25 昇進昇格は唐突に
それは唐突だった。
「しばらくお店にいれないから、今日から私が帰ってくるまで休業ね~」
「わかったのじゃ!」
「……は?」
「だから~、しばらく出かけてくるからお店お休みね~?」
「え、えええ!?」
お休みと聞けば、前の世界なら歓喜に涙したであろう。……いや、そこまでじゃないね。
しかし、この世界では別だ。
この世界には娯楽がない。よって私の仕事であるこの店は、私のちょうど良い暇つぶしになっているのだ。品出しや掃除や商品の陳列・整頓、売り上げ計算や在庫管理などなど、やらなくていいとは言われているけど、他にやることもないから行ってきたこれらの作業。これを奪われては私の生活に支障が出る。
火憐はずっと西洋文化や魔法の本を読んでるし、せんせいは午前中はほとんど店にいないし、いても新しく仕入れた道具を見つめてニヤニヤしてるし、話し相手がいないんだよ!
お休みの日も特にやることがないし町に遊ぶ場所もないから、店で本読んだりボケッとしてることが多い。というか店にいれば菜々さんが遊びに来るから、私がわざわざ出向く必要がない。
こんな感じで異世界に来てから一か月、私は朝の日課以外で外に出ることのないインドア生活を極めていた。人は異世界に来たぐらいじゃ変わらんのよ。
「……何日くらいですか?」
「一か月くらいかしら~?」
「い、一か月っ!?いいい、いったいどちらへ?」
「せんせいは、く……」
「ちょっとした用事よ~?大したことじゃないわ~?」
「は、はぁ」
明らかに火憐の発言を遮ったけど、せんせいが秘密にしようとしていることを無理に聞き出そうとは思わない。雇用主だし居候させてもらってるし。
でもめっちゃ気になるちゃぁ気になる。せんせいは一体何をしているのだろうか。毎朝店からいなくなることにも関係しているのだろうけど。
「そういうことだから、よろしくね~?」
「あ、あの」
「なにかしら~?」
「一か月店を開けないんですか?」
「ん~、そうね~。えみちゃんもお仕事に慣れたみたいだから、一か月任せちゃおうかしら~?」
「本当ですか!?」
「一か月店主ね~」
「あ、ありがとうございますっ!」
やったぁ!昇進だぁ!……これでよかったんだっけ?
「それじゃ、おねがいね~?」
「今から行くんですか?」
「そうね~、呼び出されてるからね~」
「そうなんですかぁ」
本当に一体何をしているのだろうか。赤字続きの道具屋を維持できるほどの稼ぎを一人で出せる……本当に大丈夫かなぁ?
「いってくるわね~?えみちゃん、火憐ちゃん、任せたわよ~」
「いってらっしゃいなのじゃ!」
「いって、らっしゃい……」
そんなこんなで私は一か月間の店長の座を手にしたのだった。異世界に来て、なんで私は昇進で喜んでるんだろ……
「えみ、起きるのじゃ」
「うぅ……へぃへいほい」
いつも通り、火憐のしっぽ抱き枕から身体を離し起き上がる。最近は火憐も嫌がらずに抱き枕になってくれるので、悪夢を見ることもない。その代わり火憐の仕度が遅くなるんだけどね。
「行くのじゃ!」
「あいあい」
朝の日課を終えて店に帰ってきたら、さっそく準備に取り掛かる。とは言っても、店の掃除と品出しくらいなもんだけど。
「火憐、終わった?」
「終わったのじゃ!」
「よし。それじゃあ開店するわよ」
「わかったのじゃ!」
店の入口に暖簾を掲げて開店の準備は完了。あとはお客さんを待つだけだ。
私は最近定位置になっている奥のカウンターに座って、売り上げの計算や審査学校の試験に出てくる範囲の知識に関する本、主に魔獣の種類やその対処法、国の法律、国ごとの入国の条件や法の違いなどの本を読んでいる。
この一か月で得た情報はたくさんある。
まず、ここは山櫻共和国という共和制の国だ。歴史は浅く、革命により王族が亡命でこの国を去ってからまだ半世紀経っていない。この大陸、キヅア大陸の北の海岸に面しており、港町もあるようだ。大きな河川が国の中央を流れており、稲作が盛んなので政治・経済は安定しているらしい。
山櫻共和国の西隣、野鶴共和国は山櫻共和国の革命に乗じて同時期に、王族を処刑に追いやった国だ。山櫻共和国とは同じ政治体制同士、同盟を組んでいる。山櫻共和国よりも魔族の割合が高く、中でも精霊族と呼ばれる羽を持つ魔族が多いらしい。いいねぇ。
同じ同盟仲間である、山櫻共和国の東隣は香散見王国。野鶴共和国のように便乗して革命が発生しかけたが、王族がこれを察知し政治から手を引くことで立場を守ったようだ。日本やイギリスのような立憲君主制ということになるね。
そして火憐が目指している国、芒王国。某王国じゃないよ。この国は野鶴共和国の西隣に位置する。キヅア大陸の西の端になるね。この国は他大陸との貿易で儲かってるみたい。多民族多種族国家なようで、文化の面ではなかなかに面白そうな国だ。でも治安はあまり良くないみたい。
