セイムスの夢
第四章から最終章に入ります。
彼は夢をみていた。
その夢の中では彼は一匹の大きな狼だった。
銀の毛皮で身を包み、牙と爪を持った巨大な狼になっていた。そんな自分に違和感も無く、ただ本能の赴くままに野を駆け走り、獲物を何処までも何処までも追い続け、牙を剥いて喉笛を噛み千切り、臓腑を引き裂いて飲み込んでいった。
そんな彼の後ろには何時も一匹の雌犬が付いて来ていた。振り返ると立ち止まり、威嚇しても離れず、引き離そうと走り続けても追いすがって付いて来た。
やがて諦めて放っておくと、いつの間にか傍に居座る雌犬のその愛らしい姿に、狼は警戒心を解いて威嚇することを止めた。
月に照らされながら草原を走り抜ければ、飽くことなく寄り添う雌犬は茶色い体毛と黒い耳を揺らしながら狼の後ろを追い続け、立ち止まればペロペロと狼の顔を舐めてくる。
あざといな、と最初は思うのだが、その雌犬に服従や隷属の気配は無く、狼との力量差は有り余る程にも関わらず、臆することなく彼と行動を共にするのだ。
……そして、彼は一つの結論を出す。これが番になる、ということなのだ、と。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
セイムスは夢をみつづけていた。
自分が狼になって、常に傍らに雌犬が居る夢だった。その夢を彼は嫌いにはならなかった。ただ夢の結末は番になった雌犬と産まれた仔犬をどうしたものか、と考える結末で終わるのだ。
……だが、夢からは醒めず、また最初から同じように始まり、雌犬を見つけて番になり、仔犬を眺める。それを繰り返していた。
夢をみることは嫌ではなかったのだが、唯一の杞憂は……その雌犬が何なのか、現実に置き換えると雌犬は誰のことなのか、それが判らないことだった。
「……ふぅ。まぁ上手くいってるみたい……暫くはこのまま大人しくしていて頂戴ね……」
カミラは香炉に新しい薬草を焚きながら、セイムスの様子を見る。
大きな寝台が運び込まれた部屋の真ん中に、複数の呪印が描かれその中心に置かれた寝台の上で、元セイムスが横たわっていた。
……そう、その姿は銀色の毛皮を纏った巨大な狼だった。
……ジャニスちゃん、早く帰って来なよ……このままじゃ、あなたの愛しいセイムスが、本物の狼になっちゃうからさ……いつまでも夢を見させて誤魔化しても、いつか本当に目覚めてしまったら……きっと呪いにセイムスの精神なんて欠片も残さず食べられちゃうからさ……。
不眠不休で幻術を掛け続け、セイムスの意識を夢の中に捕らえて封じ込めてきたけれど、それはあくまで現状維持にしかならない。呪いの進行を止められるのは……きっとジャニスにしか出来ないだろう。
何故なら……彼は人の姿の時は、ずーっと彼女の名前を呼び続け、見える筈のない彼女の姿を眼で追い続けていたのだから。
(……ホント、相思相愛って、こーゆー子達を言うんでしょうね……あー、私もキーロフ(カミラの彼氏)と会いたくなっちゃうじゃん……)
もぞり、と寝返りするセイムスを横目に見ながら、呪印の各所に置かれた香炉に薬草をくべてカミラは溜め息を吐きながら、ジャニスの帰還を心待ちにするのだった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「……してやられたな、サボルト君……」
苛立たしげに机を指先で叩いていた高位の武官が、呻くように呟く。それはついさっき退席したニケが暴露した【剣聖の呪い】の内実と、それを抑制しつつ身柄を確保している事実のことである。
その内容のどちらか片方だけなら、どうにでも手を尽くし打ち消して終わりにするつもりだったのだが……あの雌狐はよりによって「この場にお集まりの賢明な諸兄なら良いお知恵を貸していただけるかと思いますが……」と言って場を引っ掻き回し、肩書きばかりの御偉方に要らぬ詮索を差し向けたのだ。
「どうするつもりなんだ!!もう我々の手に負えないような化け物になったセイムスを、罪人のまま放り出して知らん顔してました、等と言ってられる事態ではないかろう!?」
「そうだ!!最早危険な代物と化した剣聖は、この際見限って足元を固めた方が賢明であろうが!」
「やむを得ん……ここは一つ、セイムスとやらの保護と監視を条件に、彼の特赦を下して様子見するしかないな」
……そこまで沈黙を守っていたニケは、無表情のまま立ち上がり、場が静まるまで待った後、静かに語り始めた。
「……お集まりの皆様の賢明な判断を頂いた結果、我々はセイムスの監視と呪いの沈静化を様々な手法を用いて、実現化出来るよう尽力いたしましょう。それでは、一先ず我々は報告する為に【武装商工組合】に戻り、出来る限りのことを致しましょう。それでは失礼致します」
そう言いながら立ち上がると、ニケは軽く会釈して退散した。
彼女が居なくなった後の事は考えたくもなかった。二派のうち、セイムスを担ぎ出して自らの派閥の私兵としていた連中が沈黙する中、残りの保守派は剣聖の呪いがどれだけのものか知りたがり、そしてそれ程の危険なセイムスは早く無罪放免にして、自分達から遠避けることのみに注視。結果として……、
「……結局、あの犬人種の言った通りになっただけか……」
(……こいつは強くなるかもしれないが、あんたらに制御出来るのか?)
千人の犬人種からかき集めた【銀狼の血脈】を注がれたセイムスが成長期に入った時、ふらりと現れた一人の犬人種がそう言い残したのだ。
まだ呪いの内容を知らなかった若い頃のサボルトは、一体何のことだと思ったが、彼と共に大人になり、立場を違えながら国の軍務に携わっていった時、セイムスの尋常成らざる能力の片鱗に【銀狼の血脈】が関係している、と知ったのは今の軍団長になってからだった。
……さて、これからどう報告書を書くべきか……頭が痛い問題だが、何となく肩の荷が降りた気がする。
サボルトは清々した気分になり、今度セイムスに会いに行けたらいいな、いやきっと会うことになるな……と思った。
セイムスとジャニスの二人はまだ、結婚式は挙げていないのだから。
公私共々ぐっだぐだですので、ゆっくり更新していきますが、お話は最終話に向けて進みます。




