かの名にまさる最強はなく
「うっ……」
そこは、肌色で埋まっていた。
一辺10メーキほどのやや広めの部屋。大量の人間が裸体となって詰め込まれている。
誰もが上の空のような表情である。棒立ちになっていたり、膝を立てて座っていたり、あるいは地面に散乱した服をゆっくりと畳んでいる。だらんと弛緩したまま寝そべっている者もいる。その目には生気がないが、病的というわけではない。何の感情もない茫洋たる目だ。
それはすべて女性、肌の色も髪の色も、身長も体格も微妙に違うが、ほぼ全員が目を引くような美形であり、多くはグラマラスな肢体をしていて、しかも肌にホクロや染みなど一切ない完璧な造形。そのことで彼女らが人間ではないと分かる。
ここは、操幽霧の倉庫だ。
よく見れば大量の衣服と人間で隠れてはいるが、足元には部屋いっぱいの広さで魔法陣が描かれている。紫色の染料で描かれた複雑な陣形、霧に変化した使い魔はこの場所に戻ってくるのか。
いやしかし、あまりにも数が多すぎる。ほとんど部屋を埋め尽くすほど、100人はいる。しかも、魔法陣に戻ったらすぐまた衣服を身につけて売り場に戻るはずじゃないのか?
そして僕は気づく。そうか、屋上からのあの衝撃、あれでデパート全体に一種の非常事態が発令されたのだ。すべての使い魔が霧に戻され、この待機場所のようなところに戻ったわけか。確かに僕の入ってきた方とは反対側に、わずかに扉が覗いている。この部屋は屋上へと続く通路の、その中ぶくれのような位置にあるのか。
し、しかし、この状況は。
がこん、と背後で響く音がする。
あの黒いスケルトンが階下に降りてきたのか、それともどこかで石版でも崩落したか、僕は部屋の中に入るしか選択肢がなかった。
まさに立錐の余地もないほどの肌色の群れ。
彼女たちに反応が乏しいだけに逆に妙な背徳感が沸き上がってくる。しかし僕を避けたりはしないので、まさにこの部屋は肉の海か肌色の藪か。僕は奥歯をカタカタ鳴らすほど動揺して何とか彼女らをかき分けて進む。
か、考えるな。
何も変なコト考えてはいけない。
僕の体にむにょんという悪の感触が伝わるがそれを必死に意識から追い出しつつ進む。なんとかここを抜けて階下に降りて、ヒラティアを見つけるか、あるいはこの際とにかく女性を見つけて……。
……。
ん? 女性。
僕はふと横を見る。鼻が触れ合いそうな距離に使い魔がいた。それは大人しめの顔をした美女で、感情の乏しい目でぼおっと僕を見ている。緊急的に魔法陣に戻されているためか、どこか退廃的な脱力が宿っている。
「ちょ、ちょっと失礼」
僕は首の力だけでその使い魔の肩に唇をつける。
人間と寸分違わぬ肌の質感。霧の使い魔なためか部屋の熱気のためか、わずかに湿ったように感じる白い肌。
――だが、何も起こらない。
頭の中に閃光がひらめくこともないし、言葉も浮かんでこない、それに使い魔にも何も変化がない。
「――くっ」
だめか、やはり使い魔では竜幻装は発動しない――。
その使い魔はきょとんと首を傾げた後、歯切れのよい声でこう言う。
「お客様、私どもデパート従属の使い魔への過度の接触や性的ハラスメント行為は市政法48条において禁止されております。どうかご遠慮いただきますよう、よろしくお願い申し上げます」
うう、冷静に怒られてしまった。
とにかくこれ以上こんな部屋にはいられない、なんとか脱出…を……。
がしっ
と、手首を掴まれた。
「えっ?」
僕の手首はしかし、完全に肉の林の中に埋まってしまっているので掴まれた、という感覚しか分からない。
「使い魔への痴漢行為が確認されました」
「確認されました」
「市政法48条は使い魔への暴行、嗜虐を禁じており」
「これより市政法に基づき連行を」
「セクハラ行為が確認されました」
僕の周囲の使い魔が一斉に喋り出す。
「なっ、なに??」
まさかこれは、さっきのキス……だけじゃなくて、もしかして僕が素手で彼女たちに触ったから!?
