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ドラゴンドレス!  作者: MUMU
第三章 雷火の淑女と書物の海
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記されざるその名がために






「もー、ハティってば、あの湖あんなにしちゃってどうするのよ。私、学園に報告書作らなきゃいけないんだからねっ」


コーヒーをかちゃかちゃとかき混ぜつつ、口をつんと尖らせてヒラティアが言う。角砂糖を8個ほど溶かしたコーヒーはどろりと重い質感だ。


ここは「深き書の海」からだいぶ離れた場所、学生のための喫茶スペースだ。その名を「蛍火の茶園」という。


飲み物を提供する屋台のようなものが複数あり、円形のテーブルが広範囲に散らばっている。

僕らの他にも数人が喫茶を楽しんでいた。この学園の学食や喫茶店はどこも様々な特徴があるが、ここの特徴は周囲を埋める街灯群だ。


まさに群としか言い様がないほど大量に、様々な様式や高さの街灯が置かれている。中で火が燃えているものもあれば、仄白い光や青い光、あるいはやや眩しいオレンジ色の光など様々である。昼夜を問わず、すべての街灯に火が入れられている。

その光は単純な燃焼、冷光を放つ生物や自然石、あるいは静電気など、そして様々な種類の魔法の光だ。

テーブルの数は15ほどに対して、灯火はなんと100以上。しかもその半分ほどは、400年前の大爛熟期からずっと輝き続けているという。どういった原理の光なのか解明されておらず、その光を消すことの出来ない灯火もある。


高さも素材も、あるいは立っている角度もまちまちなこの街灯群は、見るものに複雑な感情を抱かせる。古代への憧憬か、あるいは理解不能なものへの畏怖か。


こういった無駄なのか豪快なのかよく分からない建造物がこの学園には実に多い、その大半は大爛熟期のものだ。大昔の魔法使いたちは一体何を考えていたのだろうか。


などということをつらつら思いつつ、僕は改めて目の前の三人を見る。


円形のテーブルに座るのは、僕の左手から見てヴィヴィアン、アドニス、ヒラティアの順だ。ヴィヴィアンはやや僕に近づいて座り、僕の膝にそっと手を置いている。どうもあの湖で一度はぐれて以来、僕にやたらとくっついている気がする。意識し過ぎると顔が赤くなるので、なるべくそちらに目を向け過ぎないようにした。


真ん中のアドニスは、胸当てと革チョッキ、それにシャツは新しいものを着ている。このワイアームの購買なら大抵のものは買えるのだ。乗馬ズボンも新しいのを履いているが、下着も……いや、あまり考えるのはやめよう。


そのアドニスは両側の女性二人を交互に見る。特にその胸元のあたりを注視している。

ヒラティアのふくよかで優美な胸のラインと、ヴィヴィアンの狼を鎖で繋ぎ止めるような、凄まじい圧力を秘めた胸を見て、そして自分の慎ましやかな胸に手を当てて。

何やら悄然としている、と見えるのは気のせいだろうか。


アドニスの口元は震えるように動いており、その動きに集中すると声が聞こえるような気がする。


「……ただの脂肪ただの脂肪ただの脂肪ただの脂肪」


と、ぶつぶつ言っていた。

……そっとしておこう。


ヒラティアがぐいとコーヒーを煽ってから言う。


「でも、ま、仕方ないよね。造魔透魚(ゼラチナムフィッシュ)が出たんでしょ?」

「え、あ、ああ、そうなんだよ」


急に話に引き戻されて、僕は何とかそう答える。

僕はというと、あの後ヒラティアに肩を入れてもらって、まだ少し痛みは残っているものの何とか歩ける程度に回復した。しかし多分、明日は全身筋肉痛だろう。


「ええと、それに僕も知識で知ってるだけだけど、あの水の効果って水そのものじゃなくて本自体にかけてあるんでしょ。だから用水路から水が流れ込めば、湖もじき元に戻るんじゃないかなと」

