17 就職しました、異世界で
「ま、えみちゃんなら大丈夫だと思ってるけどね?」
「は、はぁ。今日お会いしたばかりですけど」
「火憐ちゃんのお友達だもの、ね?」
「はぁ」
「そうじゃ、せんせい!えみをここに置いてやってはくれんか?えみは帰る場所がないのじゃ!」
私の覚悟をよそに、火憐が空のお茶碗をせんせいに突き出しながら明るい声で言った。
口にご飯粒がついている。せんせいがそのご飯粒を指で取ってパクッ。
「もう、火憐ちゃんはいつもご飯粒をいっぱいつけて~。ご飯の時くらいゆっくりしなさい?」
「うむ。それで」
「いいわよ~?えみちゃんも大変だったのね~?よく頑張ったわね~」
「え、あ。はい……」
せんせいが頭を撫でてくれた。完全にお母さんだ。さっきの般若とは別人だ。
それにしても即決とは。もっと考えるべきところじゃないの?見ず知らずの人を簡単に引き取るなんて、誰でもできることじゃない。
「でもね~、条件があるわ~?」
「あ、はい」
「一つは、この店のお手伝いをすること」
「それくらいは」
置いてもらう以上、その程度はするべきだろう。
何もしないで置いてもらうなんて図々しい真似はできない。
「二つは、火憐ちゃんのそばにいること。店の中にいるときはいいけれど、お外に行くときは一緒にいてあげて?」
「……はい」
それは火憐を守れ、ということか。
「いいえ、守れ、なんて言わないわ。火憐ちゃんは『結界』の中に限っては最強よ」
「あ、そうですよねぇ。私が出る幕なんてないかぁ」
「いきなり襲われるってことはないわよ。それは安心して?そうじゃなくてね、火憐ちゃんが失敗しないように見ていてほしいのよ~」
「あ、そっち」
「なんじゃ?わしは失敗せんぞ?」
「火憐ちゃん、人前で魔法を使っちゃだめって言ってたわよね~?」
「ぎくっ」
口で言うな、口で。
「はあ。全く、火憐ちゃんは。こういうことだから、えみちゃん、よろしくね?」
「わかりました」
そんくらいの判断、火憐以外の人なら誰でもできるわな。
「それじゃあ、三つめは」
「それでおしまい~」
「え?それだけ?」
「それだけ~」
「あの、もっと他に」
「それだけよ~。えみちゃんは明日からうちの店の従業員。住み込みのね~。働いてもらうんだから、それだけよ~」
「はぁ」
……条件良すぎない?
「お仕事は店番、お金の管理、お店の掃除。時間は、私が店を開いてから閉めるまで。私が店にいる時は自由にしていていいわ~。お客さんもそんなに来ないから~」
いやいや、こんな好待遇の職場、普通なら怪しすぎる!
住み込みで食事付き、店主はお母さん、同僚はけもっ娘。
勤務時間も長くない。というか自由にしていていいと来たもんだ。
その上、履歴書も見ず、面接もほぼ向こうからのお願いという形、即日決定。
この世界なら普通かもだけど、日本なら絶対裏があるやつだ!保険とか肉体労働とか危ないやつだ!
「お給金は一日200文。ま、ちょっとこれは安い方だけれど、今後の働きに応じて昇給も考えようかしら~?」
「もん?」
「お米一升で30文くらい、お味噌は一升で60文くらいよ」
一升、一升瓶がたしか大体2Lくらいだったはず。米2Lが水のようにそのまま2kgとなることはないが、面倒なので2L=2kgとして、お米5kg3000円くらいだった気がするから、2kgで1200円。30文=1200円になるから1文=40円くらいかな。実際は米一升は2kgより少ないはずだから、1文=20~30円くらいだろう。
この計算からいくと、日給4000~6000円。細かい勤務時間がわからないが、日本の最低賃金より少々安いかな、ってくらい。でもこの待遇なら高い方だろう。というか貰えるのかよ!
「ふふ。えみちゃんは計算が速いのね~。お金の管理は任せたわよ~」
「すごいな、えみは!わしは算術が苦手じゃからお金を扱うのは苦手じゃ」
「あのぉ、ここまでしてもらっちゃっていいんですか?」
「お店は難しくないけれど、火憐ちゃんのお世話の方が大変だと思うから~」
「わしは世話はいらんぞ!全てわし一人でできるからの!」
そう言いながら味噌汁をこぼしてせんせいに拭いてもらっている。
……予想以上に苦労するかもしれない。
私は最後に味噌汁をグッと飲み干した。やっぱりこのラインナップなら味噌汁がベストマッチだ。
食事を終えて、食器を洗い場に手分けして運んだ。台所に立つせんせいの後姿はまさにお母さんのそれだ。
「火憐ちゃん、えみちゃんにお部屋の説明をしてきて頂戴?」
「わかったのじゃ!」
火憐に手を引かれて、狭くて急な階段を上り2階へ。2階というよりは屋根裏部屋といった感じだが、低い天井の部屋の奥に布団が二つ並んでいた。
「そっちがえみの布団、こっちがわしの布団じゃ。その箪笥はわしの服が入っておるのじゃが、わしはいつも《魔法を行使するものの正装》を使っておるから、中にある服はえみが使ってほしいのじゃ」
「ありがと」
言われた箪笥を見てみると、いわゆる和服が畳まれて入っていた。こういうの着たことないんだよなぁ。憧れはあったけど難しそうだし、まず持ってないし、成人式も出なかったから振袖を着ることもなかった。これからはこれを着るのか。着付けを教えてもらわないと……
「私、こういうの着たことないのよねぇ」
「なに、そうなのか?珍しいの」
「火憐のその服の方が珍しいと思うけどね」
火憐は寝る前だというのに魔女衣装だ。寝間着を着ないかい?寝にくいだろう。
私は今、温泉で見るような浴衣を着ている。ちょっと肌寒い。
次に私は箪笥の二段目に手をかけた。
「あれ?」
「ん?ああ、それはな、西の国の服だそうじゃ。なんでも、海を渡った遠い大陸にある国の庶民の服らしくての、大洋を渡ったから『洋服』などと呼ばれておるそうじゃ。そこから西の国の文化は『西洋文化』と呼ばれておっての、わしのお気に入りじゃ。西の国なら見たことのない魔法もあるかもしれんし、《魔法を行使する者》の扱いも違うかもしれん。いつかはわしも西に渡って、その国の文化を体験してみたいものじゃ」
「洋服……」
目の前にあったのは白いブラウスだった。それをめくるとあるのはハーフいや、ショートパンツ?その下はスカート。カーディガンもある。生地の質は悪いけど、外の景色との時代錯誤感が半端ない。なんでこんなものが……
待て。まてまて。
今、そこの布団の上でゴロゴロしながら本を読んでる、そこのケモ耳少女。バリバリの洋服じゃんか!なぜ今気づいた。
せんせいは和服に割烹着みたいなのを着てたからなんとも思わなかったけど、火憐の格好はおかしいだろう。
「その服はせんせいが西の国から来た商人から仕入れたのじゃ。でもこの町ではあまり受け入れられなかったのじゃ。じゃからここにいっぱいあるのじゃ。わしもその商人から面白そうなものをたくさん買っての。西洋文化に興味を持ったのじゃ」
「な、る、ほ、ど、ね」
「えみも着てみるか?」
「……そうね。私はこっちの方が慣れてるからこっちを着るわ」
「なんじゃ?えみは西の国の出身だったのか?」
「え?うぅん……。違うかなぁ」
「そうなのか?えみは不思議なやつじゃな」
「私にとっては、火憐の方が不思議なやつだよ」




