その日、世界に起こったさまざまのこと
第七章
――大爛熟期
魔法使いたちが隆盛をきわめ、星を動かし、時の流れに介入し、天変地異を意のままにした時代。
偉大なる彼らはしかし、ある日を境に世界から姿を消す。モンスターの氾濫により滅びたとも、どこか別の世界に去ったとも言われている。
まるで、お伽噺のような終わり方だ。
かつて神々の時代があり。神々はどこかへ去って人の時代が訪れた、そんな話。どこかへ去った動機について誰も深くは語らず、正確な事実を追求しようともしない。なぜなら神は架空の存在だからだ。
だが、大爛熟期の魔法使いたちは違う。
彼らは厳然と存在し、超絶なる魔法を操っていた。
ならばその終焉にも、お伽噺ではなく蓋然性のある理由が、彼らの物語があったはずなのだ。
それがたとえ、聞くに耐えない暗澹たる物語であっても。
※
「大爛熟期の……?」
アドニスが、僕の呟きに反応する。
「そうだ、彼は太古の魔法使い、かの大爛熟期が終わってから400年か、あるいはそれ以上の時間を生きている存在だ」
「ふむ」
エンキはごきりと首を鳴らし、少し興味が沸いた、という目で僕を見る。
「そこの少年、もう少し話してみなさい、今の人間たちがどのぐらい私に迫りうるものか聞いておきたい」
丁寧だが拒むこと許さない、いや、相手が拒むことなど考えてもいないという口調である。特に粗野であったり恫喝するような言い方をする必要もない、という貴族のような傲慢さだ。
「……400年前、魔法使いたちはひたすら魔法の高みに登り続けていた。その時代が、ある時に終わりを告げる」
「うむ」
「それは、未知の災厄などではないんだ。魔法使い同士の戦い、あるいは、悪の心を持ったただ一人の魔法使いによって、他の魔法使いがすべて滅ぼされたのだとしたら」
アドニスが、エンキから目をそらせぬままに驚愕する。
「まさか、そんなことが」
「いいや、間違っていない」
エンキは言う。肯定を一言だけ投げて、僕の言葉を待つかに見える。
「……その魔法使いは、世界のほぼ全てを掌握した。しかし、滅ぼされた魔法使いの中には、自らの財産を、あるいはコレクションを封印して隠した者がいた。それは南方に残る遺跡や洞窟、そしてこの「七つの試練場」もそれだ」
「南方か、人類はおもに大陸北端に居住しているようだが、南方とか北方とか言うのは残存人類の言い方だな」
「……そして、ただ一人生き残った魔法使いは、他の魔法使いが残した遺産を集めている。そのために多数のモンスターを手先としている。魔力を、魔法にまつわる器物を関知できるような仕組みを内蔵した生物を」
エンキの顔には賞嘆の気配すらあった。僕に拍手でも投げそうなほどに。
「おおむねその通りだ。我が下僕たちは歪曲率、お前たちの言う魔力の多寡に反応する機構を内蔵している。お前たちも気づいていただろう、都市圏の魔力総量が高まるごとに魔物が集まっていたことを。そしてここ数十年、北方の一部にとみに魔力の集まりを感じていたのだよ。人口が増えてきたためかと思ったが、どうもそれだけではない上昇率だった。だから私が自ら調査に来たというわけだ」
エンキは言葉を切って、僕をまじまじと見る。
「しかし、なぜその仮説に行き着いた」
「贅鋼骸だ」
僕は目に力を込めて言う。
「「骨」のことか、あれがどうした」
「あれは、アドニスの身内だった」
その言葉には、エンキは少なからず驚いたようだ。ヴィヴィアンなども同様だったのだろう、わずかにこちらを振り返る。
「彼はある事情によって南方に失踪した人物だった。それを聞いて僕はこう考えた。贅鋼骸は過去の遺物だが、それとは別に、現在進行形で誰かが生み出しているのではないかと。世界のどこかに、人間を魔導師級に変えられる存在がいる、そして魔導師級がなぜ魔法を使えるのか、それは、ある定義の上では、彼らが人間だからではないかと」
一瞬の沈黙、
そして哄笑。
