34 すすいだ瞬間
しばらく庭を周っていると、池の端っこの方までやってきた。火憐は新しいおもちゃを見つけたわんこ、いや狐っ娘だ。とにかくはしゃぎまわっている。
「あれはなんじゃ?」
「あれは『ししおどし』ね。この世……国ではなんていうか知らないけど、私の方ではそう呼んでるわね」
「この国でもそれは『ししおどし』と呼んでいるわよ~」
「せんせい、来たんですか」
「お仕事も終わらせたから、様子を見にね~」
「お仕事?」
「ちょっとした書類仕事よ~」
「はぁ」
「あっちに滝があるのじゃ!」
「庭に滝まであるんですか。この町は雨が少ないって言ってませんでしたっけ?」
「それもどうにかしてしまうのが税金の力ね~。その使い方を決めるのは貴族の方だったのだけれどね~」
「やっぱり貴族ってそんなもんですか」
「えみちゃんの方もそうだったのかしら~?」
「私の方は貴族はいませんでしたねぇ」
「あら~?この大陸に貴族がいない国は二つしか存在しないのよ~?おかしいわね~?」
「え、あ。そ、そのぉ」
「ふふふ~」
「……」
や、やべぇ。やべぇやべぇ。
この大陸には、この山櫻共和国と隣の野鶴共和国しか共和制を取る国は存在しない。王族を貴族とカウントすると、もう一つの同盟国である香散見王国は立憲君主制ではあるが、貴族が存在することになる。と、言うことは……
「えみちゃんはこの大陸出身ではないのね~?」
「え、えぇっと、そ、そうですね!そういうことになりまっす!」
「ふふふ~」
その笑い方、怖いんでやめてほしいです。……もしや、バレてる?
いや、別にバレるって言うほどの秘密ではないけど、なんで隠していたのかさえ忘れたけど、せんせいにバレるのはなにかしらの面倒事に巻き込まれる、そんな気がする。
あれ、向こうから来城さんが来た。夕食かな?
「星夏さん、市長がお見えになられました」
「あら~、北杜さんが来たの~?毎度毎度、律儀ね~」
「市長?」
「丹良市の市長、北杜英世様です。旧体制時代は村岡地域を治める貴族様であられましたが、革命の際に革命派に付き、先頭に立った星夏さんを裏で支えた御方です」
「英雄を裏で支えた人物……」
なんでそんな人がこんな小さな宿場町の市長なんかやってんだろね。きっと、新政府で派閥争いなんかが起きて分裂が発生するのを防ぐとか、新たな世代に託したとか、隠居とか、そんな理由だろね。せんせいも英雄扱いを嫌うし、政府の重要なポストに就かず道具屋なんかやってるし。
「ほう、なかなか」
「ふふ、すごいでしょ~?うちのえみちゃんは~」
庭の向こうから洋風の正装を着こんだ眼鏡の男性が一人。その後ろにドレスっぽい服を着た女の子が一人。
明らかに、明らかにお偉いさん。
「えっともしかして……」
「丹良市長、北杜英世様。そのご息女、北杜志歩様にございます」
「は、ははぁ……!」
「え、えみ!?」
深々と首を垂れます、おしゃれ神戸しゃれこうべ。
「えみちゃん……何をしているのかしら~?」
「偉い御方と相対したときは深々と頭を下げる。私はそう教わりましたぁ」
「誰に」
「……誰だっけ?」
「よいよい。頭など下げんでよい。今は貴族や平民といった区別など、この国には存在せんからな」
「こ、これは失礼いたしましたぁ……」
「私には憎まれ口をたたくのに、態度が随分と異なるようね~?えみちゃん?」
「私がいつ憎まれ口叩いたんですか」
「あら~?」
「歳のこ……」
「あらあら~?」
「怖っ」
「星夏様にそのようなことを言える者は貴女くらいでしょうな。私がこの町の市長の北杜英世。こちらが私の娘の志歩だ」
「は、はじめまして。志歩です。よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします」
「よろしくなのじゃ!」
市長の娘の志歩ちゃん。歳は中学生くらいかな。明るい茶髪、クリーム色、いや栗色?栗のクリーム色だ。モンブランのクリームの……
「ぁ、あの」
「栗といえば栗きんとんも好きだなぁ」
「あ、あの!」
「え、あ、ごめんなさい。なんですか?」
「あなたがえみさん、そちらが火憐さん、ですか?」
「あ、はい。そうです」
「あの、その……」
「志歩、どうしたのだ。もっと大きな声を出さんと聞いてはもらえんぞ」
「あの」
「はい」
「わ、私の家に来ませんか!?」
「え?」
「しほの家か!面白そうじゃ!」
「え、いや」
「そんなことか。星夏様、この後のご予定は」
「私は何もないわ~」
「それでは百花王国の件、状況について教えていただけないか」
「それなら構わないわ~。来城さん、えみちゃんと火憐ちゃんを送ってきてくれるかしら~?」
「承知しました。それでは向かいましょう」
「いや、ちょ」
「なんでしょうか」
「なにかしら~?」
「なんだ?」
「なん、ですか……?」
「なんじゃ?」
「……なんでもう決定みたいになってるのよ!?」
志歩ちゃんの家、すなわち市長の家。元貴族の家。
そんなところに、一般市民である私が、上流階級の作法やらの知識に乏しい私が、行って粗相を、問題を起こしたりしたら……く、首が……
「大丈夫よ~。えみちゃんはやたら気にするのよ~」
「気にすることはない。一般的な家だ」
「一般的と言いながら、バカでかいパティーンですよね、うん」
「ぱちーん?新しい魔法か?」
「違う」
「そうか」
「とにかく大丈夫よ~。私と北杜さんはこれからちょっと話があるから、二人は志歩ちゃんと遊んできなさい~?」
「ぎ、牛車で、ですか?」
「歩いてですよ。この宿の側にございますので、星夏さんもいつも歩いて向かわれます」
「あ、歩き……セキュリティーとか大丈夫なんですか」
「誰も襲って来ないわよ~。人望はあるもの、そうよね~?」
「役柄、どこで恨みを買うかはわからんがな」
「またそう言って~」
元々他人様の家に行くのだけでも気がひけるのに、他人様の家に行くと部屋の隅で固まるのが一番落ち着くとか言う、地球上で一番苦手な場所とも言えるのに。市長の家、市長の家よ?そんなお偉いさんの家にずこずこと……
「あ、あの」
「は、はい」
「わ、私の家が嫌いですか……?」
「いえ、そんなことはないです」
「行くのじゃ!」
「では、行きましょう」
「……えみちゃん」
「慎重なのだな。感心」
「ここでその感想が出るのね~」
いや、あんな目で見られたら「はい」なんて言えんでしょうが。……なんですか、そのジト目は。そんな目で見ても私にはなんにも響きませんよぅ?
殺気を孕んだ笑顔で見ても意味ない……っていうか怖いですってば。私、これ、声に出してないですからね?せんせい、実は心読めるでしょう?
「いってらっしゃい~」
「いってきますなのじゃ!」
「……いってきます」
「お父様、また」
「楽しんでおいで」
こうして市長の家、いや志歩ちゃんの家にお邪魔することになりましたとさ。
あなたのおうちでチャレンジ……
「えみ?」
「そこはジョ……いや、なんでもない」
「えみさんは楽しい方ですね」
「えみは面白いのじゃ!」
「それ、褒めてる……?」
「……」
「志歩ちゃん、黙らないでほしかったな、そこは」
「楽しみなのじゃ!」




