうちに斬られた。


 僕が瞬きする間に消滅させられていた。

 塚野さんは少しだけ息を深く吐いて、こちらに向き直った。


「さあ、逃げますよ、お二方。どうやら増殖可能のようで、このままだと物量で押しつぶされます。幸い、ここは狭間の館です。ある程度時間は稼げるでしょう」


 小刀を懐にしまった塚野さんは、僕と少女の腕を硬い手のひらががっしりと掴んでかけだした。駆けだした塚野さんに僕も遅れまいと駆け足で急ぐ。

 ただなんとなくわかる影の気配のようなものがこちらに迫っていることがどうしても気になって、背後に振り向こうとすると手を思いっきり引っ張られた。


「後ろは見ないでください。見れば足がすくみます。一刻も早く逃げて、処理は昂凪さんに任せましょう」


 走り、走り、走って、走る。


 いくつもの角を曲がって、いくつもの螺旋階段を昇って、降って。


 駆け回った僕たちはしばらくして塚野さんの開けた部屋に飛び込んだ。

 ガチャリと重厚な、鍵を閉める音がよく聞こえた。


「これで異界と隔絶した空間が確立しました。影が入ってくることはないでしょう」


「……ありがとう、ございました」


 荒い呼吸を整えて、それでもまだ息が切れ切れながらの僕の感謝の言葉に塚野さんは変わらず呼吸ひとつ乱さず、微笑んだまま手を横に振った。


「いえいえ、仕事ですから。ですがあなたも大変ですね、翼シリーズ。私などよりもよっぽど波乱万丈な人生を送っているようだ」


 まだ呼吸の荒い少女はその碧い目をゆっくりと塚野さんに向けた。その目が何を映していたのかは視線を向けられた本人ではない僕にはうかがい知れなかった。

 ただ塚野さんが少しだけ動揺しているように見えたのは気のせいではないだろう。


「自己紹介が、遅れたわ。……私は、翼シリーズ№03(サードナンバー)・雲。侮蔑と嫌悪を冠する名を、誇りをもって背負う、ただの女の子よ」


 荒い呼吸を無理やり整えて膝に置いていた手を平らな胸の前で組み、曲げていた背筋をのけぞるように伸ばして、少女は金糸の髪を揺らしてそう言った。

 輝く碧き双眸はその言葉に微塵の偽りがないことを映し出していた。


 誇り高き、まるで貴族のような高潔な心を持った少女はへたり込んだ僕を横目で見ると、ニヤリと笑って言った。


「クラウちゃんと呼ぶといいのだわ!」


 小さな、けれど立派な花が強く美しく咲き誇ったような、そんな笑顔だった。





 剥き出しのコンクリートに包まれた部屋だった。

 広い部屋らしく足音は遠くまで響いた。

 そこに並列するのは無数の金属の棚。段ボールやプラスチックの箱が整頓されてぎっしりと棚に積まれていた。


「ここは……」


「よりにもよって資料室ですか」


 陰鬱なため息をもらした塚野さんのほうを見ているとその視線に気が付いたのか、ため息をもらした理由を話し始めた。


「ここに入るには事前に許可が申告でして、間違えてでも入るとりっちゃんさんにこっぴどく怒られるんですよね」


 ……りっちゃんさんって夜留さんのことだろうか。本人はいやがっているのに周りはあくまでもそう呼ぶのか。かわいそうに。


「それでもなくあの子は魔術師(メイガス)が嫌いですからね。激昂モードになると収拾がつかないんですよ、ほんと」


 とほほーと困り顔を浮かべて頭をかいていた。

 ただ先ほどの口調より思いがこもった言葉だったからか、それが捉えがたいなんてことはなく聞き知らぬ単語を反射的に尋ねていた。


「メイガスって何ですか?」


「……やはり。察するに異能者(ホルダー)でもないですよね、あなた」


 声色が変わった。それに対して自然と緊張してしまう。ただの質問のはずなのに尋問でもされているのかと勘違いしてしまうほど、その声を出した塚野さんの圧力は強かった。


「はい」


「……理由はわかりませんが、昂凪さんが連れてきたというのなら信用してもいいのでしょう。それに、その程度の基礎を話しても大事にはならないでしょうし。ただ、記憶が消されて忘れたとしても責任の一切は負いませんよ」


