愛情って何?
ジャニスは愛を表現する方法が判りません。それどころか……愛ってなんなんだか判りません。
「……今夜は……一緒に、寝ませんか?」
ジャニスは思っていた。即答で断られる可能性……セイムスにしてみれば、慣れぬ地下迷宮への一日目を終えて、疲れ切って早く寝たいであろう。だが……ジャニスもジャニスなりに考えたのだ。セイムスに少しでも……、
……少しでも、って私が何をどうしたら……良いんだろうか?
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
ジャニスは記憶を手繰り、少しでも役立ちそうな情報を思い出そうとする。
……そう言えば一度だけ、狙う相手の油断を誘う為に街娼を装い近付いたことが有った……いや、それは様相を真似ただけで本格的な何かを身に付けて臨んだ訳ではないし、セイムス相手に必要なこととは違うような気がする。
その時、不意に頭に浮かんだのはカミラが見せてくれた【房中密戯・殿方となんちゃら】とか言う矢鱈と大きくて薄い本の挿絵の数々だった……。
「……じ、ジャニス……鼻血出てるけど……大丈夫かっ!?」
「……あふぇ?……ふあぁあぁ……いぃ……」
「おいッ!?ジャニスッ!!」
ガタン、と後ろ向きに倒れたジャニスは、綺麗に意識を手離して気を失った。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
『トン、トン、トン……』
『トトトトトトトトトトッ』
ああ、ふぅ……。眠くて眠くてたまらない……あれ?何この指先……ちっさ!!
眠い目を擦りながら目覚めたジャニスは、気が付き何回も指を握り締める。まるで小さなカエデの葉のような可愛らしい指先を、グッパグッパと開いたり閉じたりしてみる。
……うん、異常無し。ちゃんと動くや……って!!ええええぇ~ッ!?異常じゃない!セイムスは!?私達の住まいは!?ここどこ!?隣に寝てるのは誰ッ!?
危うく二度寝しそうになったジャニスは、気だるい睡魔を追い払うと現状確認を開始。被っていた毛布をクンクンと鼻を利かせて、どうやら自分が使っている物だと確認。そして横を見ると……、
(……ちっさ!!……しかもスッゴくカワイイ♪……私の……小さい頃?……いやっ!!違う……この子……もしかして……姉さん!?)
……スヤスヤと寝息を立てる、一人のちっちゃな犬人種の女の子。身体的な特徴は成人のジャニスと変わらず、ヒョコヒョコと動く耳と鼻先の色、そして見えないがきっと尻尾もあるだろうけど……、
「…………ジャムぅ……んふ……♪」
寝返りしながら何か呟く、稀少種の女の子……記憶にある姿と一致し、そして何よりの証拠がジャニスに確信を持たせた。
(うっわ!!この子は絶対に姉さん!!だってジャムって私のこと呼ぶの……死んじゃった母さんと……姉さんだけだったもん……)
『……ほら、ニケ、ジャム……もう朝ですよ……早く起きなさい……ごほっ、ごほっ……』
聞き覚えのある優しい声と……特徴的な咳…………
隣で寝ていた小さなニケが、突然ガバッと起き上がり隣で寝ていた私を揺さぶって、
「ほら、ジャムおきてよぅ!!おかあさん、まってるよぉ!!」
……幼い声で小さな頃のジャニスを起こそうとする。小さな身体にも関わらず、その声は芯がしっかりとした雰囲気を持ち、将来の立場を予感させて……、
「もー!!はやくおきてっ!!」
ポカポカと握り拳を振り下ろしてジャニスを毛布越しに叩く姉に、降参したジャニスは……、
「おねーぢゃんがただいだよぅ~、ままぁ~!!」
だくだくと大きな眼から涙を流し、ダダッと部屋から駆け出して隣で朝食の準備をしていた母親に向かって抱き着いた。
(……あ、あれ?……私の身体なのに……動かしてるのは小さな頃の私なんだ……)
ジャニスは母親の匂いに郷愁を感じつつ、身体が自由に動かせないことに歯痒さを覚える。しかし、純血種の母はフワフワとした柔らかな体毛に包まれていて、彼女の中の想い出と同じ感触で……、
「ジャムずるい!!ちゃんとおはようございます、もいってないよ!!」
布団を畳んでいたのか、かなりの時間差を経てから母の元にやって来た姉。しかし、泣きべそをかいていた妹の反対側に回り込み、
