死の風のごとく吹き荒れる
尻を出す、という提案を彼女が理解すると同時に、顔を真っ赤に染める。
「あ、あの術ですか!?」
「そう、竜の尾で雨を降らせれば光条が拡散する。あの豪雨なら火線や冷気も防げるはず。ヴィヴィアンは空を飛んでるから集中を乱したくないんだ。アドニスも翼の力場に入って」
蟻の群れのような眼下の景色、それが白く漂白されていく。巨人たちがその窓に光を蓄えているのだ。その数、およそ一万体。
「はっ……、早く!」
「し、仕方ありません……」
アドニスが僕らの側に寄り、その乗馬ズボンをぐいと下に降ろして。
下方で閃光の奔流。
「!? しまっ……」
遅かった、と思ったが違う。光の筋がある一方向に収束して伸びている。その方向にいたであろう巨人たちを蒸発させつつ光の河が突っ走る。
「何……? 同士討ち?」
熱線が、炎の渦が下方で入り乱れている。多くの巨人たちを巻き込みながらの怒濤の砲炎、さらに遠方の巨人たちもある一点を狙うように十字砲火を浴びせる。かなり俯瞰した視点で見れば分かるが、巨人たちの集中砲火はある一点に集約しており、その一点が高速で移動している。
「誰かがいます!」
ヴィヴィアンが指で示す。それは点のようにしか見えない黒い影。
残像を曳いて駆ける何かが炎と光を置き去りにし、巨人の一体に取り付くと同時に脚部である円柱を切断する。
「誰かが戦っている……使い魔を飛ばしましょう、音と光を中継してくれます」
アドニスが指を伸ばすと、その真珠色の爪が浮き上がり、半透明の虫のような使い魔に変わる。あれは確か透倪蟲だ。術者の力量によって中継距離が伸び、より小さくなっていく偵察用の虫だが、爪ほどの大きさにできるとは、さすがはアドニスというべきか。
僕らの目の前で空間がゆがみ、円形の硝子窓のような質感になる、やや俯瞰視点で風景が浮かび、その人物が出現する。
「あれは、ヒラティア!」
まさしくそれは彼女だった。雪花鋼の白い鎧に黒錬鋼の剣。どちらも完璧に修復されている。それが大地を疾走し、跳躍して巨人の膝と思しき球体に取り付くと、円柱がバラバラに切断される。背後から無数の光条が追いかけているが、彼女の影すら撃ち抜けない。
「石の巨人が敵対したのは彼女の影響のようですね。第三層にいる巨人は、すべて感覚と意識が繋がっているのでしょう」
アドニスが言う。下方のヒラティアまでは約1200メーキ、さすがにこの位置では気づけないだろう。
彼女は僕たちを探しに来たのだろうか? 僕らがもっと先に行っていると読んで、この階層の強行突破を?
「いや……そうだとしても、何かおかしい」
僕が言う。この階層の石巨人は大爛熟期に造られたもの、どれ一体とっても魔法技術の結晶だ、数が多いとはいえ無闇に破壊していいものではない。
「それに帝鳳の羽の落下地点から考えて、あっちは第四層の入り口じゃないはず」
暴れ方がまるで無軌道だ。次々と巨人に飛びついてはその脚部を斬って倒壊させる。手当たり次第と言うべきか。
ふいに、ヒラティアが歩を止める。
「! 何を」
ヒラティアが体を白く光らせる。そこへ四方八方から炎の波が押し寄せ、周辺一帯を火炎の海が埋め尽くす。
それが止んだとき、ヒラティアはその場に悠然と立ち尽くし、炎など物ともしないと宣言するかのように胸をそらす。僕は驚愕に目を見開く。
「まさか……錬武秘儀は肉体強化の魔法のはず、炎に耐えるなんて」
彼女の装備品が炎に侵されないのは当然として、その肌に焦げ目一つついていない。これはあのデパートでの現象と同じ、彼女の無尽蔵な魔力のために、術の本質が変わっているのだ。物理的な頑健さから、熱や光を受け付けない不可侵の肉体へ。
ヒラティアが黒の大剣を持ちかえる。全体の長さのほぼ中心。刀身の付け根辺りに手掌を当てると、剣がぐるぐると回転を始めた。
「ハティ様、あれは?」
