学都の朝には牛と玉
第三章
灰色の石畳で覆われた大通りを歩くうち、沿道には書店に古書店。筆記具の店、魔法を操るための魔法具の店、予備校、代書事務所など学生に馴染みのある店が増えてくる。代書事務所とは学生のために事務手続きなどを代行する商売だ。受験志願者には願書提出から試験までの流れをレクチャーしたりもする。
なにしろ学都ワイアームの学生総数は6000人、受験者は年間12万人に達する。万年筆を修理するだけでも生活できてしまうほどこの町は大きく、深く、多様だった。
そんなワイアームの大通りは午前中から人であふれている。個人用の馬車に乗っているのはいわゆる支配階級の人々か豪商だろう。魔法で強化された馬の引く乗合馬車もあるし、土人形にお姫様だっこされて寝息を立てている女生徒もいる。使い魔のようだが本人に意識がないようだし、眠っている時にだけ使役できる妖精夢という魔法だろう。なかなかレアな魔法だ。
ワイアームというのはほぼ円形に近い形状をしており、その中心となるのが練兵学園ワイアーム、学園に近い範囲には学生向けの下宿や長屋などが、他の街から隊商が来るような大店や、労働者階級の家などは外縁部に多く存在する。ワイアームを囲う外壁はかなりの広さがあり、内部には畑や人造林、人造湖に競馬場なども存在していた。
ちなみに僕が下宿している「花と太陽」亭は主に労働者を対象とした食堂なので、外縁部に存在している。ワイアームの正門までは歩いて小一時間というところである。
そして見えてくるのはワイアームの南正門。通称「白樹門」だ。
それはまさに天を支える二本の柱のような眺め。高さ50メーキ(49.9メートル)もの白い柱が真っ直ぐ天に伸び、上空ではその間を渡すように無数の白い枝が伸びて、白い葉を茂らせている。柱の太さは大人が5人で腕を回しても届かないほどだ。
これは樹齢2400年あまりの広葉樹がそのままの形で石化したもので、物体の組成を他のものと置換する換石呪の極みだと言われている。直接見たことはないが、この白樹門の上では樹の枝で休んでいた小鳥や、樹皮のウロに住んでいるリスまでが石に置き換えられているのだという。
確かに美しいけど、なんだか気の毒な気もする。
本来は自由に石に変えたり元に戻したりできるらしいが、大爛熟期ならともかく、現代ではこれだけの術を元に戻せる術者は存在しない。しかも石化と言っても実際は鋼鉄より遥かに強固な物質に変換されており、葉の一枚すら破壊することはできない。この術が現代に伝わっていれば建築に便利だろうが、残念ながら失伝している。
「うわあ、すごいですね、宿から見えてた大きな白いものはこれだったのですね」
ヴィヴィアンが首を大きく上に向けてそれを見上げている。ヴィヴィアンは最初に会った時と同じ、黒いマント姿だった。その下はすぐに下着というわけではなく、幅広の帯を何度も体に巻き付けるようなタイプの民族衣装である。
それは黒字の布に、全面に赤と金の糸で色鮮やかな刺繍がしてあり、長い長い物語を表現しているのだという。その帯はヴィヴィアンという人物の個人証明であり、財産であるのだとか。
巻き付け方には色々な様式や流行があるそうで、今日のは「よそ行き、異性との行動、春」の巻き方だそうだ。右肩から始まって螺旋状に胸部、胴部、腰部と巻きつけながら降りていき、左足の太ももにのみ二重に巻きつけて、背中を駆け上がってまた右肩へ戻り、そこで結ぶ。
つまり左肩はもろ肌にはだけているし、右足は足の付け根から見えてるような眺めになるのでじっくり見ると実に危うい姿だ、いや、それ以前に布を巻きつけるとは言っても完全に隙間なく巻きつけているわけではないので、隙間からヴィヴィアンの浅黒い肌が覗いてしまっているのだが、前を合わせるタイプのマントですっぽり隠れているので、他の人に気づかれないことを祈るしかないだろう。
ちなみに、今の僕の姿はくたびれた茶色い革のマントに黒いズボンと黄緑色のシャツ。自分でも地味だと思うが、こんな服装を好んでしまうあたりがダメなんだろうか。
正門をくぐり、学園内に入る。
確かに見張りなどは立っていないのだが、僕は緊張によって動悸が高鳴るのを感じていた。
門を抜けると、そこには中央の噴水広場へと通じる大通りと、学生課や図書館などに通じる樹形図のような岐路が見える。それ以外の部分は鮮やかな緑を湛える芝生である。大通りの左右には、学生向けの軽食屋台が並んでいる。
ワイアームの建物は広大な範囲に点在しているため、正門を抜けた先はやや開けた眺めになっていた。遠くに見える尖塔群が魔術課研究棟、上空に鳥の飛んでいる森が小規模魔法修練場『無明の森』、この距離だと小鳥に見えるが、実際は教会の屋根ほどもある使い魔だろう。
なんだか落ち着かない。
この当たり前のように雑然とした感じ、学生たちの放つ陽気で爽やかな空気に疎外感を覚えてしまう。本当に試験に落ちた僕が、こんなとこにいていいんだろうか?