「おかーさん!!おはようございます!!えーい!!」
ぼふっ、と大きなスカート越しに母の足にしがみつき、小さな妹と同じように……顔をぐりぐりと押し付けて、優しげなその匂いを確かめていた。
二人の頭にそっと手を当てて、優しく撫でていた母は、しゃがんで二人を抱き締める。その様子はまるで……永遠の別れを惜しみつつ、愛しい我が子の姿を少しでも記憶に焼き付けようとしているかのようで……、
(……ああぁ……母さん……母さん!……私が小さい時に死んじゃった母さん…………知ってたんだ……知ってたんだ!!……自分が長くないこと、この時判ってたんだ…………)
ジャニスは小さな頃の自分の中から母に抱き締められながら、心の中で大泣きしつつ悟った。
なぜ、病に臥せっていた筈の母が無理をしてまで早起きし、二人の前では弱音も吐かずに食事を作っていたのか……どうして、死に直面していたにも関わらず、幼い二人に変わらぬ愛を注いでくれていたのか、を……。
(……私も大好きだって、言ってあげられなくてごめんなさい!!……私も一緒に料理作るって、言ってあげられなくてごめんなさい!!……小さすぎて、何も判ってなくて言えなかった……)
今のジャニスには、母の気持ちが痛い程判った。自分のことはどうでも良かったのだ……少しでも、少しでも大切な二人の娘の傍に居られればいい……少しでも長く、二人の娘を見て眼に焼き付けていたい、という気持ちを。
「……ままぁ……お、おはよ……」
「あら……ジャム元気無いわよ?お母さんに元気を分けて欲しいから、おっきな声で挨拶出来るかしら?」
「……ままー!!……おはよーーっ!!」
「うふふふ♪はい、おはよー!……さぁ、二人ともお顔、洗ってらっしゃいな?」
「うん!!おねーちゃん、いこー!!」
「ジャムずるい!!おねーちゃんが先なんだよ!!」
バタバタと走り去る二人を見つめる母の視点へと、いつの間にか移動していたジャニスの精神は、この景色に終わりが近いことを悟っていた。
一瞬の後、突然ふらつき狭まる視野……一度はたたらを踏んで気丈に立て直したものの、直後に視点が回転し、天井そして床を凝視しながら急速に意識が遠退いていく……。
それが母の最期に見た景色であり、駆け寄ってきた二人が泣きながら抱き着き叫ぶ中、力を振り絞り二人を撫でられたことだけが……ジャニスの精神にとって唯一の救いだった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「……おい、ジャニス!!…………」
声で目覚めた彼女は、自らの鼻から流れていた血が止まっていることに気付くが、セイムスの言葉が記憶の中で意識が途切れる直前に耳にしたものと一致していたので、
「……あれ?……シム……私、気を失ってたんじゃ……ない?」
「って、どうしたんだよ急に倒れて!……体調悪いんじゃないか?」
ジャニスは失神していない事実に戸惑い、そしてセイムスはジャニスの不調を心配して声を掛けるが、直ぐに彼女は立ち上がり台所へと向かう。
「ジャニス……さっきからどうしたんだい?鼻血出して突然倒れたと思ったら台所に駆け込んで……?」
そこでセイムスが眼にしたのは、翌朝の為に少しでも下拵えをしておこうと準備をするジャニスの姿だった。
野菜の皮を剥き、切り分けて面取りし、下茹でをしておこう……そして、朝になったら火を入れて茹でれば直ぐにスープが出来上がる……そしたら、ベーコンを焼いて脂が滲み出したら玉子を落として目玉焼きにしよう……。
……と、考えながら野菜を切っていたのだろう、包丁を手放しながら力尽きて床で横になり、寝息を立てる彼女を抱き上げて、ベッドへとセイムスは運ぶ。
ベッドの上の彼女に毛布を掛けたセイムスに、ジャニスはモゴモゴと何かを伝えようと口にする。
「……ん?ジャニス、どうしたの?」
「……シム……、私のこと、二人だけの時は……ジャムって呼んで……」
そう言うと、目を瞑ったまま満足そうに微笑み、毛布の端をスンスンと嗅いでからムフ……♪と言って寝返りをした。
手探りで進む二人の物語は、ゆっくりと進んでいきます。作者も手探りです。




