かの名状しがたき翼の王は
僕らはリリコットから、さらにいくつかの情報を得た。主なものは第四層、第五層の情報である。
「第四層は巨大樹の森です。大型の獣が数多く生息してます。第五層は全体が宝物庫のようになっています。魔法のかかった鎧が動いて襲ってきます。この鎧は戦闘力が凄まじく、ヒラティア団長でも慎重に一体ずつ対処せねばなりません。私は三層までしか潜ったことがなくて、詳細な情報はないんですけど」
あのヒラティアですら脅かす魔法の鎧か。十分に用心せねばならないだろう。
「ヒラティアさんは第五層を踏破したそうですが、第六層以下に潜ったことはあるのですか?」
「ありません。前回の遠征には私は同行しませんでしたが、第六層の入り口を見つけた時点で他の同行者の疲弊がひどく、そこで帰還することになったそうです」
リリコットもそれ以上のことは知らないようだった。ギルドの秘密主義は徹底しており、ヒラティアが手に入れた情報といえど、騎士団内部での共有は許可されなかったとか。
最後に、アドニスが彼女にささやく。
「リリコット、あなたはこの階層に残って、後から誰か来たなら足止めしておきなさい。今から縄を解いてあげますが、暴れないように」
「は、はい」
そしてアドニスは縄の結び目を指差し、魔力を込める。結び目は小さな蛇が身をくねらせるように自然にほどけていき。
アドニスの左腕が真上に掲げられ、そこに愛雷鞭が握られている。そして狙いあやまたず、背中の肩甲骨の間に渾身の勢いで降り下ろされる。すぱあん、という鋭い音と共に声が弾ける。
「ん゛ん゛ーーーーーーーっ!?!?」
「情報のご褒美です、甘受なさい」
アドニスはその鞭を僕の方に放ると、さっさと宙に浮いて飛んでいってしまう。
「お、おそろしい……情報提供者にも容赦がない」
リリコットがいきなり襲ってくる可能性を考慮したのだろう。足止めの一撃を食らわせたわけだ。
「あっ……、が、がが……、こ、これ、これ……」
リリコットを縛る縄はもう解けていたが、彼女は腕を斜めに伸ばして地面をつかみ、足を小刻みにバタつかせながら悶絶している。
ヴィヴィアンが僕の袖を引いて言う。
「ハティ様、あまりじろじろ見るのは失礼ですよ」
「え? そ、そうなの? じゃあまあ、僕らも行こうか」
「はい」
僕らは竜の翼で飛び、第四層へと向かうのだった。
※
「徹底していますね」
第四層は巨大樹の森だという。確かに、その場にある樹木は高さが150メーキ以上、幹回りが20メーキは下らないものばかりだ。北方には他に類を見ないほど立派な森だったのだろう。
だった、というのは勿論、その全てが倒れていたからだ。
一本一本があまりにも大きいためにスケール感が狂ってくるが、なぎ倒された大木が折り重なって小山のような眺めになっている。根本には家一軒が入りそうな大穴ができており、大量の土がえぐり返されたことが分かる。側面から突き出た枝はそれだけでも森のようで、葉の下には何やら大型の猛獣の死骸なども見える。
「ヒラティアさんたち、風紀騎士団だけの仕業ではありませんね」
そう語るのはアドニス。
「木の下敷きになっているモンスターと、倒れた木の上に残された死骸とがあります。倒された時間に差がある……。おそらく攻撃的なモンスターたちが帝鳳に襲いかかったのでしょう」
第二層でも見た光景ではある。しかし、そのモンスターの立派なことは特筆すべきだった。
三つの頭を持つ虎。全身が毒素に満ち満ちた緑毛の熊。電気を帯びている大蛇。刃のような金属質の羽を持つ猛禽類。どれも人間を丸呑みにできるほど大きい。
僕はこれらのモンスターの名前を知らなかった。どんな文献でも見たことはない。もっと上層には図鑑で知っているモンスターもいたのだが。
「この場所が、なぜ七つの試練場と呼ばれるのかご存じですか」
アドニスが言う。僕らは大木の折り重なった下を歩いて移動していた。ヒラティアたちがまだこの階層にいるか、三層と同じくメンバーが何人か残っている可能性があるのだ、それに見つからぬための用心である。
時おり生き残りのモンスターに襲われるが、アドニスが電撃の魔法で手早く仕留めていく。炎と雷を操る雷火劫が彼女の主たる攻撃手段だが、雷に振り向ければそれは最速の槍となる。
「えーと、たしか最初にこの場所を見つけた魔法使いがそう名付けたとか」
