がんばるあなたに
アドニスの話は続く。
「あなたが存じないのも無理はありません、この制度が導入されたのは今年からだそうです。このワイアーム練兵学園が、大爛熟期の魔法使いたちの研究所を基に作られたのは知っていますね?」
「う、うん。白樹門とか、深き書の海なんかは当時のままの姿なんだよね」
「そうです。そしてここには古代の魔法使いたちが作り出した修練場が存在します。魔法による人造生物を始め、独自の生態系を築いている獣、自然現象を体現する精霊。あるいは悪魔や神とすら呼べる存在を強力な結界で封じ込めた修練場です」
「うん……七つの修練場だよね。どれほど倒しても無限にモンスターが湧いて出て、それだけでなく気温とか天候とかも異常に厳しくて、第三の修練場から先に行ける人はほとんどいないとか……」
「そうです。ですがつい先月、第五の修練場までが踏破されました。知っての通り修練場には各地に古代の遺物が残されています。踏破したものへの報酬なのか、それとも修練場の創造者が隠しておいた宝なのか、ともかく第五の修練場からも様々なものが見つかりましたが、その中の一つがこの刻名魔印の製造機です」
「製造機?」
「そうだよ。すっごく大きな装置だから驚いたよ。お金持ちのお屋敷ぐらいあるんだもの。紙に名前を書いて入れるとね、がらがらーって印章が出てくるんだよ。ほら私のも」
と、ヒラティアも鎧の中から印章を取り出す。
「そして、この印章がワイアーム練兵学園での身分を保証するものとなったのです。今年度からですが、履修届を始め各種手続き書類、また行政書類なども全てこの印章を使うように制度が変わりつつあります。いずれ第五の修練場に大勢の人が入り、印章の製造機が確保されるなり、人類が同じ技術を使えるようになれば、一般社会でも活用されることでしょう」
「そ、それで、どうして僕が再試験を受けられない理由になるの?」
「……この印章は。あなたには「押せない」からです」
――。
そうか。
急に地面が遠くなるような
世界から徐々に遠ざかるような感覚
何てことだ。
制度すらが僕を拒むのか。
その印章は、一種のマジックアイテム。
すべてのマジックアイテムは、使用者の魔力を利用して作用している。つまり魔力枯渇体質には押せない。
だから、結果として、僕はワイアームに入学できず、秘術探索者にもなれない。
世界は僕に対して、どんどんと厳しくなっているのか。
いや、そうじゃない。
僕はもうずっと、何年も前からそう言われていたんだ。
魔力枯渇体質などが、ワイアームに入学できるはずがない。
秘術探索者などになれるものか。
試験など受けるだけ無駄だ、早く諦めてしまえ。
お前の望みは全て無駄に終わるのだ。
彼女に並ぶなど無理な話なのだ――。
そうだ、そもそもワイアームの入学試験に、魔法の実技試験がある段階で、僕のようなエンプティスの入学を前提としていないのだ。
特定の誰かでなくとも、全員がそう言っていたんじゃないか。僕を取り巻く全てが、ずっと前から言い続けていたんじゃないか。僕が頑なに、その声を聞かなかっただけなのだ。
「あの、ええっと、ハティ……」
「……ヒラティア」
「ご、ごめんなさい。その、私、そんなつもりじゃ……」
ヒラティアはどうしていいものか分からないといった様子で、おろおろと狼狽えている。
ああ、そうか。
第五の試練場、これまで人類を拒み続けてきた階層を踏破し、そこにある刻名魔印の製造機を見つけたのは、
それは、学園最強とも名高いヒラティア=ロンシエラ。彼女だったのか。
もちろんヒラティアを責めるのは筋違いもいいところだ。
第五の試練場からは、きっと製造機の他にも様々な宝が見つかったに違いない。彼女は人類に大きく貢献したのだ。社会に少なからぬ変化を与えたのだ。ただ、その変化の狭間で、どこかの無能な男の高望みが、ついに閉ざされただけの話なのだ。
