尋問と懇願の天秤
そんなわけでの捕獲作戦である。
おおよその作戦として、第三層から第四層へと至るルートの上空に待機。前後の人間と三分以上空いて移動している者がいたなら、竜の踏む影で動きを止めて、離れた場所へ連れ去る。こんな感じである。
竜の踏む影とは、術を受けたヴィヴィアンの影を対象の影と重ねることで発動するようだ。念のために言うならば、この試練場には空もあれば太陽もある。本物かどうかは誰も知らないが。
その風紀騎士団メンバーは僕らが100メーキ上空まで降りたところで接近に気づいたものの、時すでに遅し、身動きひとつ取れずに拐われてしまった。金縛りの術にも色々あるが、効果の発現する距離、条件の容易さ、風紀騎士団メンバーをも縛る威力と、かなり優秀な術と言える。
100メーキ上空なら影はほとんど分からないほど薄くなり、範囲も運動場ほどになる、それでも効果が発動するのだ。数十人の人間を一度に縛ることも可能だろう。
「……それで、なんでこの人なの?」
僕はばつの悪い顔で言う。アドニスも何となく決まり悪そうに目をそらす。ちなみに言うと、先ほどずり下げていた乗馬ズボンはちゃんと上げていた。
「……仕方ないでしょう。誰が最後尾なのか分からないのです、選んでいる余裕はありません」
その人物は栗色のショートヘアにショートパンツと部分鎧、長さ4メーキの槍斧を装備した人物だった。
忘れもしない、試練場の入り口で眠らせた女の子である。
「あの、ちょっと話を聞きたくて」
「この変態! ド変態! 変態の果てにある変態!! 一度ならず二度までも私に辱しめを!! 斬るっ!! 絶対あとで斬るー!!」
両手を背中で、足は海老反りの形で縛られているのにすごく元気である。歯噛みしながら僕への悪態を連呼する。
「ええと、まず名前は?」
「ふんっ! たとえ卑劣漢が相手でも、問われて名乗らずは恥というものですねっ! リリコット=マイス! 戦士科二年です!」
「……なぜ風紀騎士団メンバーがここに来てるの? 20人以上いるみたいだけど、騎士団の戦力の大半じゃないの」
「それは答える義務ありませーん、つーん」
つーんと口で言って首をそらす。目を閉じて黙秘の構えである。
「……ど、どうしよう、どうやって聞き出せばいいのかな」
「ふんっ! 私たちはヒラティア=ロンシエラの元に集いし風紀騎士団! いかなる拷問にもー! ゼッタイに口は割りませーん! 魔法による催眠も無駄なことでーす」
「でも金縛りは通じたけど」
「それはそれ」
言うだけ言ってそっぽを向く。
うーん、しかしどうすればいいのか、まさか本当に拷問するわけにもいかないし、アドニスなら聞き出せるような魔法も知ってそうだが、そういうのもちょっと……。
「いつぞやはあの愛雷鞭に不覚を取りましたがー! もう通じませんよー! 騎士団メンバーとして南方にも遠征したこの私、リリコットの鋼の肉体に同じ手は通じないのでーす!」
あの鞭は愛雷鞭というのか。リリコットと名乗った彼女はエビ反りで縛られたまま体を揺すり、余裕を示すためか歌うように言う。
「さーどっからでもかかってきなさーい! 痺れぐらい今度は余裕で耐えてみせますよー。二三発受けたって平気ですからねー」
「…………」
それを見ていたアドニスが、ついと手を挙げる。
「ハティ、ちょっとあの鞭を貸してください」
「え、うん、いいけど」
でも二度は効かないとか言ってるし、効いたとしても痺れてマトモに喋れなくなると思うけど。
鞭を受け取ったアドニスは空いてる手でハンカチを取りだし、リリコットの頭のそばに膝立ちになると、おもむろにハンカチで目隠しをする。
「あ、な、何をっ」
「リリコットさん。貴方のお名前は聞き及んでいますよ。騎士団メンバーでも勇猛果敢にして金剛不壊、いかなる攻撃にも耐えて斧槍の一撃でカウンターを浴びせることから、二つ名を『鉄身のリリコット』」
「そ、それが何かっ」
「ですが……痺れというのは体の内側。いいえ、皮膚と筋肉の間の鍛えようのない領域でのこと……」
アドニスの白い、細い指がリリコットのうなじを軽く突く。彼女は拷問への畏れのためか、首をびくりと反らして喉からの息を漏らす。