「いや!! だって不可抗力だよ! こんなに密集してたら絶対に触るし!」
「拘束いたします」
「連行させていただきます」
「市政法に基づき拘束を」
内蔵されている会話のパターンが個体によって異なるのか、同じような内容をバラバラに言いながらその使い魔たちが行動を始める。部屋のすべての使い魔たちが僕の方へと密集してきて、腕と言わず足と言わずにしがみつくように拘束してくる。う、埋まる。
一人一人の視点だと僕を取り押さえるか、どこかへ連行しようとしているらしいが、力の加わる方向がバラバラなので僕は結果的に一箇所に固定されている。あらゆる方向に引っ張られ、押さえられて関節があちこち悲鳴をあげる。肺が圧迫されて息もできない、開放と圧力が同時にかかって僕の五体をすみやかにバラバラにしようとしてくる。
じ、陣を。
足元の魔法陣を乱せば、この使い魔は消えるはず。
僕は足元に散らばる衣服をかき分け、つま先の感覚だけで魔法陣を探す、ちらりと見えた印象ではおそらく石の床に顔料で書かれているはず、床との摩擦を使って靴を脱ぎ、線の感触を確かめてつま先で擦る。
どこかで轟音が響くのを感じる。さっきの贅鋼骸が追ってきたのか!?
僕は魔法陣の線を見つけ、無理な体勢のままでその顔料につま先をこすりつける、幸運にもその線は顔料がかなり古くなっており、床への浸潤もなかったので少しづつ薄片となって剥がれていく。
さらに前後から圧迫が強まる。下腹部で妙なところを掴んでいる使い魔もいて思考が安定しない、僕は目を回しながら体中の力を総動員して必死に足を動かし、そしてようやく線の一本が完全に断裂した瞬間。
ぶわり、と室内に風が吹くような感覚。
すべての少女が、使い魔たちがその形象を乱され、霧へと変換されて拡散する。体積が瞬時に膨張するためか、軽く破裂するような感覚が僕の頬を打つ。見目麗しき少女も妖艶な美女もすべて霧となって拡散し、足元を埋める衣服や下着が一斉に宙を舞う。
「ぶはあっ!」
肺から息が開放される。全身に負荷をかけるような状況だったためにひどく汗をかいていた、腿がつるようにこわばってるし全身が筋肉痛みたいに痛い。僕は四つん這いになって荒く息をつき、その僕の上に衣服が降り注いでくる。薄手で小さな衣服は長く滞空していた。
そんな僕の顔に光が差し込む。
「ハティ様!」
「貧相男! ここにいましたか」
と、この倉庫の扉が大きく開かれ、アドニスと、それに並んでヴィヴィアンが登場する。
「ヴィ、ヴィヴィアン、よかった、よくここが……」
「屋上からものすごい音が聞こえたもので。よかった、ご無事でしたか」
「あなた方もデパートに行くとは聞いてましたが、ヒラティアさんはどこです? それにまた何かの魔物……が……」
と、言いかけたアドニスが急に硬直し、
その両頬を真っ赤に染めてわなわなと震えだし、手に握る杖に力を込める。
「? アドニス?」
その僕の頭に、ぱさりと何かが落ちる。
というか僕の腕にも背中にも、頭上から降り注いだ布が積もっている。
それは向こうが透けそうなほど薄手のパンツで、
僕は体中にそれを積もらせてハアハア荒い息をついてた状態で、
「いや違う誤解っ」
「天誅!!!」
どごおん、と頭上から降り注ぐ杖の一撃で、周囲のパンツがふわりと舞った。
※
「ひ、ヒラティアは見なかった?」
まだぐわんぐわんと揺れる頭で、僕は走りながらそう尋ねる。どうにか誤解は解いたものの、まだつんとした素振りのままでアドニスが答える。
「見ていません。なぜ彼女と離れたのですか。どうせあなたが変態的な行為をして泣かせたのでしょう」
う、当たって……いや当たってないけど結果は正しい。
「それよりも贅鋼骸が出たのですか」
「う、うん、ちょっと知り合い……の魔法使いと一緒にいたんだけど、瞬間移動で屋上に逃げたら、すぐに後を追ってきたんだ。その人は屋上から投げ飛ばされて……死んでないといいけど」
「瞬間移動の後を追ってきた……? つまり魔法を使ったということですか。魔導師級ということですか」
魔導師級、
それはモンスターと呼ばれる異形の中で、最も脅威とされるランクである。
大雑把な基準ではあるが、モンスターの脅威度は四段階にランク付けされる。民話級、伝承級、神話級、そして魔導師級だ。
人間レベルではまったく対処不能なモンスターが神話級などと呼ばれるが、その中のさらにごく一握り、魔法を使う存在が確認されている。魔導師級とはすなわち、魔法を使うモンスターということだ。正確には強さのランク付けではないが、これまでの記録によれば、魔導師級はいずれも神話級を超える能力を示し、南方を旅する秘術探索者にとって最大の驚異とされている。