「念動力系の魔法だね……剣を魔力で回転させているんだ」
だが、その速度が尋常ではない。
刀身はほぼ見えなくなり、ヒラティアの足元で土煙が舞う。回転の速度はいや増していき、ひゅんひゅんと風を切る音へ、そして足元で土煙が舞い、やがてバリバリと稲妻のような音が僕らの高さまで響く。剣の回転運動が音速を超え、空気が持続的に切り裂かれている音だろうか。そしてさらに加速。
「あ、アドニス、上昇しよう」
「え……ですが、すでに千メーキ以上……」
アドニスはそう言いかけて。
僕の目を見て、さっと表情を青ざめさせると、ヴィヴィアンの力場を抜け出して一気に上昇していく。
「ヴィヴィアン、僕らも上へ」
「はい」
さらに上昇していく。蟻の群れのようだった巨人たちが、灰色の土か布目のように見えるほど遠ざかる。使い魔、透倪蟲の視界を映す丸窓も一緒に上昇し、その窓の中でヒラティアの声なき声がほとばしる。
「祇技の参!」
回転する剣が地に触れる刹那、彼女の姿が消失する。
「翔翔!!」
その剣速はおよそ人間の視覚的限界を超えている。だから推測に過ぎないことだが、ヒラティアの回転する剣が車輪の要領で彼女を加速させ、一体の巨人へ駆け寄り、駆け上り、その石造りの構造体を剣筋が縦横無尽に突っ走り、城のような巨体を賽の目状に解体する。
その太刀筋が範囲を持っていた。周辺の石巨人が5・6体まとめて細切れになり、砂の兵団が風に薙ぎ散らされるがごとく、それが石でできていたことが信じられないほどに容易く細片と化す。
その破壊が点から線へ、そして面的破壊となる。神の手のひらが土を均していくような眺め、群れ集う石巨人はヒラティアを認識できているのか、その升目状の窓に光を宿す暇もなく片端から粉砕され、霧が散るように一瞬で形象を失っていく。衝撃波が遥か高空まで届く気配がある。
それは死の影。
人間を翔んで多くの命を刈り取るという死神のごとく、まったく不可視の存在となったヒラティアが巨人の間を飛び回り、砂の城のように吹き散らす。
「す、すさまじい……」
数千、あるいは数万はいたはずの石巨人が恐ろしい勢いで駆逐されている。その剣技の前に数は意味をなさず、また生半可な頑健さも意味を持たない。その風が吹くとき、幅広い範囲ですべての形あるものが消えていく。
いつの間にか眼下に小山のようなものができている。周辺から次々と押し寄せる巨人が斬りさいなまれ、礫となって積もっているのだ。ヒラティアの影も形もまったく見えない。巨人がダース単位で崩れ去っていくことでかろうじて位置を推測するだけだ。
やがて。
ほんの数分の蹂躙、巨人の数を恐れるべきか、それだけの時間あの速度で動き続けられるヒラティアに驚愕すべきか、ヒラティアは瓦礫の山で頂に立ち、そこに黒剣を突き立てていた。
「まさか……あの数をすべて斬ったなどと」
アドニスが口元を震わせている。無理もない、あの石巨人は紛れもない魔導師級、どうやら戦闘を目的としない、量産された存在のようだが、それでも神話級に片足を突っ込んでいる強さだった。それを数千体、一人で斬り刻むとは。
そこへ、空を飛んで迫る影がある。
「あれは……風紀騎士団メンバーのようですね」
右腕を赤いリボンで飾っている。男女のペアである。その後からも何人か来ている。
ヒラティアが何やら指示をしていた、使い魔と距離があるので声までは届かないが、僕はその唇を読む。
「ええと、『大きめのはだいたい倒したよ、三人ぐらいはこの階層に残って、小さいのがいないか探して。一体も残さないようにね。他の人は第四層に行くよー』だって」
「読唇術ですか。その口ぶりからすると、風紀騎士団はこの階層の石巨人を全滅させるつもりのようですね、しかもヒラティアさん自身は第四層を目指すと」
僕は首をかしげる。
どういうことだろう。あの巨人は人類の大事な財産と言えるはずだ、なぜ壊す必要がある?
