36 『ほうとう』にしようぜ!
ギィギィギィギィギィ……
階段の踏み板の軋む音が、黙って進む一行の耳を刺激する。
火憐は耳が音に反応してぴくぴく動くようで、帽子がたまに小刻みに震える。
今回は来城さん先頭、私が一番後方だ。なんで確認するのかって?特に意味はないわ。
「……こちらにどうぞ」
来城さんが扉を開いて、私たちに先に進むように促す。顔には出てないが、明らかにしょげてる。真面目だもんな、来城さん。せんせいが来城さんを叱ることがあるのかは知らないけど、仕事に失敗したら部屋で一人反省会とか開いてそう。
扉を超えた先には志歩ママが、エプロンをつけて立っていた。片手におたま。まさにお母さんコーデ。
「ほ~ら、座って?冷めるわよ?」
「は、はい!」
「失礼、します」
「失礼します、なのじゃ」
「何してるのですか、来城さん?座りなさい?」
「は、いえ。わたくしは……」
「星夏様とうちの人は大丈夫ですよ。食べていきなさい」
「い、いえ。仕事ですから……」
「座りなさい」
「は、はい……」
おおお、あの真面目でお堅い来城さんをむりやり食卓に着かせた。志歩ママつえぇ……
でも、おたまを振り回さんでください。こっちに飛んできそうです。
「みんな座りましたね?」
「「「「はい」」」」
「今日の夕食は……『ほうとう』ですよ!」
「来たァッ!」
ほうとう、来たっ!とうとう来た!
米がとれないこの地域は麦の生産が多く、その麦を使った料理が名物。その名は『ほうとう』。町の名所、三重の宝塔にちなんで名づけられたという郷土料理。そして、私がいた元の世界にもその名の料理があった!見た目次第では関連性を……
「はい、どうぞ」
「これがほうとうなのじゃ!」
「これがほうとうなのです!」
「えみさん、お先に」
「あ、はい」
受け取った器からは湯気が立ちのぼり、器自体もとても温かい。まだ私の視界に入っていない器の中身を……いざっ!
「はいっ!……ほうとうじゃん、これっ!」
「え、えみさん……ほうとうです、それ」
かなりほうとうだよ、コレ!幅の広い麺、たっぷりの野菜、味噌仕立てのスープ。私が知ってるほうとうそのものだ!相当ほうとうだよ、これ。
「お母さま、おいしいです」
「おいしいのじゃ!」
「ありがとう、嬉しいですわ」
「えみさん、その、大丈夫ですか?」
「えみさん、お口に合わなかったかしら」
「へ?あ、いえ。いただきます」
いつも思うんだけど、どうもこの世界は元の世界と似ている。似すぎていて異世界転移した気がしない。いつでも元の世界に帰れる気がしてしまう。
そのせいか、あんまり寂しいと思わなかった。帰ることは難しいと思う。それは家族とも会えないってこと。咲……、どうしてるかな。
ほうとうはとてもおいしい。食べるたびにお腹に温かいものが溜まっていく、ポカポカしてくる。
でもそのポカポカが溜まる度、会えなくなった家族のことが思い浮かんで、実家の食事のときのその日の報告会、くだらないお喋りをしてるときを思い出して、なんか、なんだかね。
「えみ!?」
「えみさん!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
「あら、やだ」
どうせなら、絶対に元の世界に帰れないことが決まっていればよかった。それなら、元の世界のことを考えず、新しい世界で生きることに集中できるのに。無駄だとわかれば、諦めることもできるのに……
どうせなら、似てるところが全くない世界がよかった。こんな、こんな懐かしいものが、突如現れるトラップなんて……ずるいよ。
「ほら、いらっしゃい?」
後ろから声をかけられた。振り返ると志歩ママが腕を広げて立っていた。
「うぅ、い、いえ、だい、大丈夫、です……」
「遠慮しなくていいのよ。はい」
志歩ママが私の頭を抱きしめた。私は、ちょっと驚いて、でも、温かくて柔らかいものに包まれて、そのうち我慢ができなくなった。
志歩ママのエプロンを掴んで、顔を押し付けて、しばらく。
異世界に来て二か月近く。溜まっていたものがぶちまけられた。それも他人のお母さんの胸の中で。
「もう、大丈夫かしら?」
「…………」
「もう、大丈夫でしょう?」
「…………」
いやいやいやいや。たしかに、もう気持ちの方は大丈夫だけど、いま顔離したら、私の泣いてぐちゃぐちゃになった顔が大公開されちゃうじゃないの。それは、それは恥ずぃ……
「夕食も冷めてしまいますから、食べなさい?食べればまた元気になるわ」
「は、はいぃ……」
私は志歩ママの胸から顔を離し、俯いたまま正面に向き直った。冷めて湯気が上がらなくなったほうとうが視界に入る。少しも減ってないや。
「えみ、大丈夫か?」
「う、うん……大丈夫」
「そうか」
私が箸を持ったのを見て、みんなも食事を再開した。私が泣いている間、みんなも食事を中断していたようだ。私のせいで冷めちゃったよね……
食卓が、この冷めたほうとうのように冷え切っている。志歩ママが、この沈んだ空気をとりなそうと、明るく楽しそうに話をしている。志歩ちゃんもそれに気づいたのか、ちょっとオーバーにうなづいている。
そんな努力もむなしく、空気は重く暗い。これは元凶が、この空気の原因がどうにかするしかないね。私は冷めたほうとうの入ったお椀を持ち、そして……一気にっ!
