眠れる大陸は目覚めの夢を見る
第二章
今から500年前。
大爛熟期と呼ばれる時代、人類は限りなく万能に近かった。
優れた魔法使いが何千何万と生まれ、それぞれが独自の力の体系を生み出し、世界は優れた魔法と価値ある財宝で満ちていた。人類を脅かすものは何もなく、全ての都市が繁栄と快楽を欲しいままにしていた。
あらゆる栄華を極めつくすと、魔法使いたちの興味は新たなる魔法の開発のみに向けられた。
ある者達は組織を作り大規模な儀式を研究し、またある者は人里を離れ、底知れぬ洞窟の奥で深遠なる研究に没頭した。
そして更なる魔法の体系が次々と生み出された。それまで知られていなかった法則を操るもの。まだ見ぬ異界への扉を開き、この世の物理法則を越えた生物を呼び込む者。精霊や妖魔と呼ばれる超常的存在と契約を結ぶ者。
新たなる魔法は更なる奇跡を起こすために行使され、
莫大な財宝がさらに巨大な儀式のための供物となる。
そんな狂乱の時代は100年余りも続いたが、突然な終焉を迎える。
原因も理由も定かでない、唐突な魔物の氾濫だった。
人の知るものとは比較にならぬほど凶暴な獣。土の底より蘇った不死者たち。神や悪魔よりも「さらに巨大な」姿をした超常的存在――。
それらは一夜にして世界の全てを埋め尽くし、人類の9割9分を食らい尽くした。
――そして、400年あまり。
人はある程度の勢力を回復したものの、古代の優れた魔法や、神秘の力を封じた器物などは、そのほとんどが失われていた。
人類が国家を組織し、練兵学園を築き、秘術探索者を養成するようになって数十年。
大陸を一冊の本に例えるなら、人類の版図は、まだ表紙の一枚に過ぎなかった。
※
僕は手足を縛られ、焼けた砂の上に転がされている。
視界のどこまでも無のような砂漠。
空には猛禽が旋回し、僕の肉を狙っているのが分かる。
砂からじりじりと熱さが伝わり、歪んだ太陽が僕の肌を焦がす。縛られた手足は動かすこともできず、僕は捕まった鹿のように丸まってじっと耐えるしかない。
目を開ける。体中にぐっしょりと汗をかいている。
すぐ前にヴィヴィアンがいた。
目を閉じて、静かに呼吸している。
もう朝のようで、窓からは日差しが体の上に降り注いでいる。
妙に暑い、それに手足が動かない。
ヴィヴィアンのバストは規格外もいい所で、体の前ですぼめた両腕の中で、二つの水袋が居場所を失ってあふれ出ている。よく見ると僕の腕がその谷間の中に吸い込まれて、その南半球から出てきた手がヴィヴィアンのへそのあたりで彼女の腕に抱えられてる。
そして脚もものすごく熱い、なんだか重い布団に挟まれているような感覚。
視線を下に移すと、僕のがりがりの細い足が、ヴィヴィアンの太ももの間にねじ込まれている。
つまり僕は両腕を彼女に胸ごと抱きかかえられて、
脚は彼女の両腿に挟みこまれているわけだ。
ようやく意識が覚醒した僕の脳に、
一瞬で5リットルぐらい血がのぼる。
「うわあああああああああああああああああっ!!!」
ばたばたと廊下を走る音。
僕の部屋のドアが大きく開け放たれる。
「ど、どうしたの、すごい声だして」
入ってきたのはヒラティアだった。
僕は寝間着姿のままで尻餅をついて呼吸を荒らげ、ヴィヴィアンのほうは彼女には寝間着という概念は無いのか、完全に全裸のままでむくりと上体を起こし、眠たげに目をこする。
「――あ、おはようございます。ハティ様。ヒラティア様」
「なにやってるのハティいいいいいいいいい!!!」
まだ状況がわかってない僕の襟首を掴んで立たせ、そのまま前後にぶおんぶおんと揺するヒラティア。脳が満遍なく撹拌される。
「朝からそんなハレンチなことっ! そんなエッチな人だと思ってなかったっ! 知り合って何日も経ってない子に手を出すなんてっ!」
「ちっ、違うっ、ヴィヴィアンがっ、また僕の寝床にっ」
なんとかそれだけ言うと、ヒラティアはきっ、と唇を噛んでヴィヴィアンを見やる。
「ヴィヴィ、寝床に入ったらダメだってハティが言ってたでしょう! それに服はどうしたの、私の寝間着を貸してあげたのに」
「申し訳ありません。南方では寝間着は使いませんでしたし。少しサイズがきつすぎて……」
と、自分の胸のあたりを押さえて呟く。
ぴしり、とヒラティアがひび割れる音がする。
ヒラティアとて100人の女性が集まれば上位5人には入る豊かな胸なのだが、ヴィヴィアンとは次元が違う。自分の胸をかるく腕で隠すが、まったく隠れておらず上下にはみ出している様子に、僕は赤面しながら目を逸らす。
「うー、とにかくちゃんと服を着てっ! あともう朝ごはんの時間だからねっ! 早く降りてきてよっ!」
ヒラティアはカリカリとした様子で扉を閉める。ドタドタと床を踏み鳴らす音が聞こえる。ヴィヴィアンの無節操ぶりに戸惑うのは分かるが、なぜあんなに怒るのだろう、と僕は不思議に思う。やはり胸について言及したのが良くなかったのだろうか。ヴィヴィアンと比較することはないのに……。
「ヴィヴィアン、とにかく寝床に入ってくるのはやめて欲しいんだけど……。毎日だし」
「ですが、わたくしは竜の巫女として、ハティさまのお側にいなければいけないのです。もし魔物が襲ってきた場合に、術の媒体である女性がいなければ危険ですから」
「そりゃまあ分かるけど……ちゃんと部屋も用意してあるのに」
この部屋は元々僕一人で使っていた。ヴィヴィアンが下宿することになって、物置に使っていた隣の部屋をあてがうこととなった。ヒラティアやマザラおばさんはちゃんとした客室を用意すると言ったけど、ヴィヴィアンが隣の部屋でなくてはいけない、と頑として譲らなかったのだ。
竜幻装の術者は魔物を呼び寄せるとのことだし、ヴィヴィアンに同じ宿で寝てもらうこと自体は仕方ないと思う。でも同じ部屋となるとこれはちょっと……僕のほうが耐えられない。
「それに……あ、あの、なんで僕の脚を脚で挟んでたの?」
そういう癖なのだろうか。お金持ちが使う抱き枕というやつでそういう寝方があるとか聞くけど。
「お寒いかと」
「…………いや、今は温かい時期だし、僕、砂漠で手足を縛られてる夢見たし……止めてね」
「分かりました。では秋ごろになりましたら」
「真冬でもやめてっ!」
今日も朝から頭が痛かった。
※