エンキは額を押さえ、腰を曲げて笑う。老人のような風貌なのに、そのような動作は若者にも見える。実年齢は400を超えているはずだが、不老長命である彼には、老人らしい精神性の変化というものは訪れないのだろうか。
「成る程、成る程。確かに観相学などでも言及されるように、人相とは骨の形状により左右される。身内であれば骨を見てそれが誰か気づく可能性があるのか。いや実に愉快だ。考えてもみなかった、という体験は何十年ぶりか」
指を鳴らす。
僕らは瞬間的に身構えるが、攻撃ではなかった。エンキの足元に円陣が生まれ、黒い泥のようなものが吹き出している。
そして糸で釣り上げるように、黒い骨が、漆のような艶を持つ骸骨が引き上げられる。
「……! この異空間で、物体を引き寄せた?」
「多少面倒な術式だがな、お前たちの出会った個体はこれだろう? ふむ……」
エンキはしげしげとその頭骨を眺める。
「なるほど、理解した」
「兄に何をしたのです!」
進み出るのはアドニス、その声に怒りがこもっている。ある程度は己の恐れを打ち払うための怒りでもあるだろう。
「見て分からんのか? 私の下僕としたのだよ、なるべく新鮮な骨ほど上等な下僕になる」
「……兄には、魔法の才覚はなかったはず、しかし高位な魔法を使ってきた、なぜです」
「お前たちは生命というものがどこにあるか知っているか?」
と、一見関係のなさそうなことを言う。エンキは少し興が乗っているようだ。
「脳か? 心臓か? そうではない、まず知性ありき、生命とは知性であり、人は知性によって世界を変革する。そして知性の延長、摂理を曲げようとする力こそが魔術だ。超能力とか現実改変構造とも言うがな。そこで精妙な手順により知性だけを保持して肉を削ぎ落とし、臓物を抜き、骨をある種の金属に置き換える、この過程において魔法力は純化される。これが「骨」だ」
「……あの帝鳳も人間だったのか?」
僕は会話を引き伸ばす。そして思考を巡らせる。先刻、ためらいなく僕らを殺そうとした術、あれをそう何度も防げるとは思えない、一撃で倒せるだろうか、あるいは逃げを打つ手段を……。
「あれは研究者の成れの果てだ。不死身と無敵を求めた結果の一つだ、もはや人間とは呼べんよ。あれは実に愚かしい、肉だけを肥大させて精神の成熟が追いついていない、だから簡単に支配できる。醜いほどの愚かしさだが、あの時代ではありふれた誤謬でもある。歪曲率……つまり魔力の何たるかを理解していなかったのだよ。お前たちの言う南方にはあの手の輩が山ほどいる」
「あれが……太古の魔法使いの成れの果て」
僕はそっとヴィヴィアンの脇腹に手を当て、後ろに下がるように合図を送る。
どうする、竜の輝ける息でこいつを倒せるだろうか。果たして術を発動する猶予があるか? あるいは何らかの方法で動きを止めてアドニスに……。
そこへ、左右から影が。
小屋のような倉庫を乗り越えて、あるいは彫像の影から黒一色の骨が出てくる。
「う……まだいたのか」
僕は呻くようにつぶやき、左右に視線を走らせる。
だが、骨は僕らを見てはいなかった。エンキのほうへと歩み寄り、声なき声とともに顎関節を動かす。
「うむ、見つけたか、思いのほか時間がかかったな」
僕はやはりと思う。
なぜ彼が、合言葉で封印されているはずの跳躍門を通れたのか。
おそらくあの骨はギルド関係者だ。南方にいる人類と言えば、ヴィヴィアンのように少数だけの村を形成している人々、あとはギルドに関係する秘術探索者だ。エンキのいた場所が南方の奥地だったとすれば、そこまで行ける人物はかなりの実力者、ギルドでも有力者だった可能性が高い。
だから彼は、それらの人物から聞き出したんだ、合言葉の情報を。
だがそれを口には出さない。わざわざ確かめるほどのことでもないし、エンキの注意を引きたくない。
「……っ、アドニス、気をつけて、能力がデパートのやつと同じとは限らない、それに一撃でも受けたら終わりだ」
「わ、わかっています」
「常に身体強化の魔法をかけておくんだ。距離をとって、魔法の模倣には気をつけて!」