南方でもかなり珍しい存在であり、大迷宮の最奥であるとか、宝石の花が咲く森、果ても分からぬ無限遠の滝、そのような魔術的にかなり重要な場所にいることが多い。
もっとも人類が魔導師級と接触したことはさほど多くはなく、討伐例となると片手で数えられるほどしかない。魔導師級の使う魔法にはまさに大爛熟期全盛のものもあり、現行の人類とは技術レベルも規模も桁違いな魔法を駆使する個体もいるという。まさに伝説のさらに上、人間の想像力すら超える存在なのだ。
あの贅鋼骸は希少種ではあるが、魔法を使ったなどという遭遇例は聞かない、ということは希少種の中でもさらに特異な個体ということか……。
アドニスが口を開く。
「ともかく、いま一般客が避難しています。それが完了するまで少し逃げましょう」
「ハティ様、わたしのそばに居てください、どうか手を放さずに」
「わ、分かったよ」
アドニスが先行し、僕とヴィヴィアンが並んでそれに続く。
黒い骨をなるべく引き付けておくため、僕たちは6階の服飾フロアを横断するように走る。周囲には服のかけられた鉄製のポールなどが並んでいる。服が溢れているのに人間だけがいない景色は、どことなく不気味さを覚える。
そしてそれが来た。
強烈な震動。離れた場所で、唐突に天井の一部が崩落する。上の階にあった大量の衣服や陳列棚などが建材とともに降り注ぎ、もうもうたる粉塵が波のように6階のフロアを駆け抜けて、安定の悪いものを根こそぎなぎ倒していく。
そして出現する黒い影、闇色の骸骨。
「……出た!」
「仕方ありません。ここで迎え撃ちましょう。ヴィヴィアン、あなたはそこの貧相男と一緒にいなさい」
「ハティ様、私の手を」
ヴィヴィアンが僕の手を取り、二人でアドニスから少し距離をとる。ディグスケルトンがどちらを攻撃しても、もう片方がそれを狙い撃つ格好だ。
黒い骸骨は僕らを存在しない目で見て、そしてどちらともつかぬ、僕らの中間点を目指して歩いてくる。
……僕らの両方を警戒しているのか?
だが、それは違った。僕らの間を割って踊り出る影。
それが黒い躯と衝突する。がぎいん、と金属同士を撃ちあうような音が弾ける。
「ヒラティア!」
それは、赤い花の散らばる雪原のような白雪鋼の鎧。闇を打ち固めて鍛えたような黒錬鋼の剣。完全武装に身を固めたヒラティアが、その黒い骨に一撃を与えた瞬間だった。
「ごめんなさいハティ! 離れちゃいけなかったのに!」
「ぼ、僕のことはいい! それより敵に集中して! 魔導師級だ!」
「うん!」
この学都ワイアームにおいて最強と謳われ、その才気の冴えは称える言葉もないと言わしめる彼女。勇猛無尽のヒラティア・ロンシエラが黒い骨と対峙する。
「えーいっ」
やや気の抜けた掛け声、しかしその全身から練武秘儀の白光が上がり、切っ先は一瞬で音速を越える。
ぎいんっ。
金属音を爆風が包む。周囲の服飾店で商品が吹き飛び。看板と飾り物がちぎれ飛び、薄い間仕切りの壁に亀裂が入る。斬撃の衝撃波が周囲を巨大なだんびらとなって荒れ狂う。
「うわっ!?」
僕の全身を暴風が打ち付け、鼓膜を轟音が圧す。僕たちは慌てて後退し、その周囲を台風のような風が吹きすさぶ。
斬撃がまったく黙視できない速度に達する。人の背丈ほどある黒剣が完全に消失し、複数の金属音が折り重なって聞こえる。ヒラティアの足元で石の床が砕け、素早く踏み足を変えつつ無数の剣を叩き込む。その一撃は鉄鉱石の塊すら切断する切れ味、それが無数に。止むことなく。
「うーん、えいっ」
ヒラティアの靴が黒骸を打つ。剣を後方に振って重心を後退させながらの直蹴り。黒い影が地面から離れ。どこかの店舗を崩壊させながら、あらゆるものを薙ぎ散らして飛ぶ。
「めっちゃくちゃ硬いよー、それに飛ばせないよー」
確かに、ヒラティアの今の蹴り、おそらく普通の人間なら地平線まで吹き飛ばされていた。もちろん蹴られた瞬間に爆散しなければ、という前提の上でだが。
しかし骨はせいぜい10メーキほど飛ばされただけ、重量が極端に重いのか、あるいは踏ん張りが常軌を逸しているのか。
もし、ヒラティアにこいつが倒せなければどうなるのか?
その答えは、おそらく誰にも分からない。ワイアームがどうなるのか予想もつかない。
最悪、という二文字以外には、何も。




