003 救う価値、救われる価値②
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くわぁと欠伸をするとカーテン越しから朝日が差している。
昨日の昼間のような肌を刺すような日差しではなくやわらかな、すべてを包み込むような慈愛に満ちた日差しだと思った。
詩的表現が過ぎるのは僕の心が弱っているからかもしれない。
時計を見ると朝六時半をまわったころだった。
ソファーで寝落ちしてしまったらしく強張った躰を伸ばしてカーテンを開けた。
テーブルには跡形もなく食べ終えられた食器がまとめられている。あれほど食べ終わったら食器ぐらい洗ってくれと言ったのに両親は覚えてすらいないらしい。
まあ、慣れっこだからいいんだけどさ。
食器を台所に運んでついでに顔を洗った後、濡れた手をふくのが面倒でそのまま食器を洗った。
それが終わってそういえばと気になった。両親はどうしているのだろうかと。
正直言って今は顔も合わせたくない。不仲というわけではなくただ顔を見たくなかった。なんとなくだけど心の枷が壊せてしまいそうで厭だった。
おそるおそる両親の寝室をのぞいた。
が、誰もいなかった。どうやら両親は飯だけ食べて仕事に出かけたらしい。さぞ大変なのだろう。その事実に申し訳なさと安堵を抱いた。
「はぁー」
そんな自分に嫌気がさしてため息を吐く。
こんなに心地よい朝だというのに陰鬱な気分になるのもなんとなく厭だったのでシャワーを浴びた。
部屋着に身を包んでソファーに腰掛け、テレビをつける。
しばらくニュースを眺め退屈を持て余し、存在を忘れかけていたスマホを手に取って気が付いた。そういえば今日は学校だったのだと。
今日こと七月第一週目の水曜日は通常授業の行われる日だ。
なぜテスト目前の昨日が火曜日だというのに休みだったのかと言えば僕が体調不良で病院に直行したわけではなく学校全体の休業日、創立記念日という奴だったからだ。
いやー、あぶないあぶない。完全に忘れていたよ。と思いながらも躰は言うことをきかない。どころかさらにぐでぇっと背もたれに体重を預けてしまった。
あー、学校だるい。どのくらいかだるいかと言うと学校行くか、死ぬかの二択で死ぬ方を選ぶくらい。はっはっは。ブラックジョーク。
深くため息を吐きながら部屋着を脱いでワイシャツの袖に腕を通す。
Lサイズなのに若干ぶかぶかで何ともしっくり来ていないがいつものことなので気にせずグレーのズボンをはく。こっちも若干裾が長かったりするが僕の裁縫スキルで対処してあるので目立ちはしない……はず。
そして最後にパーカーを羽織って完成っと。
まあ、学校の制服を着ただけでなんだか疲労困憊だった。制服は嫌いではないのだがいろいろとコンプレックスがにじみ出ている感じがある。
そうしていられる時間もあまりなく気が付けば七時半をすでにまわっていた。まずい。学校までは一時間弱ほどかかるのだ。今から出てギリギリくらいだろう。幸い、朝食はとっていないものの食欲はない。
とりあえず熱中症対策にコップ一杯の水を飲み干して必要だったと思うものをカバンに詰め込んだ。
すぐに家を出て鍵を閉める。ガチャリといい響きだ。
「いってきます」
それから学校までの道のりは駅までの道のりをニ十分ほど歩き、平日の通勤通学ラッシュの人の多さに軽く干からびて満員電車の暑苦しい中を三十分ほど修行僧のような覚悟を持って耐え、燦々と輝く太陽を睨みつけながら改札を出た。
すると遠くに学校が見える。
遠くとは言ってもまあまあ発達した都市の都会とまでは言えないが田舎でもない感じの町並みからのものだから物理的距離はさほどない。精々ここから五分ほどだ。
多くの学生、僕の通う高校の生徒の歩く中をひとりとぼとぼと流れに沿って歩き、たどり着いたのは辺鄙な学校だった。
どこにでもありそうなやや古びた公立高校。
可もなく不可もなく上からよりは下から数えた方が早いくらいの学力の学校である。昨日で創立五十二年を迎えたそうだ。
何で知っているかと言うと生徒だからあたりまえというわけではもちろんなく校門に大きく幕が掲げられていたからだ。
僕はその校門を潜り抜ける。
誰かに見られることなく、注目も、関心も、視線も集めることはなく普通のただただ一般的な生徒こと僕はいつものペースで歩いて行く。
重い瞼を開けるとオレンジ色の光が教室を照らし上げていた。
瞼をこすり強張った躰を伸ばして大きく欠伸をする。
周りを見渡しても誰もいなかった。人の気配の感じられないその場所に僕はひとりぼっちで机についていた。
まったくこれほどまでに愛校心ある僕だというのに今朝はなぜ学校へ来ないという選択肢を取ろうとしたのか。まるで僕ではないかのようだ。
「はぁー」
いや、まあね。さびしくないよ? 確か三限は体育で五限も移動教室があったはずなのにずうっと放置されていたとか、もうぜんぜん。まったくこれっぽっちもさびしくないんだからね?