「お前たちは彼らを始末しておけ、私は下層に行く」
エンキは音もなく浮かび上がり、そっぽを向いて去っていく。
「くっ……逃がすわけには」
「いいんだアドニス、今はこの贅鋼骸に集中しよう」
左右から贅鋼骸が現れた時、僕はそちらに意識を向け、三人で骨と戦うという雰囲気を作った。
それでいい。いま、あのエンキという魔法使いも交えて襲われたら全滅していただろう。命がけの誘導だったがうまく行ったようだ、偶然に感謝しよう。
しかし、この三体。
骨はかつかつと金属に近い足音で歩み寄り、まるで友人の肩を叩くようにすいと手を伸ばす。
「!」
アドニスが翔ぶ。魔法力を噴出させて反動で後方へ。
今の骨の動き、あの拳に触れたなら肉が弾け飛んでいた。
息をするように砕き、ただ存在するだけで多くのものを壊す、超常の魔法が生み出した魔物か。
「竜の爪、幻装!」
衝撃波が走る、五本の光刃が地面を突っ走り、骨の飛び退く先で倉庫の石壁を爆散させ、巨大な彫像の根本をえぐる。
「崩星せ!」
アドニスも術を放つ。雷火の球が大気を燃焼させつつ飛び、骨の一つに食らいつく。目を焼くような閃光と雷音。肌を焼く焦熱。赤い電撃が骨の内部まで浸潤していく。だが一瞬後、その熱と雷気が弾かれるようにかき消える。
「くっ、やはり他の個体も魔法の模倣を」
骨は平然と歩を進め、
その一体の上に影がよぎる。
骨が振り仰ごうとした瞬間、そこに大質量の落下。根本をえぐられた巨大な騎士の像が倒れ込む。轟音と振動が広がる。
「ハティ様すごいです! 狙い通りに!」
「いや、まだだ」
僕が言い終わるより早く、彫像が中ほどから爆散する。そこには無造作に腕を突き上げるだけの黒い骨。大理石か石膏か、ともかく大質量には違いないはずのあの石像をものともしていない。
だが、これでいい、狙い通りだ。
骨が迫る。僕たちが下がろうとする瞬間には目の前にいて、その闇を固めたような骨の腕を振り上げ、破滅的な一撃を。
みし。
その首が真横にかしげる。こめかみに食い込むのは金属で補強された靴。
ヒラティア=ロンシエラの脚が頭骨に食い込み、その骨を数十メーキ吹き飛ばす。
「とうっ」
飛び蹴りの反動により空中で一回転、ひらりとその場に降り立つのは白銀の剣士。
背中に負った漆黒の大剣、全身を覆う白雪の鎧。そして燃えるような赤い髪。誰の目をも引き付けてやまない炎の髪だ。
間に合った。彼女がこの階層にいること、あの石像の崩壊を見ていて、ここに駆けつけるかどうかも運だったが。
「ヒラティア!」
「ハティ! 無事でよかったよー! もーすっごく心配したんだからー!」
「それより敵だ! あの贅鋼骸が三体!」
「うん! 頑張るよー」
ヒラティアのその答えに、僕は少し気をそがれる。
彼女はいつも天真爛漫と言うか、恐怖とか緊張を示すことがあまりないが、しかし一度は殺されかけた相手だ、そこまで余裕を持てるものだろうか。
ヒラティアは大剣を腰だめに構える。足を前後に開き、そして踏みしめる送り足の下で、石の床がひび割れて。
「祇技の漆!」
えっいきなり!?
「鋒鋒!!」
光条。圧縮された音が耳に突き刺さる。
「うわっ!?」
ぎいん、と耳を錐で刺されるような音圧。それは超密度で放たれる刺突の音だ。骨は水平に吹き飛ばされ遥か彼方へ消えている。まるで数百メーキはある槍を使ったかのように、ヒラティアの視線の先であらゆるものが粉砕され、円柱状のトンネルが形成されている。石の破砕音と金属音が入り混じって届く。
水平に構えた剣での突き、しかし密度も威力も尋常ではない。さらに言うなら贅鋼骸に身構える隙を与えないほどの電光石火の技だ。
見ればヒラティア自身も数十メーキ前進している。その歩む後には二条の黒線が残され、わずかに残り火がくすぶっている。踏み込みの摩擦熱が火を上げるほど高まったというのか。
吹き飛ばされた骨は遥か遠く、おそらく1ダムミーキは飛ばされた。三対一を防ぐために時間を稼ぐつもりか――。




