歩き続ける昼と夜
あきれてものが言えない、という体験があるだろうか。
七つの試練場の第三層、それはそのような場所だった。
目の前に神殿の柱のような石柱が降り注ぐ。岩のように固く踏みしめられた地面にさらにずしりと沈む。
上を降りあおげば、その石柱は平屋の屋根ほどの高さで球体に連結されており、その球体からさらに斜め上に円柱が伸びている。
あの球体は、一言で言うなら「膝」である。
球体間接により石の柱が足となり、小さな地揺れを起こしつつ歩いている。その上には立方体に近い構造物。四角い窓が規則正しく空いていて、側面は升目状に見える。石の籠のような、虫かごのような、そんな構造物だ。
「あれは何なんでしょう?」
ヴィヴィアンが疑問を述べるが、誰も答えられない。というか大爛熟期の魔法使いなら答えられるかも疑わしい。そのぐらい奇妙奇天烈な存在である。
それらが、見える範囲だけで数十体。
それは石の籠を運ぶ足なのか、小さなものでも『花と太陽』亭ほど、大きなものでは高すぎて全体が見えない。巨大なゴーレムなのか使い魔なのか、ともかく籠を乗せた足だけの巨人が右へ左へと歩き回っている。
「第三層には跳躍門が無いようですね、というよりこの階層、なかなか巧みにできています」
アドニスがそう言って、僕などはホントかなあという視線を向ける。
「あの巨人の歩みには規則性が感じられません。この階層に何か人工的なものを作っても、あの足が踏み潰してしまうのでしょう。しかも巨人が動き回るために方位も距離感も狂わされる。第三層の位置が分かっていたとしても、よほど慎重に行かないと辿り着けません」
そう言われると確かに厄介ではある。この地をあてどなく探索して第四層への入り口を見つけた人物、きっと鋼の忍耐を持った偉人だったのだろう。
「あちらに帝鳳の羽がありますから、方角の検討はつきます、行きましょう」
「では、そちらへ向かう巨人さんに乗せてもらうのはどうでしょう?」
ヴィヴィアンの提案に、僕とアドニスははたと顔を見合わせる。
「いや、きっと揺れがひどくて乗れたもんじゃないはず……」
そんなことはなかった。
確かに振動は感じるけど、注意しないと分からない程度である。構造物がまったく揺れない歩き方をしているようだ。
空を飛び、窓とおぼしき四角い穴から入ると、一流ホテルのような豪華な内装だった。タイル張りの床には赤い絨毯が引かれ、無数にある部屋には大きなベッドとソファと鏡台、トイレはなんと水洗である。
「ということは、この移動する巨人は魔法使いたちの居住棟だったのでしょうか」
あちこちを見回ってきたアドニスが、まとめるように言う。
僕はぽつねんと呟く。
「……なんで動く理由が?」
「さあ……?」
その日の気分で違う場所に住めるから?
渡り鳥のように冬場は暖かい場所に移動した?
高床倉庫のように地面付近にいる獣を避けるため?
