誰も見たことのないほど近い講義
※
「よろしいですかハティ様、そもそも私どもの村にはドラゴニア思想というものが伝わっています。これは創世の神話であり、我々が常に心に留めておく道徳であり……」
レクチャーの内容は彼女の村の歴史、伝わっている歴代の術者たちなどから始まった。ただ、過去の人物についてはあまりに大冒険すぎて、どう考えても後世の創作と思しきものも多いが、僕は一応ノートを取りながら聞き手を務めた。
今日のテーマはドラゴニア思想という神話についてらしい。僕たちはなぜかベッドの上で膝立ちになって、近い距離で向かい合いながら話している。
ドラゴニア思想というのは神話としてはシンプルだ。この世界にはかつて竜……ドラゴニアと呼ばれる支配者たちがおり、それが自然界のあらゆるものを作り、また人間には知識や技術を伝授したというものだ。そしてドラゴニアは人間に世界の支配者の座を譲り、自ら滅びたという。これはつまり、他の神話で言う創造神とか大地母神を竜に置き換えただけのものだろう。
なぜ彼らが人間に色々なものを与えた後に消滅したのか分からないが、まあ話のどこかで世界の支配者がドラゴニアから人間に変わらねばならないわけで、その都合というやつだろう。人間がドラゴニアとやらを滅ぼす流れにならなくてよかった。
そして神話の終わりはこうだった。
「こうして世界は竜の贈り物で満たされましたが、最後に残った竜が、ふと疑問を抱いたのです。
こんなに多くのものを贈っては、人はだめになってしまうのではないか、と。
そこで最後の竜は、『自分自身』を人類に与えました。
これが、竜の最後となったのです」
何か示唆的な終わり方である。ドラゴニア思想はヴィヴィアンの住んでいた村を含め、割と広範囲の村に伝わっている神話であり、この部分については色々な解釈があるらしいが、ヴィヴィアンの村での解釈は決まっているらしい。
「そしてこの竜幻装こそは、竜の最後の贈り物なのです」
とのことだ。
ヴィヴィアンがぐっと顔を近づけ、上目遣いに僕を見る、僕は背筋を反らせて後退する。
「これは口づけを施すことで竜の体を女体に宿す術なのです。どのような部位が宿るかは、つまりは女性のどの部分にキスをするかで決まります」
ベッドの上で僕とヒラティアは膝立ちになっている。ヒラティアはやや足を開き、僕は膝頭をピッタリと合わせ、これ以上ないぐらいに体中張り詰めてガチガチになっている。
というか距離がものすごく近い。
向い合って膝立ちになっているのだが、膝頭が触れ合うどころか、腿同士が触れ合うほどの距離まで詰め寄っている。というか実際に触れている。僕の膝がヴィヴィアンの足の間にめり込むような格好だ。ヴィヴィアンの大きな藍色の目がすぐ間近にあって、長い睫毛やきらきらと輝く虹彩も分かるほど近い。
なんでこんなに近いのかというとレクチャーの過程で実際にキスをする必要があるからなのだが、それにしてもこの距離は心臓に悪い。背筋に力を入れていないと頭がヴィヴィアンの胸元に突っ込んでしまう。ふよんふよんと震えるヴィヴィアンの暴力的な胸が否応なしに視界に入る。僕はすでに汗だくだ。
「キスをする位置が重要となるのですが、厳密なものとそうでないものがあります。例えば竜の爪は爪先から手首のあたりまで、どこにキスをしても同じような結果となります」
「は、はい」
「もっとリラックスされてください」
「無理デス」
生まれてこの方ヒラティア以外の女の子とろくに話をしたこともなく、ここ3年ほどはずっと勉強漬けの毎日だった僕に、この刺激はあまりに強すぎる。
というかヴィヴィアンの衣装がまず問題だ。
彼女の胸当ては黒一色の細長い布だった。それはよく見れば色の濃い糸で微細な刺繍が飾られ、上下には金糸で模様が縁どられている。しかし上下の幅が5リズルミーキ(約49ミリ)ほどしかなく、彼女の規格外のバストを隠すにはまったく力不足としか言い様がない。背中をきつめに結ぶとその肉質が上下にはみ出て危険な眺めになるし、緩めにするとヴィヴィアンの動きによって布がずり落ちそうでとても直視できない。その塩梅が日によって微妙に違うので何度見ても慣れない。
下は黒い下着だったが、なんという布の少なさだろうか。へそから下の部分が120リズルミーキ(約11.9センチ)ぐらい空いている。足の付け根から股間に伸びるV字のラインに張り付くようなシルエットだ。布地はシルクのようで、股間のすぐ右上に宝石やら乾燥した木の実で作った飾りやらがいくつか留められているが、それが時折きらりと光って視線が引きつけられてしまう。いや全く見るつもりはないのだがホントに絶対に。