「あっ、ハティ様、あちらの皆さんは何を食べてるのですか?」
ヴィヴィアンが僕の腕に抱きついて言う。僕は半身を硬直させて、つま先立ちになりつつそちらを見る。
見れば、道端に屋台を構え、キセルをふかした老人が休んでいる。その脇で、学生が何かに群がって、手で草のようなものをむしって口に運んでいる。大振りなトマトやラディッシュもある。
その中心にいるのは、簡単にいえば土でできた牛だ。立派に成長した大人の牛…ほどの身体がある土の塊から、様々な野菜や薬草のたぐいが生えている。学生たちがそれをむしって、手にした小皿のソースをつけて食べている。ソースはマヨネーズやビネガーなどだ。
もいだ野菜は、10を数える間に次々とまた生えてきて、その牛の背中は立派な菜園のように青々と茂っていた。
牛は時たま地面の水桶に顔を突っ込み、がぶがぶと水を飲んでいる。その首には赤い紐がついていて、それはキセルをふかした老人の手元につながっていた。
「え、ええと、あれは土精牛っていう人造生物だよ。魔法の力がかかっていて、植物が通常の何千倍って速さで成長するんだ。銅貨5枚ぐらいで好きなだけもいで食べてもいい、っていう商売なんだよ。朝食を食べるヒマがない学生とかが利用するんだ」
「まあ……素晴らしいですね。そんな牛がいるなら、北方では食料にまったく困らないのでは?」
「いや……あの飲んでる水、あれに肥料とか穀物の粉とかをたっぷり入れないと植物が育たなくてね。あの牛を一匹生み出すのもすごく苦労するそうだし……。確かに野菜は急激に育つけど、味はかなり粗雑だとか、まあいろいろ問題もあるんだよ」
「そうなんですか」
と、また別の方向を指してヴィヴィアンが叫ぶ。
「あっ! ハティ様、あの丸いのは何ですか!?」
指し示したのは屋台の一つだ。今は朝食には少し遅い頃合いだが、屋台は非常に賑わっている。
その店では何やらオレンジ色の球体を宙に浮かべ、柄の長い柄杓でそれを削り取り、コップに注いでいた。巨大なオレンジ色の球体が朝日を受け、瞳の虹彩のように絶妙な色にきらめいている。
「ああ……あれはジュース屋さんだよ。お店の親父さんは液体を操る念遊水の使い手なんだよ」
あのジュースの成分はオレンジにパイナップル、それに猛虎豆の煮出し汁やヴァンパイアローズのエキスなどだ。これらは比重が極端に違うので、通常はミルクなどの親和基を使わないと混ぜることができない。しかし念遊水の魔法を使えばほぼ無重量状態であのように球体にまとまるので、満遍なく混ぜることができるのだ。
もちろんコップに注ぐと徐々に分離していくので、なるべく早く飲むことが求められる。
「はあー……すごいですね北方は、美味しそうですし、とてもお洒落で……。生活の隅々にまで魔法が……」
と、ヴィヴィアンは陶然とした目でそれを見つめ、次の僕の方をちらりと見て、こほんこほんと小さく二回セキをする。
「あのう、ハティ様、ノドが乾きませんか?」
「……飲みたいの?」
「はいっ!」
「じゃあ僕が奢るから……」
「いえ! 私がお出しします」
「いいよ別にジュースぐらい……お店の手伝いとかしてるし」
下宿先では勉強の合間に厨房の仕込みや掃除を手伝っていたが、マザラおばさんはそれに見合った給金をちゃんと出してくれていた。もっとも働くといっても日に何時間もないし、贅沢できるほど手持ちがあるわけでもないけど。
「ありがとうございます。では行きましょう」
渡した銅貨を大切そうに握りしめ、ヴィヴィアンは僕を引っ張っていく。
……
なんだか、もしかしてこれって。
いや、もちろんヴィヴィアンはあくまで術の媒体として僕のそばにいるわけだし、彼女も部族の教えに従って僕に付き添っているだけなのは分かるけど。
でもちょっとだけデートっぽいというか、何というか……。
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