だが、今はそれより重要なことがある、ヒラティアが僕たちを追い越して四層に行こうとしている、ということだ。
「古代機械の前に陣取られたら手を出せなくなる、急ごう」
「……いえ、違います」
僕の焦りの入った発言を、アドニスがぴしゃりと押し止める。
「今から風紀騎士団を追い越すのは不可能です。それに、騎士団は20人以上来ています。メンバーの大半です。あれだけの兵力を動かして、目的が我々だけとは考えにくい」
確かに、騎士団はあとから続々とやってきている。まさかヒラティア並ということはないだろうが、一人一人が一騎当千の強者という触れ込みである。戦うのは分が悪い。
「彼らの目的を知るべきです。知ればつけ込める機会も生まれるはず」
「目的……でもどうすれば」
「使い魔を増やして慎重に見張らせましょう、あなたが口の動きを読んで会話を分析して……」
「あの、ハティ様」
ぴょん、とヴィヴィアンが控えめに手を挙げる。
「どうしたの?」
「いえ、騎士団の皆さん、だいぶ遅れてる方もいますね」
確かに、ヒラティアの元へは一分に数人というペースでメンバーが集まってきているが、なんだかポツポツという印象を受ける。相応の兵力が集まったのか、ヒラティアは十数人が集まった時点でとっとと出発したようだ。
「そうだね……だいぶ隊列が伸びてる、急いでるのかな、この階層のレベルだとヒラティア一人の方が戦いやすいってのもあるかも」
「では一番最後には、かなり遅れてる方がいますよね?」
「? まあ、多分そうだね」
「その方を捕まえて話を聞きましょう」
…………
僕とアドニスは面食らって固まる。
ヴィヴィアンはどうも思考が直線的というか、規範にとらわれない自由な発想の持ち主というか、そういう部分があるなあと思う。
しかしそれが一番手っ取り早いし、確実という気もする。
「ですが、騎士団はどれ一人とっても相当の実力者ですよ、他のメンバーに気づかれずに拘束するとなると私の魔法では目立ちすぎます」
「竜幻装を使おうか、でも拘束に使える術となると……」
――
「ん」
何だろう、いま、イメージが浮かんだ。
僕の術により生み出される竜、その影が戦士の頭上をよぎると、影に囚われた戦士は硬直し、動けなくなるというイメージ。
「……竜の踏む影」
「? そういう術があるのですか?」
アドニスが言う、いや、ヴィヴィアンから説明を受けたことはない。
そのヴィヴィアンは体を反転させ、はたと思い至ったように目を見開き、僕の目を見つめる。顔がものすごく近い。
「ハティ様! 術を思いついたのですね?」
「お、思いつくって、術ってそういうものじゃなくない?」
「いいえ! かつての歴代の術者は竜と深く通じ合い、その持てる力を自由に引き出せたと聞きます。竜の力は無限なのです。一切の不可能はなく、思い描くことのすべてが可能なのです。さあハティ様、私はどの部分を差し出せば宜しいのでしょう」
「ええとね……」
その術のイメージと同時に、キスをするべき部位も浮かんでいる。直感というか、すでに知っていること、遠い昔のことを思い出すようなイメージである。僕はおずおずと発言する。
「……足の裏」
僕がそう言うと。
「……」
ヴィヴィアンはその褐色の顔を、見た目にわかるほど真っ赤に染める。
人にはツボというものがある。
まったく苦手な食べ物などないと自負している人が、なぜかトマトだけは無理だったりするアレである。
ヴィヴィアンは笑顔のままでひきつって固まり、耳から湯気を上げながら瞳を震わせる。
「…………わ、わか、わかりまし、まし……」
そんな恥ずかしいと思わなかった、ごめんなさい。