……やめよう。このノリ。吐き気がしてくる。
まあ、ボッチの宿命のようなものだから仕方ない。というか超強敵だったとはいえ、あの恐ろしくも愛おしい睡魔に負けてしまった僕が悪いとすらいえる。
影の薄さには定評がある僕なのでクラスメイトに気が付かれないのも無理はない話なのかもしれない。
なにせ中学の頃は皆勤賞だったはずなのに大半を休んでいる扱いだったし、しかも成績なんかのデータ上のことでも忘れられ散々な成績を食らったことさえある。まあ、自頭がよろしくないので若干マイナスくらいなんだけどさ。
斜陽の傾きがちょうど窓を乱反射しつつ教室を一層に照らした。
目に見える煩わしいほどの光とは対照的に教室は僕の音だけで満たされていた。
僕の息遣い、服がすれる音、机のきしむ音、椅子がずれる音。
その目に見えぬ孤独感に少しの恐怖と大きな親しみを覚えた。
「……一日、無駄にしたなあ」
そんなことを嘯きながら僕はカバンを取って教室を出た。
教室の扉を閉めようとして、一瞬止める。
その斜陽が消えていく様を少し寂しいと思いながら僕は何事もなかったかのように扉を閉めた。
「さようなら」
電車に揺られながら遠くで沈んで行く夕日を見る。たくさんの人が乗っているが満員電車というほどではなくやや落ち着いた心地で吊革を握っていた。
暇だなあと思って、そう言えばとスマホを取り出そうとしてないことに気が付いた。
ああ、そう言えば家に置いてきたような気がしないでもない。
てか、ガッツリ置いて来たわ。ごめんね、スマホくん。目覚ましと目覚ましと時計代わりくらいにしか使ってやれなくて。
己の機械音痴を嘆きながらカバンをまさぐる。
理由は特にない。暇つぶしに手が無意識で動いていた。ノート、ノート、ノート。いくつもの教科のノートが出てくる。こぎれいな字で『2―F 古藤弘嗣』と書かれているノート群だ。
勉強は好きではない。嫌いとまでは言わないけど好きではない。
本当に嫌いだったのならば高校進学などしていない。ただ、中の下、下の上あたりの学校に進学した僕は今ではすっかり落ちこぼれ気味だ。
ノートも二年に上がることができて最初は書いていたのだが体調不良等々が祟って中間考査前には書くのをやめてしまった。
まあ、結局、その体調不良でさえ病院に行くのが面倒で放置しすぎたのが祟っただけなのだが。
たぶん、今後もノートが新たに書き足されていくことはないだろう。
そんなノートを見て憐れみ、自分の人生も憐れんでカバンの中身を探るが他に収穫はない。本でも持ってくるべきだったかと反省した。
仕方ない。電車に揺られよう。
僕は吊革に身を任せる。
通学路の途中、僕は財布を確認してからスーパーへと向かった。
その途中、小さなというほど小さくなく、けど大きくもない商店街がある。
夕時が過ぎ、空はほのかな日が漂う。
そんな時間帯だから暑さに嘆きたくなるような昼よりも外出しやすく近所に住まう主婦の方々はこぞってこの商店街に顔を出していた。
近くにやや大きめのスーパーもあるというこの上ない立地で商店街に並ぶ商品はスーパーのものよりも安いことは珍しくもない。
僕はそんな中に割って入り商品を見分しながら歩いて行く。
「あ、ヒロじゃん。おーい! ヒロー!」
軽薄な声に振り返ると肩口まで伸びるセミロングのこげ茶の髪を揺らした少女が立っていた。最近、髪の色がやや明るくなってきているのは気のせいじゃないだろう。
彼女が着る制服は僕の学校のものではなくうちの制服よりもおしゃれだ。いや、彼女自身が着飾っているだけなんだろうが。
「はぁー」
「なんだし、急に」
ニコニコ笑っていた口元が少し不機嫌そうに歪んだ。いつの間にやら近くまで歩いて来たらしく小さく吐いたため息が聞こえてしまったらしい。
「いや、なんでも」
「……もしかして自分の身長の低さに愕然としてる? あたしより低いからって気にすることないと思うぜ」
「うっせえよ。てか、おまえより低くないし! ギリ高いし!」
「大丈夫。そこらの女の子より、磨けば光るから」
「僕は男だ! 飯出してやらないぞ」
「それは許さん」
そう断言した彼女の名は木次採峯。
僕の古なじみであり、腐れ縁であり、幼なじみとは呼びたくない相手だ。
一応は女子だというのにその片鱗は見た目くらいなもので僕よりもはるかに男勝りで男気のある、やや暴力的な少女である。
まるで僕とは正反対な奴だ。
「何か用なのか? しばらくうちに来るのは勘弁してくれないか?」
「それは断固拒否するとして……用っていうほどじゃないけど、うちよってかない?」
「なんで?」
「いやあー、宣伝して来いってね。お安くしますよー」
「……今度にするよ。スーパーよらないと」
「あ、そう? じゃああたしもついてく。ちょっと待ってて」
そういって僕の返事も待たずに駆け足で商店街に並ぶひとつの店に入って行った。
今日もまたお安い食材を買わんとする主婦たちでにぎわっている肉屋、そこが木次採峯ことミネの家だ。
少しして可愛らしい動物がデフォルメされたエコバッグを片手にしたミネが巧みな動きで主婦たちをかわしてこちらにやって来た。ただバッグを持ってきただけのようだ。
「さあ、行こう!」
「……はいはい」