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ドラゴンドレス!  作者: MUMU
第三章 雷火の淑女と書物の海
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貴人なりの求愛らしき何か



濃い霧の立ち込める中に、なだらかな曲線で描かれる湖沼の縁取り、水鳥がその中ほどに群れ集い、鳴き交わす音が風景に溶けこんでいく。

岸には緑の芝に紫色の小さな花が点在し、遠くには枝を水平方向に発達させた常緑樹と、その下に設えられた木のベンチも見える。まるで樹が枝を差し出し、読書に耽る者を守らんとするかのような枝ぶりだった。まるで絵画のような池と木と霧の眺め、水気を含んだ風がわずかに薫る。


「わあ、綺麗な場所ですね。さすがは大きな学園です、こんな名勝地があるなんて」

「いや……そうじゃないよ」


先ほどの高速移動の影響がまだ残っていたが、僕はなんとか膝に手をついて立ち上がる。見ればすぐ近くに水の辺が来ていた。おそろしく透明度の高い水は硝子のように平板な水面を誇り、その表面にはチリひとつ浮いていない、緊密な空気がこの場所に満ちている。

僕はその水の中に腕を突っ込み、一つの塊を取り出す。


「それは……本ですか?」

「そうだよ、ここはワイアーム練兵学園の名物、『深き書の海』だね」


その蔵書数を数えたものは誰もいない。

この湖は、泳いで渡れば数十分はかかる広さ、深さは最大で約200メーキ(199.9メートル)ほど。

いや、本来はもっと深いのかもしれない。その水中に広がる丘陵も、湖底の大地も、全て本で形成されているのだから。


「この湖自体に、大爛熟期テンパネスに開発された特殊なまじないがかけてあるらしい、この水は決して本を濡らさない。ほら」


僕は水中から取り上げた本をかるく振ってみせる。ページの隙間から砂のように水が流れ落ち、水滴が散ったが、それだけだ。表紙も、中の紙も完全に乾いており、指でこすればざらざらとした質感を感じる。軽石に水をまいたときのように、恐ろしい速さで水気が抜け落ちているのだ。


「むしろ、この湖の中では本は全く劣化しないんだ。僕も実際に来るのは初めてだよ。話に聞いてたとおりだ。ここは大爛熟期の魔法使いが作った巨大な図書館であり、書庫なんだよ」

「まあ……。ですが、それだと底の方の本を取り出すときに大変そうですね?」

「ああ、それはたしか……」


僕は目を凝らして霧の奥を探る。かなり離れた場所に、僕の住む宿屋ほどの大きさの建物がある。


「あそこだ、あれが読書室と使い魔の貸出場所だね。司書さんに頼めば使い魔を貸してくれて、目的に合った本を取ってきてくれるんだって。もちろん、利用はワイアームの学生に限られるけどね。返却のときは同じくあの建物で記帳して、湖に放り投げればいいんだ」

「はあー、すごい仕組みなのですね」


ヴィヴィアンは湖の底の方を見つめ、魚を狙う猫のように、何度か目をまたたいていた。水の透明度が恐ろしく高いので、かなり底の方まで見通せる。階段状に積み重なった本の間を、小悪魔のような姿の使い魔が泳いでいる。

そうやって岸辺に手をついて前かがみになっていると、褐色の肌と黒いマントが相まって、本当に黒い猫のように見えた。彼女の肢体が持つしなやかさがそう感じさせるのだろうか。


「……? あれは……」


ヴィヴィアンは湖に興味津々といった様子だ。僕だって始めて見るのだから、南方から出てきたばかりのヴィヴィアンには、雪や海を初めて見る人のような思いだろう。といっても、人智の及ばぬ魔法の遺物、誰も見たことのない魔物、そういうものは南方に残っているはずなので、なんだか奇妙な感覚である。


僕は、僕にこの図書館が利用できるんだろうか、そんなことをぼんやりと思う。

人間では底の方の本を取って来れないため、使い魔を使役する、それはいい。だが使い魔を操るというのは魔法で命令に従わせる、という意味だ。僕ではない第三者が生み出した使い魔とはいえ、魔力枯渇体質エンプティスの僕の命令を聞くんだろうか。

まだ入学もしていないのに、余計な心配だな、と僕は自嘲気味に思う。そんな考えを振り払うように口を開く。


「……すごい場所だよね。大爛熟期に書かれた本もたくさん沈んでるらしいんだけど、さほど価値のあるものはなくて、ここは娯楽本や文学書を保管するための場所か、もしくはゴミ捨て場だったと言われてるんだ。大爛熟期には大陸中央部にもたくさんの人が住んでいて、様々な場所で異なった文化が成熟していて、神話や伝承も無数にあったらしい。でも今の時代、あまり研究する人はいなくて、ここの本もあまり研究の対象には……。そもそも使い魔がいるといっても、底の方の本は検索のしようがなくて」


そこで、返事がないのに気づいて僕は振り向く。


「あれ? ヴィヴィアン?」


霧にけぶる湖沼が広がっている。

ヴィヴィアンはどこにも見えない。

どこに行ったんだろう?

