独女と彼氏
隣近所のカミラさん。実は結構深刻な悩みを抱えていました。
べ、別に新婚若夫婦が羨ましいとかじゃないからね?ほら、前からずーっと言ってたじゃない?家庭的な暮らしも悪くないって。
……そうよね……お互いに仕事が忙しいし、なかなか会えないし……あと、まだお互いのことも詳しく話してないし……、
えぇっ!?来るのっ!?……や、嫌じゃないけど……ほら、部屋が散らかってて……それにお互い遠くに居て……ええええぇ~ッ!!?昨日付けで中央都市に転勤になった!?
そ、そうね、えぇ……わ、判ったわ……部屋、片付けるから……夕方位に……はい、うん……それじゃ、また後でね……。
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(やややややややややっ!!ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいッ!!今の今まで幻術活用して仮の姿のままで交際(水晶球を贈ったから話だけは出来た)してたから、私が蛇女種だって一度も言ったことなかったわわわわわわぁ~ッ!!どーしよどーしよぉ!!キーロフってば何でそんな急に……ああ、何て罪な女なの、私ったら……いやいやそーじゃなくて!!)
カミラは人生最大の危機に瀕していた。彼女は平坦な生活に飽き、故郷を出て中央都市へとやって来た。勿論……自らの姿が一般的な獣人種とかけ離れた魔族寄りの恐ろしげな姿だと認識していたし、まさかそのままで生きていけるとは考えていなかった。
そこでまず、一番近くの(それでも三昼夜は掛かったが)街へ出向き、幻術を利用して人の姿を模して身分証を作り、そこから人口の多い中央都市へとやって来た。その最初の街で証明書を親身になって制作してくれたキーロフと仲良くなり、お互い遠くに離れながらもこうやって定期的に連絡を取り合って来たのだ。
まさか……自分が『実はラミアでした!今まで騙してゴメンなさいね!』と言った所で上手くいくとは思わないし、勿論仮の姿のまま逢うのが一番平和的且つお互いを傷付けずに上手くいくかもしれない。だが、幻術はそこまで万能ではない。それに……長時間の変化は余りにもリスキーだし、最悪……アレの最中にでも術が解けた日には……眼も当てられない結果になるだろう。何よりキーロフを裏切り続けることになるし、幻術最大の問題点、【被術者の精神を侵食し変容させる】ことを引き起こし兼ねない。つまり……キーロフを徐々に排人化し、最終的に発狂させてしまうのだ。
「……安全策なら、キーロフに逢わない……でも、それじゃ彼に申し訳ないし……変化したままは……その場凌ぎ……あぁ、どうしたら……」
独り悩みながら、水晶球に映る自分の顔を見つめる。
長い深翠色の髪を髪留めで一つに束ね、華をあしらった簪を挿したやや面長の顔は、魔族に近い特有の切れ長の眼と整った鼻筋……少しだけ長めの犬歯さえ見えなければなかなかの器量なのだ。それは間違いない。
……しかし、豊かな胸元までは白いブラウスを羽織っているからこそ、普通に見える。だが当然ながら……伝統的な腰巻きから下の艶かしい下腹部以下は……紫色の鱗に覆われた大蛇なのだ。
中央都市が人種の坩堝だったことを知らず、当初は隠れるように生活することを覚悟していたが、実際は自由貿易を主とした発展的な街(少数ながら純粋な魔族すら生活している)であり、予想より楽に表立って生活し、秘密裏ながら魔導研究を行う機関で働いていた。ただ、その機関が《暗闇》と呼ばれるギルドに属している為、大々的に自らの仕事を公表しないことを前提条件として、活動しなければならないのだが……。
近所には【森羅万象を詠み解く長大的且つ複雑で時間の掛かる観測記録をする仕事】と説明していたので、今は『学者』と猛烈に単純化された職業だと思われている。まぁ、間違いではない。
ただ、魔導自体が表だってホイホイと扱える代物ではなく、未だに「魔族だけが使う妖しげな術」程度の認識もまかり通っているので、人前でひけらかしたことは余りない。それに幻術は金儲けするには余りにも作用が強過ぎるのだ。
「はぁ……どうして私、蛇女種なんかに生まれたんだろう……」
そう思い、落ち込んだまま、朝を迎えてしまっていた。
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……思い起こせば、確かにセイムスとジャニスの二人には違和感があったのだ。
口調は律儀で誠実そうなセイムスは、カミラが口をつけるまで目配せしてお茶を飲もうとしなかったし、出身や元の職業も細かく言及することはなかった。
ジャニスも帰る頃には打ち解けて気さくに話をするようになったけれど、それまでは自分からは絶対に口を利くことはなかった。
初対面、しかも見慣れない種族と話す機会なぞ確かに無いのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、人の心に作用する幻術の使い手であるカミラからすれば、全てが【裏に秘めた事実】を隠そうともがいているように取れるのだ。
何がそうさせたまでは判らないが、大陸に名を馳せた二人が逃亡してまで一緒に行動している事実は、きっとそのうち明かされるかもしれない。
だからこそ、今はありのままの彼等に接していけばいいだろう。
……あれ?つまり……私とたいして変わらないって、こと?