「そしてそれは、本来は肉体の回復の証、肉体の歓喜のサインなのです。むしろ健全であればあるほどに、そのサインは大きくなる……意志の力で抑えようもなく、ただ口と舌をもつれさせながら絶叫するだけ……」
その指がうなじから背中へ、脊椎の数を確かめるかのように、触れるか触れないかの強さで皮膚の上を這う。リリコットはやはり拷問への畏れのためか、唇を震わせて冷や汗を浮かべる。
「はっ……は……や、やるなら早く、し、しなさ……」
「たとえば、腋の下」
そこにぐいっと親指をねじ込む。
「あうっ!?」
「膝の裏側、肩甲骨の間、腿の内側……皮膚が薄く、多数の血管が走行する部位を愛雷鞭で打たれれば、その刺激は想像を絶する……。全身が火に炙られるように熱くなり、関節が剛直し、叫び、のたうち、時に失禁することもある……」
「う、うう、う」
失禁はさすがに気の毒だと思う。リリコットは悔しさに歯噛みしているのだろう。頬を真っ赤に染めて唇をわななかせる。
「……ですが、ご安心なさい……打ったりはしませんよ」
「えっ……?」
アドニスの唐突な発言に、リリコットは目隠しのまま、彼女を探すように首をもぞもぞと動かす。
「それどころか、貴方の体に防御の紋様を描いてあげましょう……。愛雷鞭の紋様は聖癒痕をアレンジしたもの。痺れの効果が及ばなくなるような紋様は開発されています。この図柄を描いてをおけば、十年は鞭の効果を無効にできるでしょう……」
「じゅっ……十年!?」
さすがアドニスだ。
けして拷問などしない、とアピールして心の距離を縮める交渉なのだろう。
「これは一種の補助魔法です。皮膚の奥まで術式が浸透すれば、それ自体をさらに打ち消すような手段はない……。さあ、では紋様を描いてあげましょうね、こうやって、腰に……」
そう言って、アドニスは爪の先をリリコットの腰骨の上で踊らせる。ゆっくりと、皮膚の表面を引っ掻くように。
「あ、あっ……あうっ……」
でも変だな、十年も効果が続く紋様なら、入れ墨か、あるいは容易に消えないような特殊な顔料で描くはずなんだけど。
あれ、というか皮膚を引っ掻いてるだけで何も描いてない。
「はっ、話します! なんでも話しますからやめてえええええ!!」
そしてリリコットは折れた。
……え、なんで? いま折れる要素あった……?
※
「あうう、団長ごめんなさい、リリコットは悪魔に魂を売りました」
目隠しのままでだくだくと泣きながらそう言う。いったい何がどうしたと言うのだろう。なんか知るのも怖いから聞かないけど。
「ええと、それで、騎士団の目的は何なの」
僕が問いかける。リリコットは一瞬キョトンとした顔をして、僕らの存在を思い出したかのように驚いた雰囲気を出す。
「あ、あの、今のやり取りはくれぐれも内密に……」
「別に言わないけど」
僕の言葉に、リリコットは胸をなで下ろすような、ほっとした顔になる。目隠しされてるのに表情豊かな子だ。
「……第五層までの破壊です」
そう端的に答える。
「破壊……?」
「そうです。近年、南方のモンスターが北方まで来ることが増えてたんです。そして、数日前に現れた帝鳳。ここに至って、モンスター増加の原因は七つの試練場にある、との結論が出たのです」
アドニスの言っていたことと同じ……。もちろんそれはアドニスの独自の説という訳ではなく、百家争鳴の説の一つとして存在はしてたのだろうけど。
「ワイアームの実権を握っているのは、練兵学園と秘術探索者ギルド、この二つはほとんど一体のものです。その代表と、風紀騎士団とは数日に渡って激しく対立しました。ギルドは試練場の保全を訴え、モンスターに対抗するために兵力を増強するべしと唱え、風紀騎士団は試練場それ自体の封印を主張しました」
風紀騎士団は50人にも満たない組織だ。数百人はいる秘術探索者を抱えるギルドとは発言力も実力も違う。
だが、やはりというべきか、ヒラティアの発言力はひときわ強く、学園の上層部も、ギルド長のダズ氏なども無視できないのだという。
「ヒラティア団長は折衷案として『モンスターと器物を含めた、五層までの全ての形あるものの破壊』を提案しました。モンスターが魔法の力に反応するのだとすれば、それでモンスターの侵攻は弱まるだろうと」
