無二無双の龍魚は
ヒラティアの行動は迅速であり果断。影が延びるように動き、すでに右方にいた一体に張り付いている。足元に滑り込んで相手の回し打ちを回避し、背後で飛び起きて反転する。
「とうっ!」
廻し蹴り、
骨に触れた瞬間に爆発のような衝撃。手近な建物へと吹き飛ばして壁面と宝石が四散する。
だがゴム板でも仕掛けてあったように骨の挙動が反転。吹き飛ばされる倍の速度で反転加速してヒラティアに飛びかかる。
突き出す拳、それが空をきる瞬間に突風が走る。ヒラティアが長い髪を揺らして足を踏み変え回避。右腕が燕のような銀の光となって翔ぶ。
がし、
とその胸部に突き立てるのは短剣。銀色に光る刀身をその鎖骨から肋骨の隙間に突き入れている。
ヒラティアが凄まじい速さで動く。白い鎧の像がぶれるほどの動き。贅鋼骸が反応するより早く、肋骨の間に手斧を、上腕の尺骨と橈骨の隙間に短い槍を。
骨がヒラティアに掴みかかる、
だがその瞬間に身をかがめて回避、右足一本で跳ね上がりつつ左足を真上に。軸足に鉄槌のような力が加わり真上に威力を集束。金属製の骨を数十メーキ跳ね上げる。
その左側面から襲い来る影。腰にしがみつかれる寸前に地面をトンと蹴って跳躍。空中で体を反らせた背面跳びの体勢。タックルを仕掛けた黒い骨が真下に来た瞬間。身体をきりもみ回転させると同時に大剣を抜き放つ。
真上から振り下ろす斬撃。骨が沈むと同時に石碑のような大きさで床が跳ね上がる。
剣は寸毫の狂いもなく腰骨の間隙を狙っている。軟骨はないようだがどのような理屈で接合されているものか、黒練鋼の一撃を受けても骨同士が離断しない。
ぎぎいん、と響く音。目にも留まらぬ速さで大上段から数回の振り下ろし。風圧で周囲の小物が吹き飛ぶ。そして刃が湾曲している刺突剣を関節部に突き入れる。
真上を一瞬も見ることなく背後に跳ぶ、ようやく落下してきた骨の一体が下の骨と激突。ゴムまりが奇妙なはね方をする時のように着地と同時にヒラティアのほうへ跳ぶ。だが急な動きのために体が完全に地を離れ制動がきかない、ヒラティアには的に見えているだろう。黒剣を正眼に構えてそれを眼窩の空隙に突き立てる。
「えーいっ」
ぎゅり、と大剣を手首で半回転。眼窩に食い込んだ剣に摩擦が生まれ、骨も回転しながら地面に叩きつけられ、ヒラティアが細剣を腰骨に突き立てる。叩きつけた骨の奥側からもう一体が飛び出してきて、その突きの一撃を剣の側面でいなす、剣の表面に火花が散る。
ヒラティアの動きが加速している。贅鋼骸の金属質の骨に様々なものを刺突する。短剣、短めの槍、手斧、なぜか彫像まで、そして骨は気づいているだろうか、ヒラティアが腰からロープを流しながら動いていることを。
「できたっ!」
それは策が完成したという意味だ。戦闘開始から完了まで30秒もかかっていない。ヒラティアは腰からロープを抜き出す。その端は地面に落ちている大ぶりの両刃斧に結ばれている。
ヒラティアが斧に飛び付き、あさっての方向に投げる。瞬間、周辺の地面全体からロープが浮き上がり、瞬時に集束して二つの骨を縛り上げる。斧の投擲は地平線の果てまで届くほどの威力。二つの骨は密着し、ロープの張力によって回転するように動き、もつれあって転がり、さらにロープが全体を締め上げる。
あまりの高速戦闘に手出しが出来なかったアドニスが、ようやく口を開く。
「あ、あんなロープであの骨は……」
「いや、ただのロープじゃない、しかも力を入れにくいように縛ってある」
あのロープも含めて、おそらくはこの階層に落ちていた大爛熟期の遺物。遠くに船が見えたから、そのもやい綱か何かだろうか?