うーん、どうもピンと来ない。
僕とアドニスはしばらく議論をして、ヴィヴィアンはじっと聞いていたが、ふいに手を挙げて言う。
「あのう、大昔の魔法使いは、建物に足を生やして動かすことができたわけですよね?」
「うん、まあ、そうだね」
「じゃあ、動く建物と動かない建物が選べたわけで……動いていた方がお得ではないですか?」
「…………」
「…………」
僕らは沈黙する。
まさか、とは言いにくい。
大爛熟期の魔法使いについて推測はできても、何かを断定的に言うことはタブーなのだ。勿論、今のヴィヴィアンの発言が正しいとも限らない。
しかしともかく、巨人が入り乱れる世界で下を通っていくのは危険だったこともあり、僕たちは適当な部屋を自室として、休みながら移動することにした。
「もう四日になるけど、地上からの追っ手は来てるのかな」
巨人が歩き続けること小一時間、僕らは保存食をかじりながら話す。僕の背負っていた巨大なザックは、なんだかんだで捨てる機会を逸していた。そのお陰で食料には助かっているけど、乗り物に頼れない状況になったら捨ててしまおうと思っている。
アドニスが干し肉をかじりながら応じる。
「来ていないはずはありません。我々が距離的なアドバンテージを持てたのは第一層の砂漠だけです。砂漠をおよそ800ダムミーキ、魔法使いが相手では、いつ追い付かれても不思議ではありません」
まだ女性陣は下着姿のままだが、そうしてレースの下着を着て干し肉をかじるアドニスというのは不思議な美しさがある。美と野性味は表裏一体なのだろう。
いつ追い付かれてもおかしくない、確かにそうだ。
向こうには第五層までの知見もあるし、第二層までは魔物も大したことはなかった。
しかし、である。
あまりにも現れるのが遅い、という感覚もある。
何しろ向こうにはヒラティアがいる。かの武術科筆頭、学園始まって以来の才覚と言われ、肉体的な魔術を極め尽くしたと言われる彼女が、まだ追い付けていないなんて。
それとも他の風紀騎士団メンバーと来ているのだろうか。他のメンバーの足に合わせているから行軍が遅い? なんだかそれもしっくり来ない。
僕は漠然と予感する。
おそらく僕たちの誰も、元の平穏な学生に、あるいは市井の浪人生には戻れないだろう、という予感。首尾よく古代機械を破壊できたとして、僕たちはお尋ね者になってしまうだろう。魔法で顔を変えて、新しい名前を得なければいけない。
アドニスはどうなるのだろうか。アウレリア家の後継者であるはずの彼女は、なぜこの旅に同行したのだろう。
僕らはなぜ進むのか、それは僕たちの意思か、あるいは僕たちが持つ術の意思か。
「あえて言うならば、危機感です」
ふいにアドニスが発言して、僕は驚く。疑問が顔に出ていたのだろうか。
「大陸北方を覆う雨雲のような、漠然とした不安です。私にもその正体は分かりません。その衝動が私たちを突き動かす。こうしている間に、学都ワイアームは廃墟となり、建物と人は蹂躙され、文明の全ては食い荒らされて南方に持ち去られる、そんなイメージがあるのです」
……持ち去られる?
それはまあ、南方からやってきたモンスターは、街を滅ぼしてまた南方に帰るのだろうから別にそういう表現でも……。
「アドニスさん」
ヴィヴィアンが発言する。この石の籠のような空間の内部で、彼女の雰囲気は暗がりに溶けるように静かだった。いつも何かを楽しむような、明るく陽気な印象のヴィヴィアンは、そうして物静かに控えていると深窓の令嬢のような気高さ、あるいは経験を経た占い師のような落ち着きも感じられる。
「あなたは情熱的な方ですね」
それだけ言って、また黙る。
(情熱的……)
確かに、そうと言えるかも知れない。
彼女が従っているのは自分自身の抱く予感だ。根拠が己でも分からず、正しい形も掴めない漠たる予感。そのためだけに家の名を擲つ覚悟で旅をしている。
アドニスは言った、魔法には意思があると。
アウレリア家に伝わる秘法である雷火劫、つまり彼女を動かしているのはその術の意思なのだろうか。その術を受け継いだ自分には役割があり、この旅はその役割を果たす旅なのだと。
しかし……そうは言ってもあまりにも漠然としている。