「そうです、しかし後世の誰も、もっと相応しい名前を与えようとはしなかった。ここに立ち入る人間は、直感的にここを試練場と考えて疑わなかったのです」
確かに。
モンスターは段階的に強くなり、様々な厳しい環境が用意されたこの空間。まるで人間を試すか、あるいは鍛えているかのようだ。大爛熟期の魔法使いはなせこんな空間を作ったのか。
そしてこの四層だ。まったく未知の生態系が存在する空間。これはもしや、すべて太古の魔法使いが創造した人工生物ということだろうか? 野生の獣では物足りぬ、自然の生態系では飽き足らぬと言いたげである。
考察は尽きないが、今は他に考えるべきことがある。
「騎士団と、僕たちに先行してるのは何者なんだろう」
「検討もつきませんが、おそらくは学都ワイアームの混乱に乗じた火事場泥棒ではないですか? 試練場からいったん人が引き上げたタイミングを狙って忍びこんだのでしょう」
第四層にも跳躍門があり、起動した形跡はあったが、その石造りの門は破壊されていた。大木の下敷きになっていたのだ。起動した後に帝鳳が来て、暴風を撒き散らしながら飛んでいったのだろう。
踏破されたばかりの第五層にはまだ門はないだろう。結局のところショートカットできたのは第一層だけか、残念だけど仕方ない。
「火事場泥棒……でも誰なんだろう。ギルドの人間しか知らないはずの合言葉を使って門を起動させるなんて」
「風紀騎士団のメンバーがいますね」
アドニスが言い、僕らは足を止める。
「何人も見えます。この森を飛び回って、モンスターたちの数を減らすつもりでしょう」
大木の折り重なる隙間から、銀色の影が飛び回るのが見える。
それは馬上槍を構えた全身鎧の人物。靴から羽が生えており、自在に空を駆けている。そこへ真下から躍りかかる影。だがそれが何なのか認識する前に、馬上槍が真下に突き出される。
その瞬間、槍の周辺に風が生まれ、竜巻に成長し、無数の木の葉や木屑、モンスターの破片などを巻き上げて地面をえぐる。
「風の槍……」
「騎士団のメンバーなら、この階層で倒される気遣いは無さそうですね。問題は、ヒラティアさんがどこにいるかということですが」
「おそらくすでに第五層に降りたんじゃないかな、僕らも行こう」
こうして大木の下を進んでいては、いつ攻撃の巻き添えを食うか分からない、長居は無用だ。
だが、ことはそう簡単には進まなかった。
「ハティ様、何か来ます」
ヴィヴィアンが上空を指す。
視線を向ければ、そこには雷雲のような黒い影。それが目に見えて大きさを増し、空の一角を締め、やがて右から左に届くほどの。
「! アドニス! 防壁を!!」
瞬間、それは来た。
翼長8ダムミーキ(7.99キロ)に及ぶ帝鳳の翼、急降下と共にたっぷりと空気を蓄えた翼をうち振るい、都市二つぶんほどの空気の固まりを叩きつける。
その風が地を揺らす。轟音で五感が揺さぶられる。数百年を経たような大木が綿毛のように飛ばされ、土砂が波のようにえぐり返され、音速を越えた翼の生み出す衝撃波があらゆるものを粉砕する。俯瞰で見たならばまさに神の御技がごとき破壊。巨大なモンスターも、鎧に身を固めた騎士団も蟻のように飛ばされる。
「ぐうっ……」
ぎり、と奥歯を鳴らして呻くのはアドニス。その半球型の防壁は地下の奥深くまで食い込み、なんとか僕らをその場に残していた。しかし、もし凪ぎ散らされた大木が一本でも直撃していたなら耐えられたかどうか。
周囲を見る。森だった光景が消失している。魔法を使わねば運搬する手段がないほどの大木が数万本、はるか後方に吹き飛ばされているのだ。
「騎士団メンバーは!?」
「彼らならそうそう死にはしません! それよりも帝鳳から丸見えです! 次はこちらに来る恐れが!」
上空を見る。ゆったりと翼をひるがえし、数ダムミーキ上空を飛翔する神がごとき鳥は、明らかに僕たちを見ている。大鷲は森の上空を飛びながら、地上を走る鼠を見つけて襲いかかるというが――。
「失策です……あれはこの階層の遥か上空にいたのです。我々を、人間を待ち構えて排除するために」
あれと戦える相手、いるとすればヒラティアだろう。常人の想像もつかない強さ、というくくりにいるだけだが。
それをやり過ごし、騎士団メンバーを迎え撃つために残っていた?