「そうだね。とにかく怪我がなくてよかったよー。でもすごいねえ、そのドラゴンドレスっていう魔法。ほんとに湖の水を全部飲んじゃったの?」

「はい」


と、ヴィヴィアンが答える。

しかし、あの飲み込んだ大量の水はどこへいってしまうのだろう? 竜幻装ドラゴンドレスが魔法だとするなら、ある程度物理法則を超越することは半ば当然だけど。


「それで、あなた方、ワイアームへの入学を望んでいるということでしたね」


と、アドニスが話に割り込んでくる。


「え、ええと、それは……」

「はい、その通りです」


僕とヴィヴィアンが続けざまに答える。

正直なところ、ヒラティア以外の女性と話すことすら珍しかった僕なので、男女比が1対3の会議だと縮み上がってしまう。僕がどぎまぎと言葉を探している間に、ヴィヴィアンがさっと前に出て、代わりに話してくれるという塩梅だった。ううむ、情けない。


「現役の学生であるお二人でしたら、何かご存知ありませんか? 再試験を受ける方法などを」

「再試験ですか……」

「う~~~ん、できるのかな?」


アドニスとヒラティアは顔を見合わせ、ややあってアドニスが答える。


「結論から言いますと、再試験自体は可能だと思います」

「ど、どうやって?」

「別人になればいいのですよ」


事もなげにそう言う。


「新しい名前を名乗って、来年また受験すればよいのです。ワイアームには学籍はあっても戸籍は整備されていません。北方全土から毎年たくさんの受験生が訪れますからね、率直な話、名前を変えて四回、五回と受験している人間は相当数います」

「ほんとっ!? よかったねハティ!」

「う、うん。でもどうしてそんなこと知ってるの?」

「貧相男は勉強だけしか興味がなかったようですが、予備校に通っていた身からすれば噂は何度も聞いています。試験官に賄賂を渡せないかとか、カンニングをした人間が合格取り消しになったとか、そんな話は聞くともなく聞いてしまうものです」

「な、なるほど」

「……ですが、あなたには入学は無理です」


アドニスが静かに言う。


「ど、どうして」


僕もたまらず食い下がる。ここまで来たんだ、簡単に諦めたくはない。


「いえ、失礼しました。受験はともかく、あなたがこの学園に入学するのは難しい、という意味です」

「え?」

「ワイアームの試験が毎年春先にあるのは知っていますね?」

「そのぐらいは……」

「北方全土から数万人もの受験生が集まります、合格できるのはほんの2千人ほど、という狭き門です」

「うん……」

「そして今年から、合格者全員に配られているのがこの印章です」


と、アドニスはポケットから印章を取り出す。太さとしては親指と人差し指で作る輪ぐらい、立方体を二つ重ねたような縦長の形状だった。印章の腹の部分に波のような彫刻が刻んであり、それを滑り止めとして、両サイドを指でつまんで押すようだ。


アドニスは印章の横っ腹をぎゅっとつまみ、テーブルの一点に当てて力を込める。

そして、筆を払うように一息にそれを横滑りさせる。

すると、印章の動いた軌跡に文字が刻まれる、アドニス=アイレウス、確かにそう書いてある。細長い長方形の縁取りが赤い線で刻まれ、その内部に濃い緑の文字で彼女の名前。よく見れば縁取りの四隅は植物の蔦のような意匠で飾られており、文字自体も濃い緑から青に近い緑までグラデーションがついている。横滑りさせてこれを描いただけでも驚きなのに、複数の色を同時に押すとは。

……この魔法は、確か大爛熟期の。

ヒラティアが口を開く。


「ああ、この印章ってたしか……」

刻名魔印(エルダースタンプ)の魔法です。大爛熟期に存在していたという古代魔法。内容としては今のような特殊な印章を作るというだけのものですが、その魔法は失われてしまい、再現はいっさい不可能と言われています。また、この印章は個別に記録されている名前と、本人が自覚している『自分の本名』が合致しなければ押すことはできません」


確かに、僕もそのように本で読んだ記憶がある。

ただし、この印章自体に別に特別な効果があるわけではなく、ただ偽造が不可能というだけの話だ。しかし人間社会が成熟しつつある現在において、偽造できない印章がとても価値のある物ということも、また事実だ。仮に同姓同名の印章でも、その書体や色合いが印章ごとに異なっていると言う。


……しかし、この印章は古代の遺跡からわずかに見つかるだけで、すでに失われた魔法のはずなのに、なぜアドニスの名前が刻まれているのだろうか……?


そして、この印章が意味すること、とは……。


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