光の息吹、そして魔王
僕らの周囲を光が包む。
半球状の防護膜かと思われたそれは、俯瞰して見れば何か巨大な生物の胴部のように見えたことだろう。僕の心の中に術の全景が流れ込んでくる。
それは斜め四方に脚を伸ばし、大地に爪を立てて身を固定する。長大な尾が後方に流れる。それは山一つぶんにもなる巨大な存在。
光で編まれた竜。
そうとしか見えぬものが僕らを包む。そして鎌首をもたげた頭部が口腔を開き、体内で圧縮された力を解き放つ。
光条。それを見ただけで全身が溶け消えるほどの光。
五感を超越した感覚が僕に周囲のことを教える。
かの羽ばたくものの王は天空にあって嘴を開き、その正面に亀の甲羅のような防壁が出現する。おそらく重ね合わせること数十枚。
だが甘い。
光の槍がそれを紙のように突き破る。
厚さ一ダムミーキに達する胴体を背面に突き抜けて、文字通り光の速度で伸びる槍が動き、その巨鳥の胴部を斬り裂いていく。
胴部の中央から右上に駆け上がり、駆け戻り、右の翼をものの見事に縦によぎり、その冗談のように巨大な翼を断裂させる。月ですら斬り裂くかに思えるほどの、無限遠の刃。
帝鳳はその鳥の眼を見開き、信じられないという気配をありありと示す。そして翼が離断したことで体勢が大きく傾き、半回転するような動きで落下していく。その巨大さゆえに全ての動きがスローに見えている。
「ヴィヴィアン! そこまで!」
「――かはっ」
幻想の竜からほとばしる光が収まり、ヴィヴィアンは一度大きく咳き込む。そして自分の身に起きたことがまだ理解できぬと言うように目をしばたたく。体温が一気に上昇し、汗が蒸気となって噴き出してくる。
そして十数秒遅れて、遥か彼方で地揺れが響く。数十の邸宅がまとめて落下してくるような、長く長く続く落下音だった。
「はっ……ハティ様、私……」
「大丈夫。分かるんだ、あの術は術者やその媒体を保護している。この周辺一帯が、術の発動に際して力場で守られていた」
もし、今の出力を魔力的に再現しようとしたならば、術者自身はもちろん近くにいた人間まで瞬時に蒸発しただろう。
これほどの熱量を人間が行使する、これが竜幻装の真価か。
ヴィヴィアンは全身を汗だくにして僕にしがみついている。背後ではアドニスが、構えを解くのも忘れて硬直している。
「す、すさまじい……あの伝説上の魔物を、一撃で」
「アドニス! 吹き飛ばされた騎士団メンバーがそろそろ戻ってくる頃だ、あとの始末は任せて僕らは第五層へ!」
「わ……わかりました、リリコットに聞いていた情報では、向こうのはず」
「ヴィヴィアン、脚を出して、竜の疾走で一気に行く」
「ええっ!?」
と、ヴィヴィアンは急に彼女らしからぬ、大仰なリアクションで驚く。
「いっ……、今すぐ、ですか?」
「うん、もう少しだけ頑張ってくれ、いま騎士団メンバーに見つかりたくないんだ」
「わ、私……あの、その……したばかりで、灼けるような、身体が、その……い、いま一歩も歩けな……」
ヴィヴィアンはなぜか渋っており、背後からアドニスも何か言ってくる。
「ハ、ハティ、あのですね、私も受けた術ですから分かりますが、竜幻装をあれだけの規模で発動させた場合、その、おそらく体内の緩和作用が莫大なものに」
「ごめん! 時間がないんだ!」
僕は身を屈め、ヴィヴィアンの太股にキスをする。
「っ! ~~~~っっ!!」
ヴィヴィアンは口元を両手で押さえ、その場にしゃがみこんで全身をぶるぶると震わせる。
う、しまった、やはり負担が大きすぎたのかな。
と思った瞬間、背中をどやされるような強い衝撃。一瞬意識が置き去りになり、気づいた時は僕はヴィヴィアンの腕に抱えられて、大木が吹き飛ばされた空白地帯を駆けていた。倒木の折り重なった風景が、まだらの景色が凄まじい早さで流れていき、
そして数十秒。
「ここか」
地面から突き出した石造りの門。この階層の跳躍門だ、やはり起動している。
目の前には泉のような円形の異空間。地面に設置された第五層への穴があった。
僕はヴィヴィアンの腕から降りて、穴の中を調べる。
「とりあえず出口の近くには誰もいないみたい、アドニスもすぐに来るだろうから、到着を待って降りよう」
返事がない。
僕が振り返ると、すぐそばにヴィヴィアンの顔があった。
「うわっ、何?」
ウェーブのかかった薄紫色の髪。その奥にある菫色の目にいっぱいに涙をたたえ、口を真一文字に結んでぷるぷると震えている。
「え、あの……ど、どうかした?」
