黒白が討つは百蟲の王
ヴィヴィアンが窓の外を指差す彼方、そこには空をのたうつ黒いシルエットが見えた。
最初は遠い黒雲のように見えたそれが、ゆっくりとしたうねりを伴って近づいてくる、次第にそれは無数の節足を生やし、甲殻に覆われた百足のような怪物だと分かる。
百節地鎧だ。
見るのは初めてだが、あの濃緑色の大節一つ一つが元は鎧甲虫と呼ばれるモンスターである。それが時に同じ種族で喧嘩を行い、負けたほうが勝った方の後ろに続くような形で吸収される。鎧甲虫には多種多様な個体差があり、そうして同じ種族を吸収していくことで毒針を獲得したり、トンボのような羽根を獲得したり、あるいは発光する器官や、刃物のような爪を身につけたりもする。そして、体節の数が100を越える時、一切の弱点や不得意がなくなって名も百節地鎧と変わる。
特筆すべきはその防御力だ。あの陶器のような質感の甲殻は堅牢無比、鉄よりも固くゴム地よりも弾性があり、甲殻一つが馬車一台と交換できるほどの価値がある。馬の鞍にでも加工すれば、30年は手入れの必要もなく使えるという。
センチネルピードはその先頭の、いや、一個の生命としては先頭だの最後尾だのという区別はないのだが、ともかくその先端にあるクワガタのような双角を擦り合わせ、ギチギチと威嚇音を出す。僕らのいる宿を遠巻きに、上空に位置取って滞空に入る。正面から見れば、その体には角だの鋏だの羽だのが無数に生え、百の武器を構える多腕のモンスターを連想する。
あの内側にトゲの生えた角は剛力、切断、致死毒、触覚、その他いろいろな機能を兼ね備えた万能の角だ。センチネルピードは、およそ虫の姿をしたモンスターが持つ脅威を、一匹ですべて体現する存在なのだ。
「す、すごい。本でしか見たことないよ、あんな大物が街まで……」
と言っても、実際にモンスターを見たことなど、秘術探索者でもない限りほとんど無いだろうけど。
「さあ、参りま……」
と、そこでヴィヴィアンの動きが止まる。
空を舞っていたセンチネルピードの動きが硬直する。
その頭部に黒い剣が突き立っている。あれは2メーキ(1.9メートル)はある両刃の大剣、魔術によってのみ精製され、鍛えあげられる黒煉鋼の剣。そしてどこからか飛来したヒラティアがその柄頭に降りる。
一瞬硬直を見せたセンチネルピードはすばやく反撃に転じる。その百節もの体がサソリの尾のように反り上がり、全ての体節をまるで関節が連動するように加速させて、尾部にある巨大な一角のトゲを先頭まで持ってくる。ムチの先端がしなるような流動的な加速、尾のトゲが空気を引き裂いて迫る。
だがそれがヒラティアの姿を貫いたと思った瞬間、引きぬかれた黒煉鋼の剣が宙を巻い、尾部の尖角を木の葉のごとく切り裂く。太刀筋が早いなどというレベルではない。何回斬りつけたのかすら分からない。
ヒラティアが飛ぶ。頭を踏み台にされてわずかに沈むセンチネルピードは自身に起こったことを理解できず、ともかく襲撃者を迎撃しようと行動に出る。体節のいくつかが本体から離れ、はるか高くに飛んだヒラティアめがけて突進していく。その一つ一つにはクマバチのようなウチワ型の羽が生え、それを高速で羽ばたかせながら猛烈なスピードで上昇する。
「下にいる人ーーー!!! はなれてーーー!!」
音圧が爆発する。
とんでもない大声が半径数ブロックに響く。僕のいる部屋の窓ガラスがびりびりと振動する。体節、つまりは本体から離断した鎧甲虫が上空のヒラティアまで届いたかと思い上を見上げた瞬間、体を両断された体節が上昇の五倍のスピードで撃ち落され、隕石のような勢いを持って全てがセンチネルピードの胴体に命中する。
破滅的な威力を持った投擲はセンチネルピードの浮力をはるかに上回り、二つ折りになっていた全体が冗談のように4つ折になって、ちょうど食堂前の大通りにハマるような具合に落下する。いや、投擲した体節の威力が強すぎて、それが目釘のようにセンチネルピードを地面に縫い付けている。まるでケーキの箱の上で咲くリボンだ。
そして上空からヒラティアが降りてくる。剣を両肩に担ぐように構えた姿勢で。それは着地の瞬間黒い軌跡を描いて飛び回り、全ての体節に黒い刃線が刻まれ、その長大な体を四散させる。
一刀のたびに甲殻が散り、返す刀が節足をなぎ払う。まるで積み上げたトランプの塔を崩すような眺め、本来は脅威そのものであるはずの大怪虫が、紙よりも容易にバラバラにされていた。
この間、わずかに10を数えるほど。
ざっと剣をなぎ払って血を払い、鞘に収めるヒラティアに対し、周りの人々から、いや、その一体の町並み全てから、わあっという凄まじい歓声が上がった――。
ヒラティアの体は白く光っている。それは太陽の光や鎧の色の加減だけではなく。彼女が習得している錬武秘儀が発動している証拠だ。
彼女は元々の身体能力や剣のセンスも超人的だったが、何よりもその名声は、彼女の錬武秘儀の実力によるものだった。