「下手すると記憶消されるんですか!?」


「いやまあ、現代を生きるあなたが知らない通り、ある程度の境界線をもってこちら側の情報のほとんどは秘匿扱いですからね。社会に表と裏があるように現実にも対となる幻想がある。そして、現実に伝播しないようにする。暗黙のルールなんですよ。ですので最悪殺されます」


 温和な声音でそんな物騒なこと言わないでください。


「……じゃあ、いいかなぁ、なんて。知らなくても」


「いえいえ、異能者ホルダーのことを知っている時点でもう境界線なんてとうに越えていますから。気にしなくてもいいと思いますよ」


「………」


 もうすでに積んでいたらしい。

 もうすぐ僕、(がんで)死にます。ははは。ブラックジョーク。


「では、わかりやすいように基礎をまとめて話しましょう」


 そういうと金属の棚をいくつも抜けていき、しばらくして僕と少女が腰を下ろしているドアの近くへと戻って来た。

 その手には薄めのファイルがあり、それをパラパラとめくっていた。


「まずはメイガス、つまり魔術師というものについて」





 歴史の中の異物であり遺物。

 神が存在した神代の世の残りかす。

 神秘と幻想が混同し、混濁してもなお磨かれた術。

 それが魔術なのだという。


 ある魔術師は、科学とは相いれぬものだという。

 ある魔術師は、科学の基盤であり延長線だという。

 ある魔術師は、まったく新しい魔法という法則を用いた技術だという。


 そして、死霊魔術師(ネクロマンサー)である塚野氷室さんは微笑みながらこう言った。


 魔術とは最も身近で、けれど誰もが見落としてしまうようなものですよ、と。





 そんなあやふやなものを扱うのが魔術師なのだという。


「魔術は定義されるものではありません。確かに、定義を決定しなければ魔術は失敗するでしょう。ですが魔術とは何かと聞かれて、本当の意味での魔術を語ることができる魔術師はいないでしょう」


「……結局、メイガスとホルダーの違いって何なんですか?」


 僕がわかったのはメイガスとは物語で出てくるような魔法使いだということとホルダーが超能力者というようなものだということぐらいだ。

 あとは小難しくて、正直よくわからない。


「おおいに違いますよ。私は異能者に対して思うところがないのでよかったですが他の魔術師に同じようなことは言ってはいけません。相手によっては異能者という単語が出ただけで呪ってくるようなボンクラもいますからね」


 妙に具体的な言い方だった。が、僕が聞くより先に塚野さんが続けた。


「一説によると魔術は人ならざる人、つまり異能者をただ人が真似するための技術であるそうです。あくまでも一説ですが、それでも有力な説だと私は思います。その証拠に魔術は才能の有無に関係なく誰でも行使できますし、異能者は魔術の一切が行使できません。まるで異能者に行使されたくないかのように」


「えっと?」


「意図して魔術というものがそう作られたかのようではないですか?」


 異能を使えない魔術師と魔術を使えない異能者。


 何ともわかりやすくて、塚野さんがさきほど言ったように互いを嫌い合っていてもおかしくないのかもしれない。

 片方にないものをもう片方が持っているというのは、小学生でもわかるほどに争いの火種となることは間違いないのだろうから。


「まあ、異能者が魔術を行使できない原因はわかっていないのですがね」


 最後にそう付け加えて塚野さんの講義は終わった。


「ありがとうございました、塚野さん」


「どういたしまして。それと、氷室と呼んでください。姓で呼ばれるのは慣れていないので」


「はい。わかりました、氷室さん」


「そろそろいいかしら。おとなしくしていたけど、そうもいかないわ」


 と、僕と氷室さんの会話の区切りがついてようやく口を開いたのは、声高々に名乗ったのはいいものの反応がなくて赤面してドアの方に向かって体育座りをしていた少女、クラウちゃんだった。