骨はぎしぎしと軋む音を立てて振りほどこうと、あるいはロープを千切ろうとするがうまくいかない。ヒラティアが隙間に刺した武器が関節の可動域を制限しているのだ。
腕を広げてロープを千切ろうにも、二人を一緒に縛っていることで互いの力が絡まってもんどりうつのみである。骨の暴れる周囲で石畳が割れ、土煙が上がるが、動きが取れないことには変わりない。
僕は短く戦慄する。彼女は普段、あんなに大量の武器を持ち歩くタイプではない、この戦闘のさなかに近くで調達したのだ。しかも一気にロープを巻き取ったように見えて、自然と結び目が作られるように計算している。
ふうと汗を拭うような仕草をするヒラティアに、背後から遅い来る影。
ヒラティアが即座に反応して対応。抜き放つ大剣が拳と接触する。ぎいいと、船と船が身を擦りながらすれ違うような音がする。破壊できない物同士がぶつかりあう音、密度の濃い殴撃と斬撃が空中で軋る。踏み足の一つごとに石の床が砕け、骨をかすめる剣が火花を飛ばす。
一見すれば少女とスケルトンの打ち合い、しかしそれは巨人同士が打ち合うような、この世のものとも思えぬ戦いである。
僕は感じ取る。いかにヒラティアでも、この骨の一撃を正面からは受けられないのだと。いなし、受け流して機を狙うしかないのだと。
骨が掴みかかる。ヒラティアは組み合いを嫌って後方にバク転、片手で着地して、指の力だけでさらに後方へ、大きく跳ね上がって手近な倉庫の上に乗る。
その倉庫の壁面に骨の腕が突き入れられる。破砕が一瞬で全体に伝播して全体が四散。ヒラティアが真横に飛んで空中に躍り出た時、そこへ巨大な石版が、壁面の一部が投擲される。
石板が回転しながら飛んでヒラティアの全身を覆い隠す瞬間。彼女の姿は煙のように消える。石版は直線に限りなく近い放物線を描いて遥か彼方まで。
「えーいっ!」
骨の真横から迫る影。
ヒラティアが腰だめに構えた剣を回転しつつ薙ぎ払う。上半身を支える腰骨に左右からの連撃、左右から、と見えたのは凄まじい速さで左右からの撫で斬りを浴びせているためだ。持続的な火花が散り、黒い破片が散り、骨が腕を大上段に構える。
殴撃。
振り下ろされる。超威力の一撃が白い影を打ち抜き、地面に突き刺さる瞬間に莫大なエネルギーを開放。地割れが四方八方へと突っ走り周辺の倉庫や彫像が飛び上がるような錯覚。無数の遺物が地割れに飲まれ、建物が傾ぎ、数十メーキ上空に打ち上げられた礫片がざらざらと雨のように降り注ぐ。
そして削られた腰骨。そこを緑の網が覆い、散らばった破片が浮き上がって元の場所に収まっていく。
詩眩城、この個体がアドニスの兄か。
おそらく一度模倣できた魔法は、こいつの中に記憶されているのだろう。攻撃魔法には同じ魔法で反射し、自己強化や回復魔法はそのまま学習する、おそろしく効率化されている。
ヒラティアでもこいつを削りきれない、倒すならば一撃で決めなくては。
僕は自問する、こいつを倒す手段は、果たして世界に存在するのか否か。
仮に竜の輝ける息を撃ったとして、それまでも模倣されたなら、その余波がどれほどの事態を引き起こすか想像もつかない。
どうする、どうすればこいつを無力化……。
瞬間、脳裏にひらめくイメージ。僕は術の囁きに耳を傾け、その術を把握する。
「竜の足跡だ」
「っ! ハティ様、新たな術ですね!」
「ああ……これならあるいは。アドニス、地導術は使える?」
大地の霊に干渉し、様々な地形の変化をもたらす術だ、だがアドニスは首を振る。
「あれは極めて複雑な儀式魔法です。瞬時に発動できるものではありません。仮にやるとしても詠唱を大幅に省略して、本来の数十分の一の規模で発動させるしか」
そうだろう。ではヒラティアにやってもらうしかない。
以前に聞いたあの技で。
そのヒラティアはまだ骨との打ち合いを続けている。罠を警戒しているのか、骨は数合ごとに大きく位置を変え、体に突き入れられる武器もすぐに抜くか、無理矢理に間接を動かして折ろうとする。大爛熟期に鍛えられた槍が飴のようにねじ切れる。
「ヒラティア! 祇技の弐だ!」
「えっ!?」
ヒラティアは打ち合いながら、一度首を大きく曲げてこちらを見る。
「少しだけ贅鋼骸の注意を引き付ける! 祇技の弐を撃ってくれ!」
「ええっ、そ、そんなっでもっ急にっ」
「アドニス、頼む」
「……身体強化の魔法を全力で、すべてを防御と回避に向けたとして、もって20秒ですよ」
