14.事件
今の稽古場での練習が終わりに近づいたある日。
「木下君、稽古の後みんなと飲みに行くんだが、よかったら君も来ないか」
倉石が笑顔を浮かべておれを誘った。おれが返答を決めかねていると、よかったら西崎君にも声をかけてくれよ、君、彼と親しいんだろ、と言葉が続き、そういうことかとおれは納得した。
結局、西崎は仕事のため参加できないと断り、それを伝えると、君だけでもぜひ、と言われた。幹事が親しい清水ということもあり、おれは一応顔見せ程度に参加することにした。
倉石とは演技上の打ち合わせしかしたことがなかったが、舞台の成功のためにはもっと深く交流を持つべきかもしれない。……と言っても、もう今更という気もするが。
稽古後に集まった居酒屋でそこそこ飲み、盛り上がった後、河岸を替えようということになった。
ゲネプロも近いし、明日も稽古があるのだからそろそろ潮時だろうとおれを含めほとんどの役者は思っていたようだが、倉石を中心に何人かが次の店を目指し繁華街の方に繰り出していった。
木下君も来いよ、と倉石はしつこく誘ってきたが、飲んでいる間西崎のことばかり話題に上げ、おれのことより何とか彼とのつなぎをとりたがっている態度が見え見えの様子に辟易していたおれは丁重に断った。
今回の小宴会の幹事である清水は上機嫌の一団に混じって歩きながら、ややうんざりしたような表情でこちらに肩をすくめて見せた。
次の日。控え室にかばんを置いたおれが扉を開けると、本番通りのセットが組まれた稽古場にはぴりぴりとした緊張感が漂っていた。
近くのスタッフに聞くと、奥の部屋でプロデューサーや演出家を始め、上の人間が集まって話し合いをしているらしい。現場では稽古に来た役者たちが固まって不安そうな顔でひそひそと話している。その中に、清水や倉石を始め昨日二次会に繰り出したメンバーの姿はなかった。
少し離れた場所で一人いつも通りコーヒーを飲んでいる西崎を見つけ、おれは近づいていった。
「昨日、あれから飲みに繰り出したんだって?」
西崎がおれに目を向けて静かに問う。
「ああ。おれを含めほとんどは一軒目で軽く飲んだだけで帰ったけどな。まあ、何人かは倉石たちと次の店に向かったようだが。……彼らに、なんかあったのか?」
逆に質問するおれに、早めに現場入りして大体の事情を耳にしているらしい西崎が淡々と説明してくれた。
それによると、夕べ、二次会に向かった先でかなり飲んだらしい彼らは、その店で同席した学生の集団と乱闘騒ぎを起こしてしまったそうだ。まずいことに酒の勢いで相手の一人に怪我をさせてしまい、今関係者を集めて今後の対応、特に間近に迫った公演をどうするか話し合っているらしい。マスコミでまだ騒がれていないことがせめてもの救いと言える。
「昨日の幹事は、清水だったそうだな」
西崎の言葉に、おれははっとなった。呼ばれた関係者の中に倉石がいたらしい。倉石がそうプロデューサーに進言したのだそうだ。
確かにそうだけど……あのとき、清水は明日も稽古があるからと止めていた。それでも倉石を中心に何人かが聞き入れなかったため、責任感の強い彼はほとんど素面で彼らに付き合ったのだ。
だが、このまま黙っていれば幹事を勤めた彼の責任にされてしまうかもしれない。
おれは奥の事務所に向かって駆け出そうとした。その途端、がくんと腕が引き戻される。振り向くと、西崎の手が驚く強さでおれの腕を掴んでいた。
「……やめておけ」
きれいな顔を顰めて、西崎が言った。
なぜ彼がこのときおれを止めたのか、業界の事情に疎い、駆け出しのおれにはわからなかった。