「どうもしません! でも連続で術を使うと私も大変なんです! それは覚えていてくださいっ!」
「ご、ごめんなさいデス」
ヴィヴィアンはぷいとそっぽを向いて、乱れた民俗衣装をもぞもぞと直し始める。
「むこう向いててくださいっ!!」
「はいっ!」
何だろう、よく分からないけど怒ってる。やはり術の連続使用が負担になったのだろうか。緩和作用で痛みは和らぐはずだけど、なるべく控えないといけないな。
そうこうするうちにアドニスの姿が見える。地面すれすれを飛んで来た彼女は僕の目の前にひらりと降りて。
「天誅」
と、杖を降り下ろすのだった。
※
子供の頃、絵本で読んだことがある。
それは竜の巣。竜は輝くものを求め、価値あるものを集め、魔法の品をも欲する。その巣にあっては足の踏み場もないほど魔法の品がひしめき、竜は金貨のベッドで眠る。
第五層はさながらそのような場所だった。
地形としては広めの通路を持つ倉庫街、あるいは商店街のような風情。左右には箱のような石造りの小屋が並び、内部には研ぎ澄まされた武器、磨き抜かれた鎧、真新しく見える調度品、そのようなもので埋め尽くされている。
遠景には黄金で飾られた船、翡翠で作られた巨人像、大理石や黒曜石で作られた獣の像。
とても人間のものとは思えぬ巨大な弓矢。馬が何頭も入りそうな取手付きのゴブレット。酸化しておらぬ銀無垢の大釜。北方で最大の博物館の何十倍という量がありそうだ。
「すごい……どれ一つとってもひと財産ありそうな……」
僕は思わず呟く。
宝飾品の他には絵画もある。おそろしく細緻な人物画や風景画、手のひらに乗るほどの大きさから、三階建ての屋敷ほどもある巨大なものもある。
「大昔の人は巨人だったのでしょうか?」
ヴィヴィアンが言う、どうやら機嫌は直っているようだが、僕は少し慎重に発言する。
「いや……拡大主義ってやつだよ、色々なものを大きく作るという芸術の流行があったらしい。自分自身も精神的に大きくなろうとしたとか、職人が技を競うためだとか、富豪が自分の財力を見せつけるためだったとか、いろいろな説があるけど」
この場所は武器庫のようでもあり、宝物庫でもあり、誰かのアトリエのようでもある。
あるいはただの物置かも知れない。そのぐらい雑然としていて、この場所を名状されることを拒むかのようだ。
だがあまり物にばかり注視してはいられない、僕は発言する。
「それより魔法で生み出された兵士がいるとか、気を付けていこう」
「とりあえず近くにはいないようですが……念のため、鎧や石像には近づかないでください、いつ動き出すとも知れない」
僕はうなずき、通路の中央を進む。
ヴィヴィアンはしかし、もともと好奇心旺盛な部分があるせいか、まだ物珍しそうにあたりを見ている。そして何となくのように発言する。
「魔法の兵士ですか、すごいですね、魔法で人間まで生み出せるなんて」
「いや、それは少し違うよ」
僕は右上を降りあおぐ、そこにはランタンを掲げ、フードを纏った女性の像がある、ランタンの中には青い灯が揺れていた。
「太古の魔法使いたちでも、生命を新たに生み出すことはできなかったんだ。だから人工生物とかいうものも、既存の生物を掛け合わせたり、成長を促進させたものがほとんどなんだよ」
南方に蠢く魔物。今となってはどのような生物を掛け合わせたのか想像もつかない異形もいるが、それでも無から産み出されたものではない、それは学者の間でも共通の見解だ。
「魔法生物と呼ばれるモンスターも同じなんだ。前に学園内で遭遇した造魔透魚などだね。あれは魔法で産み出した「現象」であり、命あるものじゃない、魔力を生み出せるわけではないんだ。その活動は永久ではなく、いつかはゼンマイが切れるように停止すると言われている」
遺跡を守るゴーレムなどは侵入者に反応して動くため、休眠状態では半永久的に持つとも言われる、しかしやはり魔力は持っていない。
吹き込まれた魔力の息吹が尽きれば、石くれに戻る定めだ。
「ですが、例外もあります」
先頭を歩くアドニスが言う、僕はうなずく。
「そうだね、魔導師級だ」
あれらが何故に魔法を使えるのか、まだ誰も解き明かした者はいない。
魔力を産み出す器官を人工的に再現したのではないか、とか。魔法を使っているように見えるだけで、実際は何か科学的な仕組みで炎や雷撃を生み出すのではないか、など様々に言われている。
だが、僕の中ではそれにも一つの答えが見えつつある。それはアドニスの話にあったことだ。あれが真実だとすれば……。