何のために?
先行している何者かのため?
――そうか。
「だんだん分かってきたよ……ここに何がいるのか、何が僕たちに先行しているのか、なぜその存在が跳躍門を通れたのか、全てが一つに……」
それは、極限状態がもたらす思考の先鋭化か。崖から落ちた人間が、落下の間に世界がゆっくりと見えたという話のように、僕の頭で何かが像を結ぼうとしている。
そして、
すべてが、
一瞬の内に理解できた気が――。
「ハティ……?」
アドニスがけげんな顔で振り返るが、上空で鳥の鳴き声が聞こえ、また前に注意を向ける。それは地鳴りにも、遠い雷鳴にも似た空気を引き裂くような鳴き声だ。
「く……あの風はおよそ人智を超えている。私の防壁では何度も耐えられません。しかも、もしあの鉤爪で直接襲いかかられたら」
「大丈夫……」
僕は傍らにいるヴィヴィアンを抱き寄せる。
心の中に万能感がある。それは危機に乗じて生まれた、僕の内に流れる竜幻装の意思だろうか。僕は術の囁きに耳を傾ける。理解は一瞬であり、習得もまた一瞬。術に身を委ねるとはこういうことか。
「あの鳥はここで倒す。できるはずなんだ、この竜幻装なら」
「し、しかし、その術が優れた術なことは認めますが、とてもあの大きさに対抗できるとは」
「思い出してアドニス、僕がこの術を受け継いだ日、つまり竜幻装がこのワイアームに齎された日を境目に、この街に来るモンスターの格が跳ね上がったんだ。そしてヴィヴィアンの村では、この術の伝承者はモンスターに狙われるという伝承があった。ずっと弱い個体だけだったみたいだけどね」
「……?」
「つまり、その場所に存在する魔法の総量と、そこにやってくるモンスターの格は比例するんだ。だが、南方を秘術探索者が旅していても、それだけで狙われるわけじゃない、北方の他の都市にも魔法使いは居住しているのに、そちらは狙われない」
「な、何が言いたいのです?」
「つまり、この竜幻装はやはり特別なんだ。この術の伝承者が一人いるだけで、その付近の魔法力の総和を跳ね上げるほどに。術者一人だけで、ワイアームの何割かに匹敵するほどに」
「そんな馬鹿な……」
僕にはイメージできている。
それはヴィヴィアンと長く旅をしたためか、術を使うごとに、心の目が幻想の竜と通じ合うかに思える。
それは帝鳳にも負けぬ巨体。その胴は山脈のごとく、翼は大陸を渡る風の如く。
その体は地に染みたる鉄のすべてとも等しく、その翼の一振りは世界の風の全てに等しい。
それは「世界」のイメージ。
だんだんと分かってきた。竜幻装とは竜をこの世界に呼び込む術。そして竜とは、もう一つの世界にも等しい質量であるのだと――。
「ヴィヴィアン! マントを脱いで!」
「――はい」
すでに術のイメージは完成している。
僕はヴィヴィアンを抱き寄せて身をかがめ、その臍の上に、鳩尾に、胸の谷間の少し上に、喉のくぼみに、そして顎の下に。
「あっ……」
ヴィヴィアンの身体に、光が生まれる。
それは体内に輝く光球。口づけを施した五ヶ所に、体内の発光が見えるほどの純然たるエネルギーの奔流が生まれる。
「ぐっ……あ、ああっ、あああああっ……」
ヴィヴィアンは指をかぎ爪にしてわななき、何かを恐れるように首を縮め、しかし内からの力の奔流に耐えかねるように背中を大きくそらす。内股になって必死にその場に立とうとしている。彼女の帯を巻くような民族衣装が透けて皮膚が見えるほどの光量。ヴィヴィアン自身が恒星に変わるような光が。
「ああっ、わ、私、ハティ……様っ」
「大丈夫だ、ヴィヴィアン」
その体を抱きとめ、顎の下を持って体を支える。万が一にもそれを水平より下に撃つ訳にはいかない。僕は失礼と知りつつ、彼女の身体を砲身に見立てて構える。
「その力は決して術者自身を傷つけない。撃つんだ、全力で」
「ああ、私、私――」
そして僕の脳内で言葉が弾け、それが舌の震えとなって炸裂する。
「竜の輝ける息、幻装!!」




