空と希望と竜の夢
「え、選ばれた、って、僕のこと?」
「そうです。貴方は正当なる手続きにて竜幻装を受け継ぎ、女性を媒体として竜の幻想を呼び起こす術を手にしたのです」
竜幻装? 術だって?
この僕に――。
「ぼ、僕は魔力枯渇体質なんだよ。使えるわけないんだ、どんな魔法も、術も、呪いも――」
「竜幻装にそのような束縛はありません。幻想を現実に、神秘を真実に、伝承を未来に変える力は、既にあなたの中に宿っているのです」
魔力枯渇体質でも――使える?
僕の中に宿っている……? 今の力が……?
ではもしかして、何一つ魔法を使えなくて、完全に道が絶たれたと思った秘術探索者への道が、もしかしたら――。
と、背後からざわざわと物音が聞こえてきた。
大勢の人の足音、どうやら野次馬が集まっているようだ。槍や鎧を打ち合わせる音も聞こえるから、街の衛士も何人もいるのだろう。プロの秘術探索者もいるかも知れない。
「――人目につくのは望ましくありませんね。ひとまずこの場を離れましょう」
褐色の肌を持つ女性は僕に手を差し伸べ、立たせてくれようとする。
だが、手を持たれて分かった。下半身に力が入らない。腰が抜けているようだ。膝も笑っているし、まだ心臓が早鐘を打っている。体がまるで壊れた時計のようになっていて、どこかの歯車を回そうとしてもそれが全体の動きに伝わってくれない。
「ご、ごめん、動けないみたい」
「分かりました、では私の背中に口付けを――」
その女性は丈の長い黒マントを着ていたが、首のところにある前ボタンをぱちりと外し、マント全体をするりと落としつつ、背中を向ける。そして民族衣装なのだろうか、体に巻きつけていたサラシのような布をしゅるしゅるとほどく。
「えっ」
その時気づいたが、その女性の胸の大きさは尋常ではない。果物のような風船のような赤ん坊の頭のような。左腕でそっと隠す様子は犬でも抱いているのかと思うほどだ。腕に乗りかかるように大きく胸がせり出している。
そして彼女は後ろを向き、背中を見せる。それは一面まったく均一な褐色で、紫檀の家具のような深みがあり、上品な色をしている……ように思えた。女性が肩甲骨を見せる姿勢などに遭遇した経験があるわけもなく、僕はどぎまぎしてしまう。
「く、口づけ? キスってこと?」
「はい、肩甲骨の間におねがいしますね」
その女性は身を屈めてうずくまる姿勢になる。群衆の足音が近づき、僕は他にどうしようもなく、一度彼女に背負われるような姿勢になってから、その背中に唇をつける。
またも脳内で光が明滅、今度は二度目だっただけに気構えができていた、声もわずかに漏れるにとどまる。
「ーー龍の翼、幻装!」
瞬間、女性の肩甲骨が鉄のように黒ずみ、怪物が腕を伸ばすように一気に道の端まで伸びる、それは一瞬だけ油のような光沢を見せてから硬化し、蝙蝠のような爬虫類の水かきのような質感に変わる。その姿に翼竜を連想した瞬間、景色が急速に下に流れる。
内蔵を置き忘れるような上昇感、僕たちは一気に浮揚する。
空気の幕を突き破るような飛翔はほんの数秒、気がつけば雲を下方に見るほどの高みに至る。
僕は地面を探すように下を見る、数十万の人口を抱える学都ワイアームが、床に落としたボタンほどにしか見えない。
「ちょ、ちょっと高すぎない?」
「申し訳ありません……竜の翼で飛ぶのは初めてのことで、加減が分かりませんでした」
しかしそれは幸運だったかも知れない。一気にこの高さまで昇れば、誰かの視界に入る時間も短かっただろう、おそらく誰にも見られなかったと思われた。
僕は自分の状態を確認する。空にいるにしては下方に引かれるような感覚がない。僕たち二人が見えない力場に包まれているようだ。
そして気づく、目の前の女性は飛び立つ瞬間に向きを変え、僕を正面から抱き締める形になっていたが、その特大の胸が視界の下方にちらと見えて、僕は慌てて視線をそらす。
そのとき、視線を横薙ぎに伸ばす形になった、そこに広がるのは地平線の丸み、畑や街道が幾何学模様を描いてどこまでも続き、その向こうには山の稜線が夕刻の赤に溶けるかに見えた。
その遥か彼方、多くの村や町を越えた先、そこは人類の班図の外、無数の魔術と、想像を越える魔獣がひしめく南方の世界だ。僕はかつて決意した、あの南方へ行き、まだ見ぬ秘術を探すのだと、僕はそんな地の果てまでも見通せるような気がした。
その壮大で美しい眺めに、僕の心はうち震え、それは心の奥底で多くの活力の種を芽吹かせるかに思えた。希望が溢れ、展望が開けるような感覚。無重力感と昂揚感が心臓の中でない交ぜになる。
閉ざされていた社会が、重々しく厳粛だった世界が、今、この飛翔を切っ掛けに、本を開くようにめくれ上がっていくような気がした。そうだ、今なら僕は何にだってなれる、どこまででも行けるーー。
僕は紫の髪を持つ女性に話しかける。
「ねえ君、名前は?」
「ヴィヴィアンと申します。ヴィヴィアン=マニ=ルペです」
「僕はハティ=サウザンディア……ねえ、この力のこととか、詳しく教えてよ」
「はい、ハティ様、貴方は知らねばなりません、この竜幻装を使いこなし、襲い来る脅威を打ち払わねばならないのですから」
…………
……
え? 脅威?
「脅威ってどういうこと……?」
「先ほど、襲われていたではないですか、マニカプーペ、確か北方では女皇蜘蛛と言うのでしたね、竜幻装は魔術であり至宝、その継承者は無限に異形を引き寄せるのです」
…………
「じゃ、じゃあ、もしかして、明日からもああいう
モンスターが」
ヴィヴィアンはにこりと笑い、ほがらかにこう言った。
「絶え間なく襲ってくるでしょうね」
「人生最悪の日だああああああああああ!!!!」
僕は今度こそ絶叫した。
こんにちは作者です
なろうにて別の連載も行っており、ひとまずはそちらを優先的に更新していくつもりです、こちらはarcadiaに投稿していたものを手直ししつつ、加筆して完結まで持っていきたいと考えています、もう一つの連載の方もよろしくお願いします。
異世界クイズ王 -妖精世界と七王の宴-
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