彼女が背負う役割とは何なのか、贅鋼骸に変化したという、彼女の兄が関係しているのか……。
いつも凛として知的な印象のアドニスに、燃えるような情熱的な一面がある、なんだかそれは不思議な感覚だった。アドニスもヴィヴィアンも、いくつもの人格が折り重なって個性を形成している。それが女性の持つ多面性、奥深さというものかも知れない。
そんなことを考えていると次第に眠気が来る。船よりも穏やかな揺れ、下方から遠く響く振動。そんなものを感じていると意識が揺さぶられる気がする。僕はこっくりと船をこぎだして、ある瞬間にがくりと視界が横倒しに。
「!?」
地面がいきなり45度以上に傾き、体が斜め下方に投げ出される。踏ん張りが効かずに横倒しになったまま床を滑り、視界の端にヴィヴィアンの褐色の肌が。
「ヴィヴィアン、背中を!」
「はい!」
転がりながらヴィヴィアンはマントを脱ぎ捨て、僕はその体を引き寄せながら背中に口づける。
「竜の翼、幻装!」
瞬間、体が宙に浮き上がり、ヴィヴィアンは下方に向けて加速、滑空。翼膜の張った翼をすぼめつつ窓を潜り抜ける。そして反転して上昇。
オオオオオオ オオ オ
そんな音が聞こえる。風のうなりとも地のうなりとも違う濁った音。眼下に群れる石の巨人の叫びなのだと分かる。
巨人の一体が升目状の窓を僕らに向ける、その奥にわだかまる闇にふいに白く光が灯り。それが急激に光量を増して網膜を焼くほどの強さに。
「! 上昇して!」
「はい!」
視界が残像によってぶれる。
急激な虚血感、血と内蔵が遅れてついてくるほどの上昇。僕らのいた空間を数十の光条が射抜く、足の先に空気の乾燥と熱気を感じる。推測だが一閃で虎をも蒸発させるほどの威力。
眼下に群れる巨人が一斉に窓を光らせる。黄色、赤、あるいは白閃く。
「じょっ、冗談でしょ」
そして七色の槍が天を突く。赤熱する火線、風景を白く染め上げる閃光。収束された電光。氷の粒が混ざった青い光まである。おそらく魔術的な冷気、体を通りすぎれば細胞の一片まで凍りつき、瞬時に砕けるだろう。僕らはすんでのところでそれを避け、さらに上昇。
「魔法!?」
「あれらは大爛熟期の魔法生物です! 魔法的な仕掛けでしょう!」
アドニスも外に出ていた。下着姿のままだったが、その体を手で覆うと、そこに革のチョッキと乗馬ズボンが出現する。
「急に敵対した? なぜ……?」
下方の窓が一斉に光る。先程よりも多い。しかも遠方から巨人がどんどんと集まっている。それらが格子状の窓を光らせて、霊的な力を瞬時に高めるかに見える。
今度は距離が遠すぎる、巨人の窓の傾きを頼りに避けられない。
「断臥臥れ!!」
アドニスが叫ぶ。僕らの下方に緑の光、亀の甲羅のような半球形の防壁が生まれ、表面を無数の呪文が高速で走行している。数千に達する光条、熱線、冷気の光が弾かれて斜め上方に逸れる。
「ぐうっ……!」
甲羅が端の方から砕けて崩壊していく。アドニスが全魔力をつぎ込んで形状を維持、さらに皿を重ねるように高速で貼り直していく。そのような攻防が十数秒。
光の奔流が止んだとき、アドニスが額にびっしりと汗の玉を貼り付けて息をつく。
「なんという熱量……あの防壁を七枚も砕くとは」
眼窩はまさに蟻の王国のごとく。千メーキ近い高度まで上昇して初めて分かるこの第三層の広大さ、そこに蠢く巨人たちの底知れぬ数。それらは遠方から凄まじい速度、おそらく燕が飛ぶほどの速度で地を駆けて集結しつつある――。
僕はヴィヴィアンの肩を掴んだままで言う。
「ヴィヴィアン、何か防御の術はある?」
「竜の鱗というものを教わっています。ですが、あれは私一人を守る術です。おそらく全員は守りきれません」
鱗ならそうだろう。それにあの閃光の量、これ以上に規模が高まれば直撃を防げたとしても、温度が高まって蒸し焼きになるか、酸素を食い尽くされて窒息するかだ。アドニスにも今の防御が何度もできるかどうか。
しかし僕にはアイデアがあった、あれが収束された光による攻撃ならば。
「アドニス!」
「な、何ですか?」
「お尻だして!」
この究極に切羽詰まった状況で、三秒も間が空いた。




