13.ダブルキャスト
公演初日がだんだん近づいてきたその日。稽古開始前に演出家が告げたのは、おれにとって、舞台が一瞬にして暗転したように衝撃的な言葉だった。
「……急なことで申し訳ないが、今度の舞台、木下君の役をダブルキャストで行く」
演出家が、なぜかおれから目を逸らして言う。それとは逆に、その場にいる、役者スタッフ全員の視線がおれに集まるのを感じた。
おれはまだ、たった今言われたことを自分の中で消化できずに、ただ前に立つ演出家と、その隣に立つもう一人のキャストだと紹介された男をぼんやり見つめていた。
「この時期になって、なぜ? 理由をお聞きしていいですか」
淡々とした声が演出家に向かった。西崎恵の声だ。
「僕から言わせてもらいます。彼、木下君と言ったっけ。聞くところによると、経験も浅いし、まだ役を十分掴めていないようで、稽古後も、演出家の先生や主演の西崎さんに自主稽古に付き合ってもらっているそうじゃないか」
答えたのは、演出家ではなく、隣の、おれとともにダブルキャストを演じることになる長身の青年だった。
「その熱意には頭が下がるが、この時期にそれでは不安もあると言うことで、今回この舞台のプロデューサーの方から僕に声がかかったんだよ」
僕は君の舞台を拝見させてもらって前から共演したいと思っていたんだよ、と言うことで、よろしく、と西崎に笑顔を向けるその青年を無視して、西崎はなおも演出家に問いかける。あまり感情を言葉に乗せない彼には珍しく、冷え冷えとした口調だった。
「……そこの彼が言ったとおりの理由ですか?」
結局、演出家は答えなかった。
倉石琢己というその俳優が稽古に参加するようになってから、必然的におれの稽古量は半分になった。中途参加の彼の稽古が中心になり、はりきって来ても、おれは客席でみんなの演技をぼうっと見ている時間が多い。
倉石は有名脚本家の息子であるらしい。そこそこ知名度もあり売れっ子の彼は、稽古後は次の仕事に向かうことも多い。だが仕事がないときは西崎とは違い役者たちに誘われれば気さくに応じてみんなとの親交を深めていった。
ダブルキャストでありながら自分だけ今までのように演出家や主役を居残り練習に引っ張り出すわけにもいかず、かといって倉石に遠慮してか飲みに行くとき俺に声がかかることもなく、おれは稽古後早々に帰宅するようになった。
今回のダブルキャストの話は、おれではこの役を任せられないと言われているようで、しばらくは落ち込みモードになったが、希の励ましを思い出し、おれは必死で気持ちを切り替えた。
目の前には淡々と演技を高めている西崎と言う目標がある。
ダブルキャストという経験を通じて役者倉石の演じ方からも吸収できるところは吸収しよう。全ては自分のためだ。
そんなおれに、西崎は普段と変わらず接してくれた。清水も、倉石に遠慮しつつ、そっとおれに耳打ちした。
「倉石琢己って、有名な脚本家のご子息だろ? 西崎恵との共演でキャリアに箔を付けようってんで親の威光を借りて無理やり今回の件をねじ込んだって話だぜ」
おれはこれまでの木下の努力をかってるし、演技もやつよりずっと優れてると思う、演出家も本当はそこのところ、分かってると思うぜ、そう言って、清水はおれの肩をぽんぽんと叩くのだった。
そんなある日、事件は起こった。