僕はさっきまで彼女の気配があった方に歩いてみる。かなりの霧の濃さだ。かろうじて湖沼の輪郭が分かる程度で、遠景はほとんど乳白色の闇に閉ざされている。学生がこの場所の本を利用するのは主に午後からなので、まだ人気はない、静かで美しい場所なだけに、そうして一人になると妙な寂しさを覚える。


僕は手近な立木の方へ行く、まさかとは思うがこの裏側に……。


「見つけましたわ」


アドニスがいた。


「うわああああっ!?」

「人の顔を見て叫ばないでいただけますか、不躾すぎる変態ですわ。それに驚いた顔が虫の腹部のようで気持ち悪いです」

「うう……そ、そこまで言わなくても。何でここが?」

「逃げた直線上に追ってきただけです。ほとんど偶然のようなものですわ。しかし何という距離を……学園を横断しているではないですか」


うっ……そういうことか。逃げる場所を判断したのはヴィヴィアンだったからな……。


「さあ、くだんの約定を果たしていただきます」

「え、で、でも、その…」


アドニスは、そこで周囲に誰も居ないことを確かめるかのように、かるく目を左右に動かし、

なぜか、少し赤面したような様子で、声を潜めて言う。


「……その、私も、履いてきておりますから」

「えっ?」

「……し、下着ぐらい、恥ずかしくないものを、履いていますから」


アドニスは革で補強された乗馬ズボンを履いていたが、それがいつの間にか膝のあたりまで降ろされている。足を踏み鳴らすように、強引にそれを蹴り下げて脱ぎ捨てる。シルク製で薄手の水色の下着が出現する。乗馬靴もその辺に転がすように脱ぐ。


「!? な、ちょっと!」

「わ、私とて口だけに何時間もキスされては窒息してしまいます。あ、あなたはどうせ変態なのですから、腿だの膝裏だのマニアックな部位にキスしたがるに決まっています。わ、私の乗馬で鍛えた太ももの筋肉とか、大きすぎるとか言われている臀部を妄想して夜な夜な薄気味悪く笑って花瓶とかを舐め回していたのでしょう。お、恐れおののくほどに変態です」


僕のキャラクターがどのように肥大しているのか計り知れない。

アドニスの顔はいつの間にか真っ赤になっている。

僕の顔は多分その倍は赤い。

彼女は両手を背中のほうに動かして革のチョッキをするりと脱ぎ捨てる、体のラインに合わせて癖のついた革チョッキは、コルセットのように一定の形を保ったまま落ちた。白いシャツのふわりとした質感が、その中に存在する彼女本来の輪郭を想起させる。

そしてシルク製の上物のシャツに手をかける。何かの貝でできているのか、白く気品のあるボタンを上から一つ一つはずしていく。


「そ、それとも上半身が好みですか。わ、私は胸など全然ありませんから、あなたの幼児退行的な倒錯性癖を発揮されてもこ、困りますからね」

「えっ、いやっ、あのっ」


その下から現れるのは、これは若い牛の皮を加工した特製の胸当てか。慎ましい形の胸がその中に収まって、ぱっと見ただけでは少年の体のようにも見える。しかし脇腹の女性的なくびれや、日に透かした葉のような肌の白さ、水差しの柄を思わせる鎖骨のラインが芸術的な美しさと高貴さを演出している。


そうして下着の上下だけとなるアドニス、僕は一歩後退する。湖畔の立木が背中にどんと当たる。

幹に背中をこすりつけながらずるずると下がるところに、アドニスの美しい顔がのしかかるように迫ってくる。顔がやけに紅潮していて、目が落ち着きなく動いている、アドニスもかなりいっぱいいっぱいの状況らしい。僕のテンパリ具合は言うまでもない。


「で、ですが、下着だけは脱ぎませんからね。そ、その生まれてから淫語しか喋ったことがないような口でさ、さっさと私を蹂躙すればよろしいでしょう。さあ、吸うなり嚙むなり弾くなりつまむなり咀嚼するなり反芻するなり好きにすればよろしいのです」

「お、落ち着いてアドニス、僕はその……」


「さ、さあその唇を!」



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