体にキスする術なのは分かるが、そのためにこんな面積に小さい下着をつけるというのは本当に合理的な帰結なのだろうか。そんな刺激的な下着姿で密着されるのは拷問に近い。彼女の仄かな香気や高めの体温などが、密閉された部屋の中で僕の方にゆっくりと流れてくる。
「あ、あのね、ヴィヴィアン」
「はい」
僕は彼女の両肩を掴もうとして、実際にはつかめずに微妙な距離で手をわさわさ動かして、震える目でその顔を見つめて、言った。
「こ、これはあくまで竜幻装習得のためのレクチャーであって、ぼ、僕は自分の目標のために、秘術探索者になるために訓練してるだけなんだからね。い、いかがわしく見えることもあるかもだけど、他意はないからね。だから、あ、あくまで冷静に、落ち着いて、淡々とやっていこうね」
「そうですね。ですが、訓練は楽しくやったほうが身につきますよ」
なぜか楽しげに言うヴィヴィアン。近くにある顔をさらに近づけ、右下からそっと視線を流して上目遣いににこりと微笑む。おかしい、ヒラティアが笑っててもこんな妖艶な感じは出ないのに。南方系の厚めの唇のせいか、それとも大きくて深い藍色の瞳のせいだろうか。
「それに、私としては竜の巫女として勤めを果たせるのは大変に名誉なことなのです。ですので、ついはしゃいでしまうこともあるかと思いますが、ご容赦くださいね」
「は、はしゃぐのは困るけど、分かったよ」
さて、とヴィヴィアンは調子を改めて言う。
「背中にキスをすれば翼が生まれますが、もう少し下がれば尻尾となります。もっと下がると脚になりますね」
「は、はい」
「特に細かな位置指定が必要なのは顔です。耳や鼻、目や頭、それに角を生やすこともできますが、厳密な位置指定が必要です。術の効果についてはしっかりと覚えていただかなくてはなりません。仔細については実際に見せながら説明いたしますが、今日は顔について練習しましょうね」
「わ、分かった……」
「では、耳から実践いたしましょう」
ヴィヴィアンが上半身をひねり、体の右側面を僕に向ける。その肩から背中へと降りる丸みがよく分かる。とにかくヴィヴィアンの胸部からお尻にかけてはどことして何ひとつ直線というものがなく、体のどこかの丸みが次の曲線へと連続しており、全体として丸まった猫のような、あるいは熟れた果実のような印象を与えている。
また側面から見ると、その破局的な胸が黒布の胸当てを押しのけ、外に出ようともがいてるかに見えてきわどいこと嵐のごとくな眺めになっていた。僕は呼吸する順番を間違うほど緊張していた。
「じゃ……じゃあ……」
僕はそのウェーブのかかった紫の髪をかき分け、彼女の耳を露出させる。形のよい耳が毛髪を押しのけるように出てきて、僕の唇を受けてわずかに震える。
「……ぅん」
変な声出さないでっ!
と叫びたいが僕の頭の中にまた言葉が溢れてくる。何度もやっていればさすがに慣れてきて、僕はそれを口の中で押さえた。
――竜の耳 幻装――
みき、と組織の変異する音がしてヴィヴィアンの耳から突起のようなものが天に伸びる、同時に耳朶は分厚く硬質になり老木の樹皮のように変異し、表面に細かなヒダや緑色の色素が生まれて全体が人間の手のひらほどの大きさになる。天に伸びた突起は耳朶の一部であると同時に黄色く変色して小さな角のようになり、樹皮のような硬さとはまた違う鹿の角のような質感となった。
これが竜の耳。ドラゴンと呼ばれるモンスターの耳なんて見たことはないけど、確かに大型の爬虫類のような質感だ。この耳は広範囲の音を敏感に捉え、音源までの距離や音の正体をも正確無比に見破るという。
「あら……」
と、ヴィヴィアンが部屋の入口の方を見る。
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
と、ヴィヴィアンは笑い、その耳もしゅるしゅると小さくなって元の形に戻る。
「それよりもハティ様、また魔物が近づいてきたようです。戦闘のご準備を」
「え、ま、また?」
この一週間ほどですでに4回目だ。北方の、人類の支配圏まっただ中、この学都ワイアームまではるばる魔物を呼び寄せるとは、この竜幻装とは一体どんな波長を出してるんだろう?
「あちらです」