15.視線
何時間にも感じられる時間が過ぎ、漸く奥の部屋の扉が開いた。
プロデューサーや演出家、舞台監督や、直接見たことはないがこの舞台に関わっているらしい人物が出てくる。後ろの方から倉石琢己も姿を見せた。
演出家がおれたち役者を呼び集めた。おれたちは黙って集合する。息苦しいほどの沈黙の中、おれたち役者と一番多くの時間を過ごしてきた演出家が口を開いた。
「昨日のことはもうみんな聞いていると思うが・・・」
簡単に昨日の経緯が説明される。だが、おれたちの知りたいのはそんなことではない。いったい誰の責任になり、どんな処分が下されるのか、そして、この舞台公演はどうなるのか。
「昨日の飲み会では、幹事を中心に二次会に向かったそうだが……」
演出家が言いにくそうに続ける。このタイミングで幹事の名前が出るということは、やはり、彼に責任を負わせる気なのか。もし、そうなら、おれは断固として抗議する!
そうおれが思った矢先、突然西崎がその場の話を遮った。
「待ってください。幹事にその場の責を負わせるはおかしい。直接問題を起こした人物がいるはずです」
途中参加にも関わらず、もうすぐ初日というこの時期に、問題を起こすなんて自覚が足りない、暴力沙汰を起こした人物を降ろすべきだ、と西崎は続ける。いつもクールに徹している彼の激しい口調にその場の全員があっけに取られた。
しかも、その口ぶりは、学生の集団に手を出したのが倉石だと言っているかのようだった。
演出家は全員に向かって名前までは出さなかったが、今までの飲み会における倉石琢己の態度は、相当酒癖が悪く、誰彼かまわず絡むことが多いということは以前から役者仲間では密かな話題になっていた。ただ、演劇界の大物脚本家の息子でコネもいろいろと多い彼に堂々と注意できる人間がいなかっただけだ。
その場にいる役者たちには彼の暴力沙汰はほとんど暗黙の了解になっているようだった。決まり悪げに眼を逸らした倉石の表情を見ると、恐らく昨夜の件も図星だったのだろう。
「恵くん。共演者に向かって、その言い方は厳しすぎるんじゃないかな」
そばで聞いていたプロデューサーが苦笑いで言った。この人も、倉石の行動を知っててわざと名前を出そうとしない、とおれは直感した。
「おれはそうは思いません。ここまで来てこんな事件を起こすなど、今まで必死で稽古を積んできた役者たちにはいい迷惑です。降ろすべきだ」
強い口調で言う西崎の言葉に、その場の誰もが黙り込んだ。
結局その場は、どんな役職だか知らないが、上の立場の人間だと分かる高そうなスーツを着こなした男が、まあまあと口を挟んだ。
「今回の件はマスコミにも知られていないわけだし、相手とも示談で話がついているから。各自これから十分自覚を持った行動をするということで……」
最終的に、公演の方は予定通り行うことになっていると告げられると、みんな明らかにほっとした顔になった。
「誰か、処分を受けるんですか?」
例えば、幹事の清水とか……。気になったおれが思わず聞くと、西崎が袖を引いて言葉を止め、険しい顔でおれの言葉に続けた。
「もちろん、そんなことありませんよね。当事者が処分を受けないのなら、一人が責任を取る必要もないはずですから」
ああ、もちろんだ、と、そのスーツの男は西崎に返事をした。その言葉がなぜか苦々しい調子を含んでいたところを見ると、ひょっとすると、問題が明るみになった際には誰か一人、例えば幹事に責任をとらせる心積もりだったのかもしれない。
じゃあ堅い話はここまで、今日の稽古に入るぞと、とってつけたように明るく声を上げる演出家の指示でおれたちは定位置につくため動き出す。
その流れに乗りながら、ふと、おれは、張り詰めた緊張感を解きほっとした様子で動き出す役者たちに混じって、倉石がじっと西崎を見つめているのに気づいた。
暗い怒りを含んだ目で視線を逸らすことなく睨みつけているその様子に、おれは全身に鳥肌が立つのを感じた。
もし、西崎ではなくおれが清水のことを庇って倉石を批判していれば、あの、暗く、こちらがぞっとするような目はおれに向けられていたのだろうか。