「ハティ様……」
と、ヴィヴィアンが僕の頭を抱き寄せる。
ああ、止めてくれ。
赤子のように僕をあやすのは止めてくれ。
もう二度と、この腕の中を出たくなくなる……。
「お二方、少しお待ちください」
はっと、意識が引き戻されるような感覚。
ヴィヴィアンが腹に力を入れるような声を出したのだ。僕は彼女の腕の中を離れ、その顔を見上げる。
「たしか、魔力枯渇体質の方は人口の1%ほど存在するはずです。1%といえばかなりの数……。それらすべての入学が拒まれるのですか、いえ……」
一度言葉を止め、さらに声を張る。
「秘術探索者になるには、この学園への入学が必要と聞いています。ならばたとえ世界に魔力枯渇体質がハティ様一人でも、ハティ様にとって必要ならば門戸が開かれるべきです!」
「それは……」
アドニスは困惑を眉根に浮かべたまま、どうにか言葉をかき集めて答える。
「……秘術探索者は危険な仕事です。南方への探索や、遺跡の研究には危険が付きまとう。魔法が使えない人間にはやはり、不向きかと……」
「ハティ様にはすでに竜幻装があります、いえ、そうではなく……」
ヴィヴィアンは常になく憤慨しているようだった、何度も言い直すように言葉を切りながら話している。
「たとえ竜幻装がなくても、ハティ様には知識があります。それにハティ様は努力していると聞いています。努力している方は報われるべきです。ハティ様は世界の役に立てる人材のはずです!」
僕の顔は、きっと紅潮していただろう。
そう、僕は、嬉しかった。
この社会の仕組みに、世の中の道理に対して怒ってくれたことが嬉しかったんだ。こんな、世界から忘れ去られようとしていた僕のために――。
「…………」
アドニスはどう答えていいか分からずに、気圧されたまま固まる。
その横から、おずおずとヒラティアが口を開く。
「で、でも、あのね、探索者ギルドもいろいろ変わってきてて……。今後はその、この印章がないと南方へ行く許可が出ないの。知られてる遺跡の多くはギルドの所有になってて、勝手に入ると犯罪になって……」
ヴィヴィアンはその答えを受けて、ふいに緩やかな調子で、なぜこの答えが出てこないのか、という塩梅で言う。
「では、その印章を作れなくすればいいのです」
……
……
……
「……え?」
僕は目を丸くして、ヴィヴィアンをまじまじと見る。
ヴィヴィアンは瞳をくりくりと輝かせ、不意に、にこりと笑って言う。
「その製造機というのを破壊すればよろしいのです。そうすれば二度とその印章は作れなくなります。もちろんそれを利用した書式なども廃止になることでしょう」
「えっ、いや、それって……」
「と、とんでもない事を言わないでいただきたいですわ! 貧相男のくせに発想は豪放とはどんな理屈なのです!」
「だ、ダメだよハティ! そんなこと!」
アドニスがばんとテーブルを叩いて立ち上がる。ヒラティアもほぼ同時に立ち上がる。いやなんで僕!?
「あれがどれほどの宝か分かっているのですか! 確かに効果としては印章を作るだけですが、その機構の研究と解析が、いずれ人類の魔法を発展させる助けとなるのですよ! それに! 偽造不可能な印章というのは今後の社会において大変な価値が……」
「ハティ! そんなこと絶対だめだよ!! 第五の試練場はものすごーーーく危ないんだからね!! 私だって攻略するのすっごーーーく大変でっ!」
な、なんで僕にだけ言うの!?
「きっと上手くいきます! 我ながら名案です! 明日から早速準備いたしましょう!!」
ヴィヴィアンが嬉しそうに僕を抱き寄せ、僕は抱き止められながら二人が顔を真赤にして抗議する声を浴びていた。何というか基本的に、僕の周りには僕を振り回す人しかいないのか。
あるいは、僕が軽すぎるのか……。