「鎧がありますね」
僕は考えから引き戻され、隊列の前を見る。
彫像に寄りかかるように鎧が倒れている。全体を彫金と宝石で飾られた見事な全身鎧だ。しかし大きさが軽く4メーキはあるのと、手甲と腕部が左右に四本ずつ突き出ていることで異形の様相である。
鎧は胴の真ん中に大穴を開けて緘黙している。つい先刻、開けられたような新しい傷である。
「……? 倒されている。これが第五層にいるという魔法の鎧、ですか?」
アドニスなどは不思議なものを見る目だ。あのヒラティアですら警戒するほどの存在だという鎧が、倒されているという事実に違和感があるのだろう。
見た感じでは激戦の末という印象もなく、鎧袖一触、出会い頭に胴を撃ち抜かれたように見える。
「この穴のような傷痕……剣ではありませんね。騎士団メンバーの誰かでしょうか?」
「……いや、僕が思うに、これはもしかして」
がたり、と、近くで音がする。
「……!」
僕らは瞬時に押し黙り、手近な彫像の足元に張り付く。
「誰かいる……」
かなり近い、大通りが真っ直ぐ続いていた通路を右手に折れ、細い路地のようになった先。
そこには、一見では巨大なピアノのような物体があった。全体が板張りで、上部に何やら機械式の稼働部分が見える。それががしゃがしゃと機織りのような音を出して動いている。用途不明だが、大爛熟期の機械だろう。
その正面には人間。
どうやら壮年の男のようだ。黒い長裾のローブを羽織り、片手を顎に当ててその機械を見ている。フードが背中に下ろされているため、白に近い銀髪が見えている。
男は分析するように呟く。
「ふむ、なかなかに精緻な美術品だ、持ち帰るほどの逸品でもないがな」
しかし僕らは隠密でもなければ熟練の狩人でもない。彫像に背中から張り付く際、誰かがざり、と足跡を鳴らしてしまう。
男が振り向く。
「む、誰かな」
「我々は学園の者です」
咄嗟の機転、歩み出るのはアドニスである。
僕たちも後衛の位置に進み出る。
「この場で何をしているのです? 今は秘術探索者ギルドと学園によって、試練場への立ち入りは禁止されています。それとも一週間以上前からここにいたのですか? それなら事情を知らずとも無理はありませんが」
「いいや、入ったのは四日前だが」
四日前、計算上なら帝鳳が試練場に入った日、僕たちがデパートで贅鋼骸に遭遇した日。
やはり、こいつか。
僕はそっとアドニスに近づき、その背中に指で文字を書く。
「……っ!」
言葉は短く。『備えて』だ。
アドニスは気配で了解を示し、目の前の人物に向き直る。
「私はアドニス=アウレリア、貴方の名は?」
「エンキ」
そう短く名乗った男は銀色の髪に皺の寄った顔、黒いローブの中はしかし、革のチョッキに編み上げのブーツという活動的な装い、魔法使いのようでもあるし、野伏のようでもある。背筋は伸びて矍鑠としており、経験を経た教師のような落ち着き、しかし眼光は炯々(けいけい)と輝き、どこか獰猛な気配がある。印象が一つ所に定まらない、何者でもなさそうだし、何者でもあるかのような人物である。
エンキは面倒そうな気配とともに口を開く。
「私は学究のために探索中なのだ、邪魔をしないでもらおう」
「学究……? ギルドの許可は得ているのですか? この七つの試練場において、すべての物品と生物はギルドに所有権があり、調査権も」
エンキがぱちりと指を鳴らす。
「!」
瞬間、不可視の刃が無数に現れ、おそろしい速さで流れて周囲のものを切り刻みつつ逝き過ぎる。千匹の猛獣が爪を振るうような折り重なった音。
一瞬の嵐が去った後、石像は原型をとどめず、大量の武器が細切れになって散乱し、絵画はおが屑のレベルにまで粉砕されている。
「おや、防御が間に合ったか、なかなか良い反応をしている」
アドニスは顔面蒼白になっている。手を前に突きだしたものの、術の構成は間に合っていない。
その前にはヴィヴィアンが出ている。肘にキスをすることで生み出した竜の楯鱗の防壁、ひし形をした銀色の楯が展開されている。
アドニスが震える声で呟く。
「ば、馬鹿な……一瞬の詠唱もなく、あれほどの魔法を」
そう、こいつは並の魔法使いじゃない。
その奇跡には術式がいらない、呼吸のように自然に、虫をはたくように世界を滅ぼす力。その魔力は尽きることがなく、可能なことは人の想像が及ぶ範囲より広い。限りなく万能に近い存在。
こいつはおそらく、全ての元凶。
――大爛熟期の魔法使い。