「……ですが、この試練場にあるのは古代の貴重な遺産です、風紀騎士団であるヒラティアさんがそんなことを提案するとは」
……いや、そうでもない、と僕は思う。
ヒラティアはまだ見ぬものを求めている。だから五層までのものは「もう見た」もの、壊すことにそこまで抵抗はないのだろう。
「団長はこう言ってました。試練場がなくても、不思議なものなら南方にいっぱいあるからって」
ヒラティアは何度も南方に遠征している。南方の果てに存在する奇妙なもの、強大なもの、神秘的なもの、そんなものが彼女の関心の中心であり、人類の生活圏の只中にあるこの試練場は、興味を引く対象ではあっても、彼女の目的ではないのだろう、そんな気もする。
僕がそう言うと、アドニスは直接には納得しかねるようだったが、その赤と橙の編み髪をかきあげて言う。
「そのことは理解しました。それとは別に聞きたいことがあります。私たちの捕縛命令は出ていますか」
「はい、出ています」
リリコットは、なぜかすごく従順な様子で即答する。
「秘術探索者ギルドが賞金をかけてます。お尋ね者になってますよ。でも風紀騎士団としては見かければ対処する、特に捜索はしない、という方針でした。試練場はあまりにも広すぎるので」
そこで、僕ははたと思い至る。
「……ねえ、帝鳳の出現から試練場への突入まで、数日開いてると思うけど、それはなぜ?」
「えーと、ギルドと騎士団で折衝があったことと、モンスターの襲来をしばらく警戒していたこと、あと団長が装備を修復する時間ですとか、南方に遠征に出てた騎士団メンバーを呼び戻したりとか……」
……。
僕らが数日をかけてこの第三層に到達し、その直後にヒラティアが来た。
これは偶然だろうか?
あるいは、ヒラティアは僕たちをやり過ごすために日程を調節したのかも知れない、そんなことをふと思う。
そう、あの石の巨人、あれが一斉に敵対したのはヒラティアの影響だろう。
僕らが第三層にいる時期を見計らって追いつく、そして巨人を敵対させる。
僕らは巨人の放つ閃光を逃れるために上空に向かうだろう。そこを間髪入れず全ての巨人を打倒し、さっさと四層に向かうことで僕らをやり過ごす……。
……考えすぎだろうか。ヒラティアは僕たちのために行動してくれている、そう思い込みたいだけかも知れない。
「ハティ様、ということは、ヒラティアさんと私たちの目的は同じということですね」
ヴィヴィアンがどこか嬉しそうに言う。彼女もヒラティアと敵対したくはないのだろう。
「……」
そうだろうか?
風紀騎士団は第五層までの全てを破壊する、それには刻名魔印の製造機も含まれている。他に貴重な古代の遺物も。
――それでいいのか?
僕は、その漠然と湧き上がる感情の由来が分からず、わずかに混乱する。
勿体無い? 人類の進歩を足踏みさせる? 僕自信がその遺物に興味がある?
漠然とした危機感。
そうだ、この試練場に入ってから、僕もずっと感じていたこと。大陸北方にわだかまる黒雲のような不安。
僕は何かに気づきかけている。何か重要なこと……。大陸北方において、人類にとって重要な何か……。
「ちょっと待ってください」
アドニスが言う。
「ギルドの代表と、風紀騎士団メンバーの折衝があった、と言いましたね。ギルドの代表と言うと、ギルド長のダズ氏、他にウィルベレッタ、ホルゴー、トマスらギルドの幹部は全員いましたか?」
「ええと、はい、幹部会メンバーである12人と、ギルド長は全員いましたが。私も騎士団側としてその場にいたので覚えてます」
リリコットはあっさりとそう答え、目隠しのままでキョトンと疑問の顔になる。
「そ、それが何か……」
「では……第二層で跳躍門を使っていたのは誰なのです? 私は、ギルドの人間が先行しているものだと……」
そうか、と僕は思い至る。
第二層と第三層を繋ぐ穴、その場には跳躍門が出ていた。第二層、入口側の門は破壊しているから、僕らが来るより前に使用されたとしか思えない。
誰かが先行している。
僕たちより、ヒラティアよりも先にいる。
その目的は、第五層までの遺物か。
あるいは、第六層、第七層を目指しているのか――