ガツガツガツガッ
「え、えみ!?」
「えみさん、さすがにそれは……」
んぐ、んぐんぐんぐんぐ……ぶはっ!
「お、おかわりっ!ぐ、ぐぇっほ、げほげほ」
「えみちゃん、そんないっぺんに……」
「えみ、大丈夫か?」
「ごめん、火憐。背中さすらないで」
「大丈夫ですか、えみさん。……その、わたくしは大丈夫ですから」
「わしも大丈夫なのじゃ!」
「わ、私も大丈夫です!」
「あ、ありがと……」
「それで、どうするのかしら?おかわり、食べるのかしら?」
「は、はい!いただきます!」
「全くもう、無茶する子ね」
「あ、はは……ごめんなさい」
「次はゆっくり食べなさい?」
「はい、そうします」
「よかったのじゃ!」
なんとか雰囲気も持ち直して、明るく楽しい食卓になった。火憐が楽しそうに今日あったことを話し始めた。やっぱりこうでないと、ね。
その晩、結局私と火憐は志歩ちゃんちに泊まることになった。志歩ちゃんがどうしてもって。
来城さんはせんせいのところまで許可を取りに行って、速攻帰ってきた。断る必要がないからね。
その代わり、志歩ママと来城さんは向こうに行くみたい。多分飲むんだろう。志歩ママが料理を始めて、味の濃さそうなもの皿に盛りつけて持って行ったし。
それで志歩ちゃんの部屋に三人。私と火憐と志歩ちゃんがいるわけだ。
「あの、すいません」
「ん、なんで?」
「私がわがまま言って、その、お二人に来てもらって、その上ここに泊まっていただいて。あの宿よりも狭い部屋ですから、寝る布団も他になくて……」
「んん、大丈夫よ。むしろ狭いくらいがいいよ。あの宿の部屋、広すぎて落ち着かないし。普段も狭い屋根裏に火憐と二人で寝てるし」
「そうなのじゃ!」
「そうなのですね……」
それに狭いと言うが、十分広い部屋だ。私が一人暮らししてた部屋より広い。天蓋付きベッドが置けるくらいだ。あたりまえか。
「でも、その、三人では狭いのではありませんか?あの、私は他所で寝ますから……」
「家主追い出して寝れるかっちゅうの。いいのよ、お泊りなんだから。狭いところでくっついて寝るくらいが、ね」
「そうですか」
「そうなのじゃ!」
「そうなのですね!」
すっかり火憐と志歩ちゃんは仲良しだ。火憐の口癖、というか、それしか言えないだけというか、それが移ったのか、二人で「そう」「そう」と掛け合いをしている。仲が良いのはいいことだ!
いいんだけど、これは、その……
「なんで私が真ん中なのかな?」
「え、えっと、私が頼んだのです……」
「志歩ちゃんが真ん中来なよ。この部屋の主だし」
「い、いえ。火憐さんが隣の方が、えみさんには……」
「そうなの、火憐?」
「えみ」
「ん?」
「その、わしの尻尾を枕にしていいのじゃ」
「うん、ん?どしたの、急に」
「あ、いや……」
「志歩ちゃん?」
「そ、その……」
「ははぁん?」
たぁぶん、私が号泣したの見てなぐさめようとしてるな?二人とも……可愛いヤツめ!
「志歩ちゃんっ!」
「は、はい!って、え、え!?」
「はい、どおおおん!火憐に志歩ちゃんアタァァック!」
「んじゃっ!?何をするのじゃ、えみ!?」
「ほら、火憐。志歩ちゃんが真ん中になったわよ?」
「むむ、えみをまんなかにするのじゃ!」
「あ、あぐ……重いのです、火憐さん!」
「ほらほら、ってアダッ!?志歩ちゃんの足が、足が私の腹に、はらにぃぃ……ぐはっ」
「ご、ごめんなさい!」
「志歩もえみを引っ張るのじゃ!えみをまんなかに……」
「あまいっ!今度は火憐がまんなかだっ!」
「火憐さん、えみさんに逃げられてしまいます!」
「えみ、えみがまんなかになるのじゃ!」
「ふっふっふっ。できるものなら、やってみよ!あだだだだっ!?」
「捕まえたのじゃ!」
「火憐さん、頑張って……!」
こんな布団の中の攻防戦。小さいとき、咲ともよくやったなぁ。二人のおかげで寂しい気持ちもすっ飛んだわ。……姉として、あんまりカッコ悪いところは見せられないけど、こうやって心配してくれる妹たちのためにも、あまり我慢しないようにしよう。
……そうだった、ここにも家族がいるんだったね。
「火憐、ありが、ぇででででっ!?」
「あ、ごめんなさい!」
「志歩ちゃん、意外と力が、強いの、ね……ガクッ」
「えみぃぃぃっ!?」
「えみさぁぁぁん!?」