 ……声に出していなくともそう呼ぶのは、なんだか若干照れるな。


「気配が近づいて来たわ」


 その一言に僕は躰を硬直させられた。

 少女は警戒しながら立ち上がって穴が開くほどにドアを見つめていて、氷室さんはいつの間にか手に握られた新雪の白い小刀の鯉口を切ろうと身構えていた。


 ――トン、トン、トン。


 そんな音がドアの向こうから響き渡る。

 僕は硬くなった躰を何とか動かして後ろへと下がった。


 ――トン、トン、トン。


 だんだんとこちらに近づいているようでその音は大きくなっていく。

 ドアの近くにいた少女は音を立てずに氷室さんの後ろに回った。


 ――トン、トン、トン。


 やがて、その音は止まった。

 わずかな反響を残してぴたりと止んだ。


 ――コンコンコン。


 わずかな振動がドアを揺らした。


「ベストなタイミングで、オレ、参上仕りまぁした。ゴミ掃除終わったよ、氷室」


 バァンとドアを開け放ったのは黒コートをはためかせ、赤と青のオッドアイを細めて笑っている昂凪和希さんだった。

 その登場に全員が安堵した。

 少なくとも僕は胸をなでおろし、氷室さんは細い目をさらに細めて微笑を浮かべ、少女は警戒を解いていた。


「……確かに、ベストタイミングでしたね、昂凪さん」


「いやぁ、大変だったよ。りっちゃんがしつこくてさぁ。そんなんじゃ友達もできないよって言ったらすごく怒っちゃってさぁ」


「死にたいのですか。そうですか」


 からからと笑う昂凪さんの後頭部を黒い手がミシリと音を立てながら掴んだ。


「……もう来たんだ、りっちゃん」


「ええ、来ましたよ。ベストなタイミングで、夜留律、参上仕りまぁした。お掃除始めましょうか、昂凪」


 ハイライトのない目で、抑揚のない口調の棒読みで夜留さんは粛々と握る手の力を込めていく。それは機械のように動いている。


 正直、すっごくこわい。


 誰もが口を閉じ、ミシリミシリと音が響く。


「ちょっと待ってりっちゃん。マジで頭握りつぶすの? それ女の子としてどうなの?」


「拙が男であっても女であってもあなたの頭を握りつぶすことに支障はありません。潰されたくなければ抵抗でもしてください」


「いや、全力でしてるよ。全部抵抗されてどうにもならない感じだけどね。あ、やばい。若干指が食い込んできてる。ねぇ、考え直さないかな? オレも謝るからさぁ」


「あなたが徹頭徹尾悪いんです。何がオレもですか。オレがでしょう? 拙が謝るいわれはありません。死んで詫びてください」


「あ、頭蓋骨が。ミシミシ言ってるから。痛覚なくしてるのに痛いから。ごめん離してお願いします」


 またも喧嘩が始まってしまった。食事場のときは超常現象の打ち合い(?)で頭がついて行かなかったけど、今回はわりと一方的な展開っぽい。

 昂凪さんは後頭部の手をはがそうともがいているけどまったくびくともしていない。というか、動けば動くほど食い込んでいる。ぽたぽたと床に落ちる赤い液体はきっと見間違いではないのだろう。


「あの、りっちゃんさん。そろそろ矛を収めていただけませんか? そろそろ私も状況を掴みたいのですが」


「氷室さまは口を閉じていてください。でなければ拙は魔術師殺しとなりましょう」


 僕たちの前に立った氷室さんはじりじりと僕の後ろに下がった。

 その気持ちはよくわかる。特にあの目がこわい。ハイライトのないまっすぐな目が。


(……古藤さん、どうにかしてくださいませんか? なんだかこれ以上私が口をはさむと本当に殺されてしまうような気がして)


 そんな小声で言われても。


(無理ですよ。僕、初対面なんですよ。なんでこうなっているのか詳しい事情さえわからないのに)


(単に仲が悪いだけです。さあ、仲裁お願いします)


 トンと背中を押されて一歩踏み出してしまった。


 そのせいで二つの双眸が僕に集中した。

 ひとつは赤と青の助けを求める双眸。

 ひとつはその圧だけで人を殺してしまいそうな鋭い目。


 どうすればいいのでしょう、僕は。



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