アドニスは全身を白く光らせ、前方に飛び出す。ヒラティアと同じ錬武秘儀の魔法だが、その規模はさすがに数段劣る。ヒラティアが入れ違いに戻ってきて、僕の眼前でひどく困ったような顔をする。
「お、あのねハティ、あれはその、剣だけでやる技で、えっと、鎧がジャマというか、ふ、服も全部脱がないと」
「脱いでくれ」
ヒラティアは目を丸くして、信じられないという顔で硬直。
その背後ではアドニスが骨の攻撃を回避している。瞬間的に魔法力を噴出することで大きく飛び続けているが、あの骨には知性がある。いつ先読みされるとも限らない。
ヒラティアは胸の前に拳を突きだした構えで、頬を紅潮させて目に涙を浮かべている。
時間がない、僕は叫ぶように言う。
「頼む! 早く! 30秒後に離脱だ、そしたら僕たちが術を撃つ!」
「えーん、ハティのばかあああああ!」
ヒラティアは胴鎧だけを頭から抜きつつ僕の背後へ走る。そして剣が空をきる音。風が吹き寄せて僕とヴィヴィアンの間を様々な布地が吹き飛んでいく。剣で自分の服を切り裂いたのだろう。さすがに一枚ずつ脱ぐ状況ではない。
「祇技の弐!」
おそらくヒラティアは空中に飛び上がり、大剣を真下に突き出したまま全身を伸ばし、カジキのような姿になっているだろう。
そして技の名を唱える。超常の怪物を呼び寄せるかのように。
「鮫鮫!!」
それは一瞬に起きる。
僕たちの足元を線状の隆起が突っ走り、アドニスと骨たちの間へ向かう。僕はヴィヴィアンの肩を引いて後退。そして地面に渦が巻く。
比喩ではない、半径50メーキの範囲で大地が形象を失う。無数の石塊が渦を描いて回転し、それは獣の駆けるような高速に達する。大地に敷き詰められた石板が白波となって渦に巻き込まれる。
アドニスは異変を察知して宙に飛び上がる。
それが大地とは思えない速度と流れである。中央が凹み、立像が沈み、建物が沈み、あらゆるものを泥濘の渦が引き寄せていく。
ロープで縛られていた二体の骨は抵抗のしようもなく飲み込まれ、アドニスと対峙していた個体は飛び上がって逃れようとするも踏ん張りが効かない、その体はすでに腰まで渦に埋まって流され始めている。
「こっ……これは」
アドニスは宙に浮いて驚愕している、それも当然だろう。
その膂力、剣の冴え、武器の強靭さ、あるいは精霊魔法などの併用。そんなことでこの現象が説明できるのだろうか。
これもまた神業、ヒラティアにしか許されていない常軌を踏み越えた技である。身体強化の魔法を使ったとはいえ、起こす事象はもはや物理現象の域を超えている。
そして僕たちはアドニスより上に陣取る。翼を生やしたヴィヴィアンが僕を見て、その頬を赤く染めている。彼女は空中で片足を僕に委ねる体勢となり、嫌々をするように頭を振り、猫手でその口元を隠して赤らむ。
視界の一部でヒラティアが離脱したのを見る。そして僕は足の甲に口づける。
鮮烈なるイメージ、島と島を一息で渡り、山をまたぎ超えるほどの巨竜が、その超重量をもて地を踏みしめるイメージが、そして架空の質量が実存となり。仮想の神獣が現実となる。
「竜の足跡、幻装!!」
不可視の衝撃。
ずお、と世界全体が揺れるような感覚、
視界にはいる全ての範囲で土煙が上がり、立像の何割かが倒れる。
目下には深さを増したクレーター状の穴。全体に縦長で、三つの爪痕が確認できる。
さらに足撃。周囲の大地を中央に押し込むように拡散させて撃つ、集まってくる土と石をさらに奥へと。奥へと。
イメージとして分かる。地面の下では砂時計の砂のように、大量の土砂が遥か下方へと押し流されている。
十数度の踏みつけを経て、ようやく竜の気配が失われる。
第五層はひどい有り様だった、大地震が何度も押し寄せたような破壊。およそヒビの寄っていない壁はなく、立っているもので倒れなかったものはない。
「ハティ様、これで退治できたのでしょうか?」
「大丈夫」
その骨たちは、およそ1ダムミーキの深みまで押し込まれたはず。周囲の地面も泥のように不安定になっている、いくら超のつく怪力でも、踏ん張りが効かない状況で真上に掘り進むのは難しい、脱出にはかなり時間がかかるだろう。
しかし結局、あの骨を破壊はできなかった。
だが、今はこれでいい。
僕たちの目的は戦いではない、目的はただ進むことであり、成すべきことを成すことなのだから。