そう思うと、突然カミラの気持ちは軽くなり、今まで悩んでいたことが霧散して消えてしまった。
「……あー、ウジウジ考えてても仕方ないってことか!よっし!!キーロフどんとこいっ!!私が抱いてやるっ!!……うん、たぶん……」
勢い良く決心し、実際は男女交際未経験な意気消沈をしかけたその時、
……とんとんとん。
玄関の扉が叩かれて、来訪者が来たことを報せた。
(ああっ、遂に来たっ!!あんな適当な説明で良く来れたわよね……キーロフ、なんて恐ろし……じゃなくて……)
「はいはいはい!ちょっと待ってて……今行きますよ!……うん……」
スルスルと音もなく玄関へと進んだ彼女は、扉越しに表の様子を探る。外には一人、そして手には温かく四角い何かを持った男性らしき印象の誰かが立っていた。
(……あの、こちらはカミラさんの御自宅でしょうか?……キーロフ、です……)
どくん、と心臓が高鳴るのを実感し、呼吸が早まる……。
「あ、ハイ!ここはカミラの自宅です!(……なにこの変な返事は!!落ち着け落ち着け……)……キーロフさん、私、カミラです……」
(あぁ!よかったぁ……四軒並んだ扉の左から二番目って聞いてたけど、全部が同じ扉だったから……間違えちゃいけないなぁ、って思って迷ってしまって……)
彼は聞き慣れた優しい口調でそう言うと、扉越しに手にした箱を持ち上げながら、
(……手土産に、巷で評判のお店で買ってきた林檎の焼き菓子買ってきました!……一緒に食べたくて……)
「キーロフ!……私、まだ言ってなかったことがあって……その……実は……」
彼の話を途中で遮りながら、カミラは自らのことを正直に伝えようとする。しかし、その言葉は不意に途切れることになった。
(……本当は蛇女種だってことですか?……フフフ……知ってましたよ?最初から……♪)
「えっ!?そ、そんなこと……じ、冗談じゃ……?」
慌てる彼女に向かって、キーロフは優しい口調のまま話し始める。
(……君が現れた時、街から一番離れた村の出身だって話してたよね?……そこ、私の実家なんです……それで、更に離れた北の森にラミアの集落があることも知ってましたからね……別に驚きはしませんでしたよ?)
「そ、それじゃ何故……私の偽の身分証明書まで……」
(それの答えは簡単ですよ……君がとっても綺麗だったから……ね)
「……っ!?キーロフゥッ!!」
カミラは火事場の馬鹿力で重い閂を一瞬で叩き上げ、勢い良く扉を開けた拍子でキーロフは軽く吹き飛ばしてしまった。
「あああああぁッ!!やっちゃったゴメンなさいキーロフぅ……大丈夫?!」
そこには初めて会った時よりも少しだけ髪の伸びた、色の白い眼鏡を掛けた細身の男性が、倒れながらも焼き菓子の箱を守りながら飛ばされたらしく、少し離れた場所で身体を横たえさせながら倒れていた。
「あっつつつぅ……いやぁ、私は無事だし、焼き菓子も何とか……いや、やっぱり……」
「えぇっ!?キーロフ怪我でもしたの!?それとも焼き菓子潰れちゃった!?」
慌てるカミラに抱き起こされたキーロフは、苦笑いしながら眼鏡の位置を正し、片手で方々に付いた埃を叩き落として立ち上がると、彼女の手を取り自分の目線まで彼女が身を起こすのを待ってから、
「……最初に会った時と全然変わらないよ?……やっぱり君は綺麗だよ、カミラ……」
そう一言告げる彼に、カミラは涙眼になりながら思いっきり抱き着いた。
えぇ、彼女は現代オタ女風に描写いたしました。たまには如何?次回もゆっくり進行いたします。