ワイアーム練兵学園にあるのは魔法科と戦士科。たまに誤解している人もいるが、戦士科だからと言って魔法が関係ないというわけではない。確かに魔法を使わないカリキュラムはあるが、中心となるのは練武秘儀や練癒気功など、肉体の中のみで完結する魔法。あるいは武器や鎧の鋳造に関わる魔法を学ぶ学科なのである。
ヒラティアの得意とする錬武秘儀は、おもに身体能力の強化を目的とした魔法だ。ただでさえ天才的な彼女の剣技は、見ての通りさらに高速に、さらに破壊的に、さらに無敵に高まってしまうのだった。
歓声を上げ、街の人々が集まっている。
半分ほどはヒラティアを称賛に、あと半分ぐらいはセンチネルピードの体節をかき集めていた。破片だけでも高級素材として高値で売れるらしいし、無理もないところだろう。まだ生きている体節、つまり鎧甲虫がいたら危険だけど、まあヒラティアだし討ち漏らしはありえないか。
僕はそんな様子を眺め、ともかくも今回の襲撃も大した被害が出なかったことに胸を撫で下ろした。
この襲撃も4度目だが、今のところモンスターの出没が騒ぎになっている気配はないようだ。今までも街にモンスターが現れることが無かったわけではないし、基本的に僕以外は眼中に無いようなので、対処できてるうちはあまり深く考えないようにしていた。せめてもの迷惑料として、高価な素材にもなるモンスターの死骸は回収しないことに決めていた。
「すごいお方ですね、ヒラティア様は」
ヴィヴィアンが感心したように言う。ベッドは窓のある壁にくっつく形で配置されているので、僕とヴィヴィアンはベッドの上で膝立ちになってそれを眺めていた。
「世界有数の秘術探索者だからね……。まだワイアーム練兵学園の2年なのに、もうなんか住む世界の違う人になっちゃった感じで……」
僕が吐息混じりにそう言うと、ヴィヴィアンははて、と首を傾げる。
「同じ建物に住んでいますが」
「いや、そういうことじゃなくて……僕はその、秘術探索者じゃないし、ワイアームにも落ちたし……」
「ですが、ハティ様も同じ秘術探索者を志しているのでしょう? そのためにワイアームへの入学を目指していると伺いました」
「うん……」
ここ数日、僕もそれについて考えた。
僕はそもそも、ワイアームに入学できるのだろうか。
生涯に三度しか受けられないワイアームの入学試験、それに三度落ちている僕が、四度目の試験を受ける方法があるのだろうか。
探せば何かしら方法があるかも知れないが、どうやって探せばいいのか……。
「試験はもう……。受けられないんだ。だから、秘術探索者になるとしても、フリーでコツコツやっていくしか……。でも……」
「なにか不都合なことが?」
「色々とね……」
ワイアームはこの大陸でも唯一の秘術探索者の育成機関である。それができて数十年。学園で魔術や知識を修めた人々が秘術探索者として各地で活躍し、古い時代の秘術を発掘したり、魔物を討伐したりと実績を上げるうち、ワイアーム自体の権力もどんどんと大きくなっていった。
その結果として起こったのが、秘術探索者ギルドとの結着、そして秘術探索という事業自体の独占である。
詳細は微に入り細を穿つ話なので言わないが、この大陸においてワイアームを卒業している秘術探索者と、フリーの人間とではその公的な支援も、ギルドでの立場も、手に入れた未踏魔術の売却も、全てにおいて圧倒的に不利になるのだ。
僕はそういうことをつらつらとヴィヴィアンに話す。
「なるほど、ですが、それはハティ様が竜幻装に出会う前のことでしょう? 力を獲得されました現在では、また改めて評価されて然るべきです」
「まあ、僕だってそう思いたいけど、でも……落ちたことは事実だし……」
いけない。
また心が萎縮している、
三度も僕を拒んだ、あのワイアームの重厚な門。あの「白樹門」を突破しようという発想が浮かんでこない。せっかく魔法を手に入れたというのに、僕はできない言い訳ばかり探している。
「ハティ様」
ヴィヴィアンの目がものすごく近くにあった。鼻と鼻が触れ合っている。
「うわっ!?」
「ハティ様、では直接そのワイアームなる学び舎に行ってみましょう。何か方法が見つかるかも知れません」
「えっ? で、でももう入学試験も、合格発表も終わったし、今は一般人の立ち入りは禁止されてるんだよ」
「あら、門番がおられるのですか?」
「いないけど……」
「では、入ってもよろしいのでは?」
……え?
「い、いや、でも見回りの衛視様もいるし、もし見つかったら」
「……? 学生かどうかを尋ねられたりするのですか?何かひと目で分かるような目印を身に付ける決まりがあるとか、ですか?」
「え? い、いやそういうのは聞いたことないけど……」
「もし捕まったら、なにか重い処罰が?」
「ど、どうだろう、そんなことはないと思うよ、せいぜい学園の外へ追い出されるぐらい……」
「では、やはり入っても良いのでは?」
「え……そ、そういうことになる、のかな??」
「さあ、ではさっそく参りましょう」
「えっ今から!?」
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