火憐じゃないけどわくわくするよね、こういうの読むと。
「えみは勉強か?」
「そうよ。試験に出るんだから、火憐も勉強しておきなさいよ」
「わしは魔法で点数を取るから大丈夫じゃ!」
「魔法でしか点数取れないでしょ……」
まあ、魔法が使えない私が何を言っても無駄ではある。一応私も魔法が使えないか試してみた。本物の魔法を見た後ならイメージしやすいかなって思ったけど、全くダメ。火憐曰く
「先祖に魔族がいれば使えるのじゃ!」
とのことだけど、いるわけないので使えないのは確定のようだ。異世界に来ても能無しか、私。
「それはわしの真似か?」
「ん?あぁ、いや。……いや、うん」
「どっちじゃ」
「どっちでもいいじゃん」
「むぅ」
火憐はカウンターの向かいに座って魔法の本を読んでる。前に少し読ませてもらったけど、物理学のようなものがとても抽象的に回りくどい言い回しで書かれていて、読んでいて疲れる内容だった。液体の水が水蒸気になることが5ページくらいに渡って説明されていて、しかもほとんど意味のない精神論みたいなことが書かれていた。心理学で水は蒸発しない。
「えみは本当に魔法が使えないんじゃな?」
「え、なんで?」
「えみが言ったことをやったら火属性魔法が使えるようになったからじゃ」
「あぁ、あれは魔法じゃなくて物理学よ」
「ぶすりがく?」
「ブスリじゃないわよ、刺さないわよ」
「刺す?」
「んん。まぁ、そういう学問があるのよ」
「そうなのか」
「そうなの」
まあでも、魔法の原理を解き明かすことはできそうだから、今後火憐に教えてあげてもいいかもね。興味を持ったら、だけど。
「それにしても、お客さん来ないわねぇ」
「いつも来ないのじゃ」
「そんな悲しいこと言わないで」
「悲しくはないのじゃ。本が読めるからの」
「それはお仕事じゃないから。お金をもらってる以上、なにかお仕事らしい仕事がしたいんだけどねぇ」
「お昼ご飯を作るのはどうじゃ?」
「それもお仕事じゃないから」
「家事は仕事じゃないのか?」
「家事は……仕事だけど、そういう意味の仕事じゃなくてぇ」
カラカラカラ
「えみちゃん、いる?」
「あ、菜々さん。いらっしゃい」
「いらっしゃいなのじゃ!」
「火憐ちゃんもいたのね」
「もちろんいるのじゃ!」
「せんせいがいないから大丈夫かなって思って」
「大丈夫ですよ。やることがなくて暇してるくらいですし」
「そうなの。それじゃ今日はお昼、私が作るから、どう?」
「え?いや、悪いですよ。お客さんに作ってもらうなんて」
「いいのよ。今日はうちからお野菜持ってきたから、作ってあげる。台所借りるわよ?」
「そうですかぁ。どうぞ、こちらです。私も手伝いますよ」
「わしも手伝うのじゃ!」
「それじゃ、これ。洗ってくれる?」
「任せるのじゃ!」
今日の献立は、お魚の塩焼きと、お漬物と、味噌汁と、ご飯です!それでは、いただきましょう!いただきます!(いただきます!)
「えみちゃん、大丈夫?」
「え、あぁ、あの、大丈夫です。気にしないでください」
「えみはたまにこうなるのじゃ」
「そうなの?」
「聞かなかったことにしよう。と、せんせいと約束してるのじゃ」
「そうなの」
「ちょ、ちょっと待った。なによ、その約束」
「そういうことじゃ」
「そういうことなのね」
「……どういうことよ」
火憐と菜々さんがお互いに顔を見合わせて首を傾げて「ね?」ってしてる。腑に落ちないけどまあいいや。それよりも……
「菜々さんは知ってますか?」
「何を?」
「せんせいが何をしてるのかを」
「あら?えみちゃんは教えてもらってないの?せんせいはね、く……」
カカカラシャンッ!
店の入口の戸が勢いよく開かれた音だ。お客さんか?
「すいませんっ!」
「え?あ、はい!」
「こちらに星夏さんはいらっしゃいますか!?」
「え、えっと」
誰だっけ、せいかって。どっかで聞いた気がするんだけど。っていうか、あんた誰よ。
「あ、そうか。仙丈星夏さんはいらっしゃいますか?」
「んんっと、うぅんっと、喉の、この辺りまで出かかってるんだけど、誰だっけ」
「え、えみちゃん……仙丈星夏ってせんせいのことよ」
「ああ!そうだ!いつもせんせいって呼んでるからすっかり忘れてた!ああ、すっきりしたぁ」
「えみちゃん……」
「あの、それで、仙丈星夏さんはここにいらっしゃいますか?」
「今はいませんよ?」
「そうですか……」
「あの、どなたですか?」
「ああ、そうですね。失礼しました。わたくし、山櫻共和国政府の来城と申します」
「政府の来城さんね。……ん?政府?」
「はい。政府に勤めております」
「せ、政府の方が、な、なぜ、せんせいを?」
「え?ご存知ないのですか?」
「えぇっと、わかんないです」
「仙丈星夏さんは国の議会の議員なのですよ」
「え、えええ!?」
国家公務員だった、せんせい……




